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短編集2(過去作品)

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 三原と名乗るあの男は私が見たのと同じ風景を私より以前に見てどう感じただろう。芸術家である私ですらそれを見た瞬間頭の中が真っ白になるのを感じたのだから、果てしない天空のイメージがで一杯になり、余計なことを考える余裕などなかったかも知れない。しかし私は体から余分な力が抜けていくように、心の中にゆとりのような何とも言えない気持ちがあったことは否定できなかった。
(以前どこかで……)
 確かにこの光景は始めて見るものだった。
(でもどうして以前見たと思ったのだろう?)
 しばらく考えていたが私なりに結論を出してみた。素晴らしい景色、それも鮮やかな色が印象的な景色というのは、いつまでも頭の中に残るものなのだろう。それは余韻という形で頭の奥に深く刻み込まれ、目を瞑れば蘇り、暗闇で見た閃光がしばらく残っているかのように目の奥に焼き付いている。たTT数時間であっても本来であれば消えてなくなっているはずの残像が残っていることから、それが焼き付く前にとっくに消えてしまった似たような記憶が誇張されて蘇ったとしても不思議ではない。ひょっとして思いをしたのは前世だったかも知れないと、飛躍する考えが浮かんでは消える。
 女将の名はあゆみというらしく、ある程度出来上がってくると酔いに任せて名前で呼び合うようになっていた。その頃から心なしかしゅみの充血しかかった目が潤い始め、視力が低いのか一生懸命見つめる目が、何かを訴えるようにさえ見えた。
(この表情も以前どこかで)
 そう感じた時である。思わずあたりが気になり始めた。誰か他人に見られているのではという錯覚に陥ってからである。。もちろんまわりには誰もおらず、密閉された部屋のどこにも人の気配は感じられなかった。
(しかし……)
 たった一瞬であったが、そこには誰かもう一人いたとしか考えられないような胸騒ぎがあったのである。それは部屋の隙間から誰かが覗いているというようなはっきりとしないものではなく、まるで自分の体と密着した誰かの顔がすぐそばにあり、私と同じ視線であゆみを見つめているという不思議なものだった。まるで私の目が私から離れ、すぐ隣から見ているそんな感じである。そう確かに一瞬自分の目で見たのと違う角度から見えたような気がしたのだ。
 あゆみはどうだろう。一瞬だったが違う角度から見つめていたにも関わらず、あゆみが私から視線を逸らした気はまったくしなかった。つまりその一瞬も違う角度の自分を見詰めていたのだ。その表情に違和感はなかった、どう考えても私の思い過ごしに違いない。そう考えると以前どこかで見たことのある表情だと思ったことすら、思い過ごしに思えてくるから不思議だった。
「浩一さん」
 しばしの静寂の後、あゆみが私の名を呼んだ。それがこれから始まる儀式へのプロローグとなった。
 小説家としてこういう場面を幾度となく想像し、思い描きながらペンを進めたことはあったが、あくまですべてが願望であり、今まさにその願望が成就されようとしている。男とDして理性を保ちながらと考えてはいるが、果たして今の自分を想像するのが恐いくらいである。しかしそれでもこんなシチュエーションを今度小説の中で使ってみようなどと冷静に考える面も心の中にあったのは事実である。
 すでに準備万端の隣の部屋であゆみの着物の擦れる音が聞こえ、私がそれにつられるように隣の部屋に入ると、あゆみの体は布団の中に隠れていた。明かりの消えたうす暗い部屋にあゆみの息遣いだけが聞こえ、女性としてのフェロモンがいかんなく放出されていた。
(そんなことがあるのか)
 心の中ではこんな夢みたいなことと思いながらも、夢ならこのまま覚めるなと心に念じ、自分の置かれた立場だけを信じればよい状況になっていた。幾度となく小説で試みようとしてどうしても最後のイメージが湧いてこないシチュエーションであったが、それも客観的にさえ考えれば意外と難しいことではなかったのかも知れない。
 私の心の中に明らかにもう一人の私がいる。ベッドに侵入し直接その肌の感触を楽しむ自分と、あゆみが溜まらずもらす声を聞いて、それを感じている自分である。たくみにその二人が入れ替わっているようだが、同じ時間を同じ気持ちで過ごしていることには変り無かった。
 手探りで進む私の手を楽しんでいるのか、焦らすようにその都度体がよじれる。時折ビクッと動くのは、そこが彼女のウイークポイントなのだろう。暗い部屋であればあるほど息苦しいほどの熱気が充満し、みだらな汗が噴き出す。暗くても私にはその透き通るような白い肌が見えていて、玉のように浮かんだ汗を手でなぞると、光るはずのない暗闇の中でもくっきりと浮かび上がってくるのが見えてくるようだ。
 静寂の中、女の悦びの声がかすかながら響いている。押し殺そうとして出る切ない声はどこからともなく響いていて、サラウンド状態が続く中、私を悦楽の境地へと招いてくれる。
 いつ果てるとも知らず永遠に続きそうな愛撫の後、高められた興奮は一気に昇りつめる。今度はそれをなるべく持続させようという努力は無駄に終わりそうで、初めて人間も動物と同じで本能には勝てないことを知るだけである。
 クライマックスの後に訪れる気だるさと罪悪感という後悔がいつものように私を襲う。いまだ息を荒げながらではあるが、その余韻に浸りながら私にしがみついてくるあゆみはいとおしく、さっきまで汗でベタベタしていたのが嘘のようにしるくのようなきめ細かさを持った肌を弄んでいた。
 しかし落ち着いて来ると罪悪感は薄れて行った。あゆみをいとおしく思う気持ちがそれに勝り、果てた瞬間真っ白になった頭の中にそのいとおしさだけが残った。
 そう果てた瞬間、確かに頭の中は真っ白だったはずだ。しかしその後すぐに訪れる気だるさはそれまでの興奮を一気に打ち消すだけの効果を持っているにも関わらず、その気だるさはいつもと違うものだった。まるで他人のことのような気がするからだ。
 今自分の胸の中で戯れているあゆみをいとおしいという気持ちが強いせいか、それまでの欲情、その後の気だるさはすっかり頭から消えていた。というよりも、初めてであるはずのあゆみの体がとても懐かしく感じる。
 お互いは矛盾しているかも知れない。他人事と思いながらも懐かしさを感じながら、私の手はあゆみの体を弄ぶ。
「なぜかしら、あなたといるとやすらぎを感じる」
 これ以上ないというほどの肌の触れ合い、真空状態になった肌はそう簡単に分かつことはできないが、そこに窮屈さの微塵も感じない。無意識のうちにお互い無理のない姿勢をとっているからで、それだけでもとても始めてのは肌とは思えなかった。
 不思議なのはそれだけではなかった。私にとってこのように冷静に分析できることが不思議なのだ。人から冷静沈着と思われがちの私だったが、それは普段の日常生活でのことである。こと欲望が絡むと人間が変ると言われるほど前後不覚に陥ってしまう。特に性欲に関しては顕著で、エクスタシーを迎えた時など我を忘れ、頭だけがどこかへ飛んで行ってしまっていたのだ。
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次