【真説】天国と地獄
ただ、小説家というものが、作風と実際の作品とが必ずしも一致しないということに、まだアマチュアだった高山氏は分かっていなかった。
そのことが分かるようになったのは、高校を卒業してからだった。
「僕は童話作家として、デビューしたのだから、作家としてこのまま食っていきたいんだ」
と親に話をしたが、親は猛反対だった。
高山は、学校の成績もよく、地元の国立大学には、十分合格することができるだけの成績だった。
「これだけの成績なのに、大学に行かないなんてもったいない」
という担任の意見、そして父親としては、
「今の世の中、大学くらいは出ておかないと、潰しが利かない。悪いことは言わないから、大学に進学しなさい」
という意見だった。
口調は柔らかで、
「とりあえずは」
という言い方だが、父親の性格をよく分かっている高山からすれば、これほど頑強に反対している父親を初めて見たと思っていた。
高山の父親は、感情が入ると、気持ちとは裏腹に言葉が柔らかになる。気持ちを表に出してしまうと、感情だけになってしまい、理屈どころではなくなるということを父親は自覚していたからだ。
実は高山の父親と似たところがあった。
「悪を許せない」
という感覚である。
高山の中にある悪という感覚は、
――いい加減な――
という発想であった。
追及されると、反論できないことは、いい加減なこととして、自分の中で悪として把握しているのだ。
父親は、そんないい加減な人を許せないと思いながらも、自分が完璧ではないことも分かっている。したがって、その矛盾がたまに自分の中でジレンマとなって、自分を許せなくなることを感じていた。それだけに、いい加減なことを言わなければいけない立場に自分が置かれた時、冷静さを失い、感情だけで話し始めると、自分でも抑えることができなくなることを分かっていた。だから、言葉が柔らかになり、それでいて、他人事のようにそっけなくなってしまうのだ。
――僕もそんな父の血を引いているんだ――
という思いがあった。
だから、子供の頃から無口で、人とあまり話すことなどなかった。中学時代までは引きこもりと思われるほどの暗さに、自分でも何をどうしていいのか分からなかった。ただ、父親から受け継いだ、
「悪を憎む」
という発想から、何をすればいいのか、すぐに気が付いた。
それが勉強だったのだ。
引きこもってしまうと、ゲームをしたり、アニメに嵌ってしまい、ヲタクになってしまいそうになる自分を想像しただけで、吐き気を催すほどだった。
――それでは何をすれば?
と考えた時、比較的すぐに思いついたのが、勉強だったのだ。
勉強は、自分を裏切ることもない。それが一番の理由だったが、やっているうちに楽しくなったのも事実だった。
勉強するようになって、夢を見るようにもなった。それまでは、まったくと言って夢を見ることはなかった。
「夢を見るということは熟睡しているからだよ」
という人がいたが、まさにその通りだった。
勉強することで、自分なりに充実感を感じられた。
だが、見た夢の内容を覚えている時と覚えていない時があることに気がつくと、
――どうしてなんだろう?
と思うようになっていた。
ずっとそのことが気になっていると、忘れないように、見た夢の内容を、覚えている時だけ、メモに残しておくようになった。後になって、その内容を読み直してみると、その内容が、高校時代に応募した童話の内容だったのだ。
入賞した作品の評価の中に、
「この作品には、リアリティが感じられる。メルヘンチックでありながら、まるで見てきたような内容に、他の作品にはない斬新さが現れている」
という内容のことが書かれていた。
その評価が、出版社の人の目に留まり、
「うちで、作品を書いてみませんか?」
という誘いに繋がったのだ。
「僕でいいんですか?」
大賞を受賞した人なら分かるが、佳作というべき入賞という立場で、まさかお誘いがあるとは思っていなかっただけに、戸惑いながらも、有頂天になりかかっていたのも事実だった。
確かに父親の反対するように、有頂天のままの自分だったら、
――後先考えずに、目先のことだけに調子に乗って――
と、自分で理解した時には、後の祭りとなったことだろう。
しかし、有頂天だけで終わらなかったのは、自分が夢というものに対して、人とは違う特別な発想を抱いていたからに違いない。人とは違う発想に、自分が納得できたと感じなければ、後の祭りとなってしまう。逆に感じることができれば、自分を試すに十分な足場が固まっていると考えてもいいだろう。
高山はデビューすると、彼の尊敬するメルヘンチックな童話作家に会う機会が、比較的早く訪れた。ちょうど、雑誌社との打ち合わせで、偶然同じホテルの喫茶店でインタビューを受けていたその人と一緒になったのだ。
その作家の名前は、進藤勇作という。
年齢的には、四十歳を超えたくらいであろうか。ただ、見た目はもっと年を取っているように見える。それは彼の貫禄によるものだと、高山は感じていた。写真などで見たことはあったが、実際に生で見るのは初めてだったので、感動していた。
高山は、デビューしてからまだ半年も経っておらず、やっと受賞後の次作を完成させ、出版についての打ち合わせに望んでいるところだった。三十歳の高山からは信じられないほどの若かりし頃、まだ海のものとも山のものとも分からない新人だった高山は、出版社との打ち合わせが楽しみで仕方がなかった。
高校を卒業してから、すぐに東京に出てきた高山だったが、自分が想像していた以上に明日が見えない生活に、毎日戸惑っていた。童話だけを書いているだけでは生活をしていくことができないのも当然で、昼間はコンビニでアルバイトをしていた。その日暮らしの生活に不安を感じていたが、出版社との打ち合わせと、童話を書いている時だけが、前を見ている時間だと思っていたのだ。
まだ受賞作しか世間に知られていない高山は、取材を受けるほとの技量があるわけではない。自分でも分かっているので、今の目標は、
「取材を申し込まれるほどの作家になりたい」
というものだった。
作家が取材を受けているところを見たこともないので、どんな質問が相手からあり、それにどのように受け答えするものなのか分からない。芸能人や政治家などと違って言葉を操る人種なので、それなりに言葉に重みのあるものなのだろうと、勝手に想像していた。
打ち合わせは、都内の某ホテルの喫茶店で行われた。出版社からは目と鼻の先にあるところで、自分以外の作家との打ち合わせも、よくここで行われるという。もっとも売れっ子作家になれば、締め切りに追われる毎日なので、作家の自宅に通いつめていることだろう。
「僕も、そんな作家になれればいいんだが」
これも夢であるが、毎日の先の見えない人生に、夢くらいはいくつだって見てもいいだろうと思っていた。