小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集2(過去作品)

INDEX|10ページ/23ページ|

次のページ前のページ
 

 会社のことはどうでもよいと考えるのだが、たとえば自分の部屋の配置であるとか、会社までの通勤路であるとか、そういった些細なことが少しずつ気になり出したのだ。
 部屋に飾ってある観葉植物も気が付けば枯れていた。衝動的に買ったもので種類がなんであるか、いつ頃からこの部屋にあるかなど、そんなことすら覚えていない。よほど毎日を何気なく過ごしているのだということを今さらながらに痛感させられた。
 美樹が入社してきてそろそろ二十日が過ぎようとしていた頃、敦子は違う意味で最近気になることができていた。それは朝の通勤電車のことである。
 まだ新入社員の真新しい服が気になっていた頃だった。美樹という友達を得たことでいろいろなことが目に入るようになっていた敦子は、電車内をキョロキョロすることが多くなった。以前までは目に入っていても何も感じず、無意識に読んでいてもすぐに忘れてしまいそうな車内広告すら今では意識して読んでいる。週刊誌などのでっち上げとも思える記事は、なるほど読んでみたくなるような書き方をしている。
 電車に乗ると必ず出入り口近くに立ち、いつも表の景色を見ているだけだった。毎日同じ路線に乗っているので同じ景色なのだが、それでも車内を見ているよりも表を見てしまうのは習性なのだろうか。
 しかしその日は違っていた。漠然と流れる景色を見ていた敦子は、ふと後ろを振り向いた。別にその人の視線を感じたわけではないのだが、振り向くとその人がこちらを見ている。相手はすぐに視線をそらしたが、わずかなタイミングでそのことに気付いたのだ。
 敦子が視線をまた表に向けた。今度は見詰められているという意識の元だったので、表を見ているつもりでも意識はしっかり後方にあった。まるで背中に目がついているかのようである。
 しかし今度はその男の視線を感じることはなかった。ゆっくりと振り向くと、その人はまったく別の方向を向いている。
 その人はサングラスを掛け、髭を貯えている。一見恐そうに見えるが清潔感があり、サングラスの下は優しそうな目をしていそうだ。少し気持ち悪い気もしたが、ずっと見詰められているわけではないので、ただその時だけのことである。
 そういえば高校時代も同じような思いをしたことがあった。その時ははっきりとした視線を感じた。相手がウブだったのか視線を合わせると一瞬かなしばりにあったように顔に緊張が走り、それが解けたかと思うと顔を真っ赤にして慌てて視線をそらす。
 最初こそ優位はこちらにあったが、そんなことが続くうち、敦子の方でその男のことが気になってきた。人を好きになったらどうなるか、今まで人を好きになったことのない敦子に恥じらいと緊張が走る。優位性は逆転した。
 いつか声を掛けたいと思っているが、恥じらいのため視線すら合わせることができない。そんな関係に終止符が打たれたのはそれからまもなくのことだった。
 後で聞くと転校して行ったという。敦子のことを好きだったというのはすでに噂としてあったらしく、そんな噂すら知らなかったことに不覚を感じた。あれほど露骨な視線であればまわりが気付くのも当たり前のことだった。
 敦子は後悔した。しかし、それを忘れさせてくれたのは時間だけだった。
 あれ以来人を好きになったことも、人の熱い視線を感じたこともなかった。ひょっとして自分は人に好かれなければ相手が気にならないタイプなのではないかと思うようになったのはそれからであった。
 敦子がその人の視線を感じたのはその日一日だけのことではなかった。それから毎日のように視線を感じ、その延長線上に彼がいる。いつも視線を感じるのは一瞬で、それ以降別に変わったことはない。その一瞬だけ前日に戻ったかのように毎日同じパターンである。それでも気持ち悪がらず毎日同じ時間の電車に乗っているのは、いつしかそんなひとときにスリルを感じ、楽しみにしている自分を発見したからである。
 毎日が同じ時間の出勤なのには、もう一つ理由がある。この課では新人が入ってこなかったため、どうしても敦子が一番に来なければならない暗黙の了解みたいなものがあった。出勤時間などは敦子にとってどうでもよいことのように思えたが、自然とこの時間に来るようになり、却って時間をずらす方が辛くなった。元々律義な性格の敦子なので、身についてしまった環境を変える必要もなくなった。
 本来であれば美樹に早出をさせればよいのだが、自分より会社が遠いことを考えると、まだ入って日の浅い彼女に無理をさせられないと考えた。それでも二番目に入ってくるのは彼女なので、彼女も律義な性格に違いない。
「おはようございます」
 デスクの上を拭いている時に、いつも彼女が入ってくる。最近はそのタイミングも分かっているのか、入って来る彼女の手にはいつも雑巾が握られている。いつしか受持ちが決まってしまったようで、すぐにテキパキと掃除に入ることができるのだ。
 しかしいつ頃からであろうか、一生懸命掃除をしている時、ふと胸騒ぎを感じる時がある。誰もいないこの部屋で、美樹と二人きりになっている時に感じるものだ。誰か女二人のいるこの部屋を特別な目で見詰めている人がいるのかと気持ち悪く思い美樹に訊ねると、別に何も感じないと答えるだけだった。
「おかしいわね」
「自意識過剰なんじゃないですか」
と、ニコニコ笑う美樹に
「そ、そんなことはないわ」
と、少し吃りながら答えた。
 今までであれば自意識過剰などと言われればカチンと来たはずである。いや、今でも他の人から言われると不快感をあらわにするに違いないが、相手が美樹であればそんなことはない。そんな言葉が軽いジョークとして言い合えるほど、二人は意気投合していた。
(自意識過剰?)
 そう最近の敦子は自意識過剰なのかも知れない。電車の男の視線にしても、それが嵩じてのことなのだろうか? 逆に電車の視線があるから他のことにも過剰反応を示すとも考えられる。どちらにしても自意識過剰という言葉が、しばらく敦子には付きまとうかも知れない。
 美樹からいわれた言葉に敦子の意識は一層強くなった。元々人の話に対してそれほどの感動を示さない時でも気になる一言があれば、それがずっと頭からはなれないタイプであった。
 しかし今回の自意識過剰の原因と思っている電車の男の存在は、美樹に話す気はない。ほとんど隠し事もせず何でも話してきたが誰にも話す気はない。そっと自分の心の中に仕舞い込んでおきたかった。敦子としては話し掛けられたらどうしようという思いこそあれ、自分から彼に話をしようとは思わず、何よりも男と話をしている自分の姿が想像できない。
 学生時代など男の視線を受ける自分を勝手に想像し楽しんだものだが、それは客観的に自分を見ていたからである。ひそかに見詰められ、次第に赤くなっていく自分の顔がはっきり見える。しかしその顔は鏡で見る自分の顔ではなく、テレビや雑誌で見かけるアイドルの顔が多い。自分の顔に自信がないのだろうかと思ったが、それよりも潜在意識の中で自分にはありえないことという思いが強いからだと思うようになった。
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次