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短編集2(過去作品)

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 そういえば私にとってこの時期の印象は、一年の中でも極めて薄いものだ。確かに過ごしやすく、暑い夏の間は、早くこの時期が来ないかと待ち望んでいた。春などのように新入生、新入社員などが初々しい時期と違い、去り行く夏を惜しむ時期としてのイメージが強いためか、寂しさだけがある。夏バテもあり、一年の中で一番休息を欲する時期なのだ。
 次第に日が暮れるのが早くなる。夕方でも耳についていたセミの声も今はなく、秋の虫たちがどこからともなくコーラスを奏でている。夕日の代わりに空にくっきりと浮かび上がった月は黄色く彩られ、健気に精一杯の明かりであたりを照らしている。
 私は何も印象に残らないこの時期が一年で一番好きである。充電するには持ってこいで、決まってこの時期数冊の本を読む。帰る途中この時期だけは表通りに出て、ドライブインの中の本屋に寄ることがあるのだ。「キャッスル」で消化不良気味の今日はフラリと表通りへと出た。
 さすが表通り、午後八時を過ぎれば深夜動揺の裏通りとは違い、車の往来も頻繁で、様々な色や音が飛び込んでくる。月明かりが目立つ裏通りとは大違いである。
 そして何よりも違うのは人の数である。駅を出てからアパートまですれ違う人のほとんどいない裏通りと違い、表通りでは前から来る人を避けながら歩かなければならないくらいである。そんな状態だから、途中にある本屋も人が多いのだ。表のネオンサインや車のヘッドライトが眩しいせいか、本屋に入ってもそれほど明るくは感じない。人の群がる雑誌コーナーは避け、奥の文庫本コーナーへと足を伸ばした。秋の夜長は小説でも読みながら、眠くなったら寝るという気ままな生活をしてみたい時期である。
 本の背を、流すように左から右へと眺めていたが、その中にふっと視線の止まった本がある。「客のいないレストラン」と書かれているその本を引き抜き、後ろに書かれているあらすじを見ていると、どうやら一つのテーマに沿った短編集のようである。私の場合、本のタイトルもさることながら著者の知名度やジャンルも選択の余地に入っている。この本の作者はミステリー、SF、さらに歴史小説とマルチな活躍ぶりで、特に短編集には見るべきものがあった。ほとんどが一つのテーマの可能性に賭けた話で、短編集でありながら続き物という錯覚すら覚える。私はパラパラと中を捲ると、さわり部分を少し読んでみることにした。
 面白いか面白くないかは、出だしで決まる。出だしがつめらなければ先を読む気にもなれないが、この作者に限って私の期待を裏切ることはない。今回もご多分に漏れず、間髪入れずといったストーリー展開にきが付けば引き込まれていた。
「おやっ」
 その中の一つの登場人物に聞き覚えのある人物の名前が飛び込んで来た。一瞬、誰だったか思い出せないのは、その人の顔が浮かばなかったからである。なぜならその人とは名前を聞いたことがあるだけで一度も見たことがなかったからだ。そう、その人の名は「柿崎陽子」であった。
 私はレジへと急ぎ、その本を買った。もうすでに私の中で立ち読みで済まされるものではなくなっていたのだ。
 ここ最近そういえば「柿崎陽子」宛の電話は掛かっていない。別に忘れていたわけではないが、頭の中でその存在が薄くなっていたのは事実だ。ここ一ヶ月間のこと、特に喫茶「キャッスル」での恭子とのことが、それほど気にならなくなって来たのも、奇妙な電話が掛からなくなったことと呼応しているのかも知れない。
 私は家へ帰るとコーヒーを入れ、さっそく買って来た本を開いた。
 どちらかというと雑音が気になる方だったが、静寂で何もないところにいるのはさすがに寂しい。そんな矛盾した気持ちを少しでも解消するため、本を読む時はいつもテレビを付けている。もちろん消音してのことだが、民放はこの時間ほとんどドラマかバラエテイーなので、教育テレビにチャンネルを変えると、クラシックの調べとともに西洋風の建物や風景をカメラが追っていた。本を読みながらの疲れた目には効果的なのでチャンネルはそのままに音は絞った。
 コーヒーの香りが部屋中に充満し、静寂の中の読書という眠くなりそうなシチュエーションを和らげてくれる。まわりは閑静な住宅街のため、ほとんど音などないので、すでに深夜を思わせるが、時計はまだ午後九時を少し過ぎたところだった。まさしく空きの夜長の到来を思わせ、心なしか気持ちにゆとりも表れる。
「柿崎陽子」を主人公とした話は約五十ページほどで、読み始めるとすぐに終わってしまいそうだった。最初の二、三ページを読むのに約五分だったが、ここから先は時間を気にすることなく読めそうだ。次第に話の中に引き込まれている自分に気付く。
 読んでいる時は一時間くらいだろうと思っていたが、読み終わり時間を見るとすでに午後十二時に近かった。ブラウン管の風景はすでに違う番組へと変わっていて、どうやらニュースを伝えているようだ。内容として読んでいるうちはところどころに印象に残るようなシーンがあったはずなのに、読み終え全体を思い出そうとすると、疎らになっている記憶がなかなか一つにまとまらない。
 しかしその内容は今の自分とダブらせてしまうものが多い。主人公である柿崎陽子の学校に転校生が入ってくることから物語は始まるのだが、陽子には数日前から彼が入ってくる予感がしていた。転校生ということまでは予測できなかったが、その人の顔はおぼろげに想像ができていた。教壇から先生に紹介されたその顔は、まさしく自分がイメージしたそのままだった。
 陽子には得てして今までにもそういうことがあった。目の前に現れる人の予感があったり、その人の顔がイメージされていたりすることがである。それを陽子は夢で見ていると思った。いわゆる予知夢というものなのだが、悲しいことに目が覚めてしまうと、頭の中からすっかり消えていて、夢を見たことすら覚えていない。
 陽子は元々内気な性格で、男の人に自分から話しかけるなど考えられないタイプの女性だった。友達が気を遣って男の子を紹介してくれても、引込み思案な性格が災いしてなかなかうまく行かない。もちろんそんな性格を自分でも嫌だと思っていたのだが、性格というものそうなかなか変えられるものではない。
 しかし転校生の雄二に対しては違っていた。陽子が自分から話し掛けたのだ。きっかけは何だったか自分自身でも覚えていないが、自然に話し掛けることができたということだけが陽子の頭の中にくっきりと残っている。雄二も陽子から話し掛けられるのを待っていたのかも知れない。他の人から話しかけられた時の態度と、陽子から話しかけられた時とでは明らかに違いがある。社交辞令のようなものは存在せず、何よりも雄二の方からの話題は豊富で、陽子も驚いている。しばらくすると二人の間には誰も入り込めない暖かい雰囲気が形成されていたのだ。
 ある日雄二が言うことに、自分も陽子の出現がおぼろげに分かっていたらしい。しかしそれは陽子のように顔を見た瞬間思い出したというものではないらしく、しばらく経ってからだというのだ。さらに夢で見たであろうことがまったく記憶にない陽子と違い、夢の内容を大体思い出したというのである。
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次