【真説】天国と地獄
「平等という言葉は、言い換えれば、皆が対等だという言葉にもなると私は思うのですが、もしそうなら、皆が対等に過ごせる世の中というのは、理想郷であり、実際には不可能じゃないんですか?」
と三雲がいうと、彼女はフッと嘲笑って、
「だから、あなたの生きていた時代の人は、自分の欲望や嫉妬、一旦起こってしまったことへの連鎖が働いて、殺し合いが絶えないんですよ。確かに平等や対等というのは理想郷の世界ですよ。それは、絶対の支配力を持った人間がいなかったからに他ならないんです」
今度は、三雲が可笑しくなった。
「あなたは、独裁者を奨励するんですか? 独裁者の存在が犯罪を呼び、最大の殺し合いを引き起こしたのが、私の生きてきた時代の歴史なんですよ」
「どうやら、まだ分かっていないようですね。独裁者というのは、確かに最初は自由、平等、博愛を目指したかも知れませんが、手に入れた権力に自分の気持ちが支配されて、さらなる欲望、嫉妬、さらなる悪の連鎖を生むことになる。それは、その人本人だけの責任ではない。まわりの人がその人を自分の欲望のために担ぎ上げたことが原因でもある。それを忘れてはいけません」
彼女の口調は、三雲の発想では、ギリギリの線であった。これ以上の暴言は、自分の理性を壊しかねないと思うほどで、自分がこのまま気が狂ってしまうのではないかと感じるほどだった。
「何を言っているんですか、民衆は自分たちが生きるためのギリギリの生活から逃れるために、藁をも掴む思いで、その人にすがった。それを誰が非難できるというんですか?」
すると、彼女は冷静に顔色一つ変えず、言い返してきた。
「誰が非難していると言ったんです? 私は責任があると言ったんです。責任があるというのは、非難していることにはなりません」
どうやら、今までの感覚を一度リセットしなければ、この女性との会話はできないようだ。
「じゃあ、あなたはどうすればよかったというんですか?」
「どうもこうもないでしょう。確かに民衆が反対しても、独裁者は台頭するでしょうし、もっと悲惨なことになっていたかも知れませんね」
「この世界では、そんなことはないとおっしゃるんですか? 独裁者もおらず、皆平等で幸せに暮らしていると」
「そんなことは言っていません。ここには独裁者は存在します。そして平等ではありますが、あなたが考えているような幸せというのは、ここでは存在しません」
不可解としか思えない発想だ。不愉快な気持ちは、最高潮に達した。
「あなたは、ここでやってきた死者に、一人一人諭しているんですか?」
「そんなことはしません。ほとんどの人は話をしても、分かるはずがないということは分かっていますからね」
「じゃあ、どうして私に話したんですか? 私だって、理解の限度をはるかに超えていて、不愉快でしかないんですが」
彼女は、先ほどのような嘲笑いではなく、笑顔になった。それは親しみを感じさせるものだった。
「あなたなら、分かる気がします。だから、あなたには、VIP待遇を用意しています」
「どういうことですか?」
「この世界で皆が平等だというのは、一人のカリスマによって、統制されているからです。あなたのいう独裁者とは少し違っていますが、言葉にするなら、独裁者という言葉を使ってもいいと思っています」
「じゃあ、自由というのはないんですか?」
「そんなことはありません。あなた方の考えている自由というのはないとは思いますが、それを認めると、統制は取れません。あなたのいた時代は、それが一番の問題だった。自由を認めると、統制が取れずに、世の中が乱れる。それをあなたはどうしてだと思いますか?」
「人が勝手にそれぞれで動くからですか?」
「それもありますが、本当の理由は、人間には理性と欲望があるからです。ある程度の統制を取るためには、欲望を抑えなければいけない。宗教と呼ばれるものは、そこを強調していますよね。でも、一般の人は自由を求めます。そして自由を謳歌するには、理性が必要だということは分かっているはずなんです。でも、実際に自由を手に入れると、統制を鬱陶しく感じてしまい、欲望が表に出てきてしまう。つまりは、理性と欲望のバランスが取れないのは、あなた方がいた世界だったんです」
「ここでは、それを取れるとでもいうんですか?」
「ええ、ここでは、欲望はありません。理性もありません。だからと言って、あなた方がいた世界で持っていた夢がないわけではない。夢をうまくコントロールできる世界がこの世界なんですよ。あなた方から見れば、ここは理想郷と言えるところなんでしょうね」
「死後の世界に、そんな素晴らしいところがあるんだ」
「ただ、ここには長くとどまることはできません。あなた方の感覚で言えば、一か月ほどで、ここから出なければいけません」
「どうしてですか?」
「ここにも、許容人数に限界があるからです。何しろ理想郷を保っていかなければいけないんですから、人が増えすぎるわけには行きません。死んだ人で溢れかえってしまってはいけないんですよ。だから、言葉は悪いですが、長く滞在していた人から、締め出すことになる」
「締め出された人は、どこに行くんですか?」
「いわゆる天国が地獄かのどちらかに行くことになりますね」
「それは誰が決めるんですか?」
「決めるのは本人です」
「本人? それじゃあ、誰もが天国に行きたがるのではないですか?」
三雲は不思議に思った。
――最初から地獄に行きたいと思う人なんているのだろうか?
誰が考えても、地獄に行きたいと思う人などいるはずはない。死んだ時に、天国に行くのか地獄に行くのか決まっていて、それは、生きている間の行いで決まると思っているからだった。
彼女はまた微笑んで、
「あなたが頭の中に描いている天国と地獄のイメージ、それは想像上のイメージでしょう? ひょっとして、想像しているのと違うのでは? と思っているとしても、すぐに打ち消すだけの思いだったりするんじゃないですか?」
「その通りです。でも、それ以外のイメージが浮かんで来ない以上、疑っても、それは無意味なことだとしか思えません」
「天国と地獄については、これからあなたは次第に知っていくことになるので、ここでは言及しませんが、あなたの考えている天国と地獄のイメージは、宗教的な色で凝り固まっていますよね。それがあなた方の世界の致命的なところでもあるんですよ。世の中が乱れるのは宗教がらみがほとんどです。一つ覚えていてほしいのですが、私があなたに言っている『自由』という言葉の意味の違いが、今のあなたと私を隔てる距離なんです。だから、あなたが私のいう『自由』を理解できれば、あなたは私の考えていること、そして、死後の世界を理解することができるんですよ」
彼女はさっきまでの厳しい表情から一転、親しみを込めた表情になった。
少し親しみを感じてはいたが、ここまで信憑性の高さを感じさせるものだとは思わなかった。
――これがこの人の本当の顔なんだ――
確かに最初の頃の話を今の表情でされても、信憑性はおろか、聞く耳すら持たなかったに違いない。やはり彼女が自分には話しておこうと思った理由は、このあたりにあるのかも知れない。