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短編集2(過去作品)

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時間差のない二重人格



               時間差のない二重人格


 三寒四温の時期が過ぎ、季節が本格的に春へ向かおうとする頃、朝のラッシュでも真新しいスーツに身を包んだフレッシュなサラリーマンが目立ち始める。
 何もかもが新鮮で、毎日があっという間に過ぎるこの時期、敦子にとって忘れかけていた何かを思い出させ、フレッシュな気分を味あわせてくれる春というこの季節はウキウキしたものがある。
 五年前だったか六年前だったか、それすらすぐに思い出せないほど年を取ったのかと思う反面、それでもウキウキしているのは、暖かい陽気に誘われて一気に咲き揃った満開のサクラのせいかも知れない。
 あっという間に散ってしまうサクラのように、そんな気分が味わえるのはごく短かい期間ではあったが、それには二つほど理由がある。
 一つは新人の時、月が変わって一気に感じた学生と社会人との違いによるギャップ、いわゆる五月病である。自分にはそんなものはないと五月病の存在は知っていてもあえて気にしなかった敦子ではあったが、まんまと陥ってしまった自分に社会の壁を痛感させられたものだった。
 もう一つはこの不況下において新入社員が激減したことにあった。ほとんど毎年数人しか入って来ず、敦子の課に新入社員が配属されるのは皆無だった。現在の課員がやめることもほとんどなく人の増減がないため、新入社員も必要ないのだ。そろそろ二十後半になろうとしている敦子がずっと一番下なのだ。
 事務所内にての雑用はもちろんのこと、電話が鳴れば最初に取らなければならない立場にあり、他の課員が自分の仕事だけやっていればいいのに対し、敦子の場合、自分のペースでの仕事は許されない。さらに自分より年上の女性社員は皆個性が強く、仲良く話しているように見えてもそれぞれ腹の底では何を考えているか分からないところが、敦子にとってどうにも我慢できないところの一つだ。
 それでもこの時期だけは別で「ひょっとして新人が」という淡い期待を持つことができる唯一の時期であった。しかしそんな思いが通じたのか、新卒ではないが女性一人の入社が決まったと聞くと、相手がどんな人か考える暇もなく喜びだけが頭を支配した。
 朝礼が始まるとさっそく人事部長に伴われてその人が入って来た。グレーの真新しいビジネススーツに身を包み、スラリとしたスタイルが目に飛び込んで来たのだが、まず彼女の背の高さには驚かされた。男でも小柄に属する人事部長と並ぶと一目瞭然で、スチュワーデスを思わせるその高さはまるですぐ目の前に迫ってくるような錯覚すら思わせる。
 化粧をしていないのかと思うほどのさりげないメークが新鮮さを感じさせ、清楚な雰囲気を醸し出している。ショートカットが良く似合い、ボーイッシュにも見える雰囲気はタカラヅカのスターを思わせ、真っ直ぐに見据えた視線には物動じしない堂々さが凛々しさを感じる。
 ありきたりな人事部長の紹介が終わり、彼女の自己紹介に入った。
「藤本美樹といいます。よろしくおねがいします」
 短い挨拶だが、私には深みのある挨拶に聞こえた。丁寧な口調にメリハリが感じられたからである。
 あたりを見渡す彼女の目にこの課はどのように写ったであろうか。敦子から見ても活気に満ちたやり甲斐のある課に思えないのだから、すぐに同じことを悟ったかも知れない。
 それでも表情一つ変えず見詰める彼女と目を合わせた敦子は、ただただ目をそらさないようにしようと考えるばかりだ。
 この課が敦子以来始めて新人を迎えるという事件があったにも関わらず皆マイペースである。何事もなかったかのように仕事をするその心に宿るものは「ただ会社に来て仕事をする」、それだけなのだ。必然的に新人のことは敦子に任されることになるだろう。
 課長からお呼びが掛かったのはそんな時だった。ここの内田課長はその日暮らしのこの課の雰囲気を愁いている一人である。しかし悲しいかな人が良すぎるのか強く言えないところが課長の辛いところで、そのあたりがもう一つ出世できない要因なのかと敦子は冷静に分析する。
 他の新人というのがどういうものなのか初めて後輩を持った敦子にはよく分からないが、少なくとも物覚えは良い方で、しかもたえず手に持っている手帳には教えたことがうまくまとめられていて、そのままマニュアルとしても使えそうである。しかし彼女の物覚えの速さはマニュアルを必要としないものであった。
 最初の方こそ、テキパキと動く後輩を得たことで重宝がっていた先輩諸氏ではあったが、それも長くは続かない。彼女が優秀すぎるのだ。あまりにも自分達とのレベルの違いに今度は敬遠し始めた。先輩の命令は直接美樹には行かず、敦子を通すようになった。
 敦子はそれでも良かった。今までの孤立無縁の無縁が取れたのだ。美樹もはっきりとは言わないが先輩諸氏を嫌っているようだし、敦子はそれだけでも仲間意識が嬉しかった。
 ある日敦子が飲みに行こうと誘うと、嬉しそうに美樹がついて来る。誘われるのを今か今かと待っていたのかもしれない。まだ早い時間は敦子が会社のことをいろいろ教えてやり、ただそれを黙って聞いているだけだが、盃が進むにつれて美樹が自分の話をし始めた。どうやらアルコールはいける口のようである。
「私、前は銀行に勤めていたのよ」
 これだけテキパキと働くのだから、それも納得できる。別に隠していた訳ではないのだろうが、前職を明かした美樹は銀行での業務の辛かったことなどを喋り始めた。よほどストレスの溜まる仕事なのだろう、聞いているだけでも胃が痛くなりそうだ。敦子とは違う意味でのストレスである。
「どうして辞めたの?」
 つい口走ってしまったが言った瞬間「しまった」という思いが頭を過ぎった。今まで饒舌だった美樹の唇が微妙に震え始め、グラスの方に落した視線はそのままビールを睨み付けている。
「ごめんなさい。余計なことを聞いちゃったみたいで」
「いいのよ。いろいろあってね」
 敦子はとっさに謝った。もしそのまま黙っていれば息の詰まりそうな沈黙がずっと続きそうな気がしたからだ。その後は敦子の方からの一方的な話だけで、気がつけば十時をまわっていた。
「じゃあ、そろそろ」
と言って、その日はそのままお開きになった。
 次の日もまた次の日も仕事が終わってから美樹と行動をともにするようになった。
 ショッピングなど楽しむことが多いのだが、決して趣味が同じというわけではない。敦子はまだ若者の好みそうな派手めの服につい目が行ってしまうが、美樹は若いのにシブめの服を淡々と見ている。清楚な雰囲気の美樹には確かに派手めの服は似合いそうもない。時々自分の服は放っておいて一生懸命美樹に似合いそうな服を探している敦子だった。
 すっかり意気投合してしまった敦子は、もはや美樹とは数年来の友達のような錯覚が生まれてきたが、それも仕方のないことだ。


 孤独だと思っていた自分に友達ができ、心に余裕もできた敦子は、今までまったく見えなかった、いや見ようとしなかった自分を取り巻く環境に少しずつ目を向けるようになった。
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次