【真説】天国と地獄
「この世界を統制している人は、神なんですか?」
どうしても、自分がいた時代の発想でしかモノを考えられない自分に憤りを感じていた三雲だったが、それでも、言葉に発する場合、それしかないと思っていた。
今の彼女であれば、自分のいた時代の発想でしか言えないことでも許してくれそうに思ったからだ。
「私は、あなたのいた世界という表現を使わずに、あなたのいた時代という言葉を敢えて使っています。この世界は、あなたのいた時代のパラレルワールドではなく、まったく違った世界なんですよ。だから、時系列でも違う世代だと思っています。だからといって、この世界が優れていて、あなた方がいた世界が劣っているとは思いません。それなりの秩序の元に成立している世界であり、ずっと昔から決まっていた秩序なんですよ。だから、あなたが言う神というのは、この世界にも存在しません。神というくらいなら、独裁者と言った方が正解かも知れませんね」
「でも、独裁者というとイメージが……」
「それは、あなた方が勝手につけたイメージで、ここでは通用しません。そのことを理解できない人はここにはいることができないので、理解できない人には、理解しなくてもいいように、欲望や嫉妬心などの感情は、排除させてもらっています」
「じゃあ、その人たちは永遠に感情を排除されたままなんですか?」
「そんなことはありません。排除するのはここにいる間だけです。しかも排除するのは感情だけなので、思考能力や発想力は残っています。だから、行先の選択に対しては問題がないんですよ」
「ということは、ここから出て、天国や地獄にいく時には、感情を戻されてから行くということになるんですか?」
「そういうことです。感情を戻されたことで、ここにいたことを皆さん、記憶から消えてしまっています。正確には残っているんですが、思い出すことはまずありません」
「ここは、本当に不思議な世界なんですね?」
「そうかも知れませんが、ここにいる人には、他の世界の方が不思議に感じられます。お互い様ですよ」
と、言って彼女は笑うのだった。
「ところで、これからここにいた人が天国か地獄かを選ぶ時間がやってきます。一日に何度かそんな時間が存在し、私はそれを見届ける係りでもあるんです」
「今からですか?」
「ええ、あなたもご一緒しませんか?」
「私がいてもいいんですか?」
「もちろん構いません。ここでは、誰もが人の選択を見守る権利があります。ただ、本人が選択したことを妨げる権利はありませんけどね」
「それは当然だと思います。それがあなたのいう『自由』なんですか?」
「ええ、そうです。ただ、あなたが考えているよりも自由というのはずっとシビアで、そこには人情は挟みません。どんなにことになっても、選択したのは本人。それが運命なんです」
「運命?」
「ええ、そうです。ここでいう運命というのは、あなたが考えている運命と同じものです。つまりは、いくら本人であっても逆らうことのできないもの、絶対のものなんです」
「ということは、まず自由という発想があり、その中に本人が選択するという自由がある。ただ、それよりも上に絶対的な運命というものがあり、それには誰も逆らうことができないということなんですね」
「一口に言えばそういうことになります。でも、もっと正確に言えば、本人が選択する自由というのも、運命なんですよ」
「どういうことですか?」
「本人が選択することは、元々決まっていたことで、それを運命だといえば、何となくイメージが湧くでしょう?」
「ええ、それは私の中でも当たり前のことだと思っています」
「でも、あなたが思っている自由というのは、本人のためにあるというイメージが強いと思うので、そこが少し違っています。あくまでも自由は本人が選ぶ権利というだけで、それが本人にとっていいことなのかどうなのかというのは、運命にしか分からないことなんです。とりあえず、見ていただきましょう」
そういって、彼女は三雲を別室に招いた。
最初にいた部屋を出ると、表の通路は真っ暗だった。最初は、
「えっ、前が見えませんけど」
というと、
「少しだけ目を瞑ってから、すぐに目を開けてください。すぐに見えるようになりますよ」
と言われて、三雲はとりあえず目を閉じた。
――どれくらいの間、閉じていればいいんだろう?
と思ったが、すぐに目を開けてもいいという思いが巡ってきた。
最初からその感覚が自分の中にあったかのような感覚に驚いていたが、やはりここは彼女のいうように、死んだ人間が来るところなんだろうか?
目を開けると、さっきまで見えなかった通路がウソのように、綺麗に見えていた。明かりはどこにもないはずなのに、夜中のガード下よりも、かなりの明るさだ。
しかし、すぐにおかしなことに気が付いた。
「影がない」
思わず、声に出してしまい、気持ちを確かめるように、彼女の顔を見た。彼女は微笑みながら、
「さすが三雲様、よくお分かりになりましたね」
三雲は、明るさからすぐに想像したのはガード下だった。ガード下でいつも気になっているのは、影の大きさだった。その大きな影に見つめられていることで恐怖を煽られているのに、まさか、その影がないことが、この世界の恐怖の正体だということが分かるなど、何とも皮肉なことだった。
「ええ、でも思ったよりも明るいので、影のないことが分かったのは、明るさのおかげなのかも知れません。それにしても、本当に影がないなんて……。あなたの言ったとおり、ここは死後の世界なんですね」
と三雲が言うと、
「確かに死後の世界ではあるんですが、正確には、死後の世界の最終地点ではないということですね」
「じゃあ、生まれてくる時も、実は同じような世界があったりして」
と、三雲は好奇心からそう言った。
「その通りです。生まれてくる時も、誰の子供として生まれてくるのかということを決めるところはあります。でも、そこでは生まれてくる子供の意思はまだありませんので、決めるのは、いわゆるスタッフなんですよ。本当にランダムですね」
という言葉を聞くと、
「子供は親を選べないとよく言っていましたけど、まさしくその通りなんですね」
「ええ、でも生まれてきた限りは生きる権利と義務が発生します。それはあなたが思っていることと同じですね」
「じゃあ、生まれる時と死ぬ時とでは、自由があるとすれば、ここで選択する天国か地獄への行き先だけということになるんでしょうか?」
「そうです。ここでいう自由という意味でですけどね」
彼女はやたらと自由に対して、いちいち断わってくる。
歩きながら、次第にさっきまで自分が何を考えていたのか分からなくなってきた。少なくとも通路に出る前と出てからでは、まったく違った印象を感じていることに気が付いていた。
――通路に出る前のことって、まるで一ヶ月以上も前のことのような気がするーー
それほど、記憶が曖昧だった。