【真説】天国と地獄
どれくらいの時間が経ったのだろうか。酒の量もさほど増えることもなく、チビリチビリと呑んでいたが、
「夢の中に最初に出てきた光景は、石塀に囲まれた舗装されていない空き地のようなところだったんだ」
ゆっくりと、そして重々しく三雲が話し始めた。まるでこれから怪奇話が始まるような雰囲気に、マスターも高山も固唾を呑んでいた。
三雲は続ける。
「その場所には、最初自分だけだと思っていたのだが、途中から人が現れた。それはどこかの門から入ってきたわけではなく、瞬きをする間に、一人ずつ現れるんだ」
「その場所は、他には本当に何もない場所だったの?」
と、高山が訊ねた。
「いや、最初は本当に何もなかったんだけど、人が現れるのと同じで、何回かの瞬きの間に少しずつ現れてくる。人の方がたくさん現れるんだけど、出現してくるものにまったく共通性のないことから、自分が夢を見ているんじゃないかって思ったんだ」
「えっ、人が現れたからではなく?」
「ああ、人が現れることよりも、唐突に考えてもいないものが急に現れる方がセンセーショナルだった。だから、その時に夢を見ていると感じても、別に不思議なことではなかったんだ」
三雲の口調は、さっきまでの聞き手用の敬語ではない。自分が主導権を握って話をしている時は、思い出しながらだからなのか、口調は高圧的な感じだった。
もっとも、こんな話を敬語でされても、リアリティに欠けるというものだ。自分と同じような気持ちで話しているのだろうと感じた高山だった。
三雲は続けた。
「その人たちは一言も口を利かない。目の前にあるおもちゃで楽しそうに遊んでいるんだ。おもちゃで遊んでいるからと言って、子供というわけではない。中には白髪の髭を生やした爺さんもいたくらいだ。彼らはお互いに近くに誰かがいるということを認識しているのかどうか、僕には分からなかった」
「皆、別々に登場しているんだったら、三雲さんは夢の中で、瞬きする間に別の次元を除いているのかも知れないよ」
と高山がいうと、
「でも、それだったら、たくさんの人を見ることはないんじゃないか? 一人の人を見て、次の瞬きで違う人が現れたのなら、前に見た人は消えているはずだろう? 目の前の人はどんどん増えていくんだよ」
「じゃあ、三雲さんが瞬きする間に、その時に見た人も一緒に次の次元に連れていっているんじゃないかな?」
「面白い考えだね。実は僕もその発想をしてみたんだけど、それを証明するすべがなかったんだよ」
「夢だと思っているのに、証明するすべなんて必要なのかな?」
「僕は必要だと思っている。そうじゃないと、夢の続きを見ることができなくなって、そのまま目が覚めてしまうんじゃないかって思うからなんだ」
「そう思いたくないということは、それだけ夢から覚めてほしくないと感じているからなんだろうね」
「その通りです。中途半端なところで目を覚ましたくないという思いは僕だけではないと思うし、中途半端なところで目が覚めるのは、いつものことであって、最後まで見ることができなかったことを悔しく思っているのだから、目を覚ましたくないという思いは、当然のことなんじゃないかな?」
これが三雲の考え方だった。
しかし、この思いは大なり小なり、誰にでもあることなのかも知れない。少なくとも、今ここにいるマスターと高山は、三雲と同じ意見だった。
「何度目かに人が出てきたのを見て、やっと人の共通点が分かったんです。その人たちは皆白い服を着ていて、まるで死に装束に見えたんだけど、それでそこが天国か地獄の入り口ではないかと思ったんだけど、その人たちが着ているものが死に装束ではないと気づいた時、彼らが病人であると分かったんです」
「ということは、その人たちが着ていたのは、病院で着る服だということなのかい?」
「ええ、そうです。その服も、微妙に色が違っている。白い色だとばかり思っていたんですが、中には青い色であったり、ピンク系の色だったりするんですよ」
「男の人が青い色で、女の人がピンク色ということなのかい?」
「いや、そうじゃないんだ。男がピンクを着ている人もいるし、女が青を着ている人もいる」
「目の錯覚では?」
「そんなことはない。大体自分が見ている夢で、目の錯覚というのもおかしなことでしょう?」
「確かにそうですね。じゃあ、何だったんだい?」
「それが分かると、彼らが病人だって分かったんですよ。結論からいうと、青いものを見ている人は記憶喪失で、ピンク色の人は精神障害の人だったんです」
「なるほど、だからさっき、おもちゃで遊んでいる人がいたということだね?」
「そうです。その場面は夢でもなければ、正気な人間は長い時間いることは無理がある場所なんです。その場所は開放されているように見えるけど、完全に隔離されている場所だったんです」
「そんな場所を、僕も創造したことがあったな」
とマスターが口を挟んだ。
「実は、私は高校生の時、文芸部で小説を書いていたことがあったんです。その時に、神経科の病棟を小説にして書いたことがありました。もちろん、ボツになりましたけどね」
「それはそんなにリアルなものだったんですか?」
「そんなことはなかったんですが、学校がクリスチャンの学校だったので、そのあたりは厳しかったですね」
「宗教が絡むとしょうがないですよね」
「ええ、そのおかげで、文章を書くのを止めてしまったんですが、もしあの時続けていれば、お二人とは、違った立場でお会いしていたかも知れませんね」
と言って、マスターは笑った。
マスターも同じような発想を抱いていたというのを聞いた時、
――夢がその人の潜在意識を映し出すのだとすれば、人の潜在意識というのは、自分の精神的な奥底に秘めた本来の自分とは違う自分が、潜在意識の中にいるということを夢の中で表現したくなるものなのかも知れないな――
と、高山は感じた。
マスターが書いたという学生時代の作品を読んでみたい気もしたが、今の自分たちの考えに変な影響を及ぼしたくないという思いから、その考えは断絶しなければいけないと考えた。
マスターの話を聞きながら、高山が何かを感じていることを三雲は感じながら、自分が見た夢を思い出していると、さらに夢の奥深くまで思い出せるような気がしてきたのだ。
三雲は、夢を見ている時、
――僕の気が違ってしまったのではないか?
と感じた。
だが、これが夢だったことでホッとしたのと同時に、自分以外の人も同じだったらどうしようとも考えていた。
マスターが話を続けた。
「実は私もその続きのような夢を見たことがあるんです」
というと、反射的に反応したのが三雲だった。
「えっ、それはどういうことですか?」