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短編集2(過去作品)

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 恭子との話はいつも世間話から始まる。その日までにあったことの他愛もない話から入るのだが、どんなに他愛もない話であろうとも私には貴重な時間だった。恭子の顔からはいつも笑い声が漏れ、それを見ているだけで私の顔も自然とほころんでくる。金で買えない時間があるとすれば、こういう時のことだろう。
 しばらくの間、間違い電話は掛かって来ず、最初の二、三回だけだったので、すっかり忘れかけていたそんな時だった。
「柿崎陽子さんのお宅ですか?」
 今度の声はまさしく男である。その声に聞き覚えはなく、機械で作られたような裏で高音が響いてきそうな気持ち悪い声で、喋り方もまるで催眠術に掛かったような棒読み状態だった。あまりにも感情がはいっていないため、こちらもまるで幽霊にでも話すように「いない」と答えた。男は一瞬うっと呻いたかと思うとすぐに電話を切ってしまい、気持ち悪さからか私はしばらく受話器を耳にあてたままでいた。
(それにしても柿崎陽子というのは一体……)
 またしても頭の中に優子のイメージが浮かぶ。
 私は一度優子のことが好きだと告白したことがあった。それはずっと付き合っていた人と別れたという噂を聞いた時だった。まるで火事場泥棒のような気がし、普段であれば絶対告白などしない私だったが、今から考えてもあれが最初で最後となる気がした。
 彼女は私の告白に少なからずの驚きを示していた。彼氏がちゃんといて、別の次元で私という友人がいると考えていただろうから、それも当然のことだ。
「ずっと以前から?」
 告白を聞いた彼女の最初のことばだ。
「最初は違ったが徐々に」
 そう答えたが自分でも自信がない。確かに思いは徐々に強くなっていったが、本当の気持ちは最初からだったようなきがして仕方がない。
 優子の返事は「ノー」だった。柔らかい口調での変じだったが、その時の返事に対する印象はあまり残っていない。その瞬間だけ私の目は体から離れ、第三者として見ていたからだ。悲劇のヒーローを他人事としてみているのは、自分がパニックに陥った時の特徴でもあった。
 しかし優子が最後に言ったことばだけはよく覚えている。
「あなたのことが好きだと言うのは簡単なことだけど、それだけは絶対にできないの。私には本当のことを嘘で隠すなんてことはできないわ」
「どういうこと?」
「私あなたのことは嫌いじゃないわ。むしろ好きなくらい。でも百のうち一つでも好きになれないところがあれば、やっぱりその「人が好きじゃないのよ」
 そう言われてしまってはもう何も言えなくなってしまった。今後友達として付き合って行こうかとも考えたが、それではあまりにも辛い。私も自分の気持ちに嘘をつきながら接することが苦手なのだ。結局お互いぎこちなくなり、会話もほとんどなくなって行き、次第に大学を卒業するまでそんな優子のことが気にならなくなっていった。

 私が恭子を意識し始めてそろそろ一ヶ月が経とうとしていた。さすがに最初の頃は仕事が終わってからの生活が待ち遠しく、今までと違う人生をあれこれと模索してみたが、今はそこまでない。しかし今までの私にこの日課がなくなったらという思いは一切なかった。
 仕事が少しずつ忙しくなっているせいか、最近では毎日というわけには行かない。恭子との会話にも沈黙の時間が増えてきて、かえって毎日ではない方が新鮮だ。だが私が喫茶「キャッスル」に行く時、相変わらず客が誰もいないのは不思議だった。
 その日の私には不思議な予感があった。昨日までの恭子の顔が目を瞑れば浮かんでくるのに、今日は喫茶「キャッスル」にいる恭子のイメージが湧いてこないのだ。そういえば昨日気にもならなかったが、今考えると今まで見たこともないような寂しい顔だった。
 今までとは違うイメージだった昨日の恭子が頭の中を支配している。なぜそのことに昨日気付かなかったのだろうと考えたが、「キャッスル」の中で二人きりというそんな考えを麻痺させる雰囲気があるからに違いない。
 白壁に包まれた店内が、さらに明るく暖かく感じる。テーブルにもカウンターにも客が入り、さながらファミリーレストランのような雰囲気の中ではBGMはクラシックではなく、ジャズが流れている。ところどころから聞こえる話し声から響くのは女性の黄色い声であり、明るく暖かく感じるのは黄色い声が和音となって店内に響き渡っているからかも知れない。
 カウンターの中にいる店員も一人ではなく、三人はいる。女性もいれば男性もいるのだ。それは明らかに私の知っている喫茶「キャッスル」ではなくなっていて、目を瞑って浮かんでくる光景は以前のものでしかなかった。
 果たして私の想像は当たっていたのである。会社の帰り道で遠くに見えていた「キャッスル」はいつもより確実に明るかった。近づくにつれ、店内からの笑い声が聞こえてきそうな気がして、喧騒な雰囲気が目に浮かぶようであった。その声は近づくにつれ大きくなり、そのまま店内へと直結していく。
 扉を開けると、白壁に覆われた馴染みの構造風景が飛び込んで来た。しかし今目の前に広がっている光景は想像の中だけのもので、実際に見たこともないものだった。入り口で一瞬足が止まり、中に入ろうとするのを許さないもう一人の自分がいるような気がしたが、それでも目はしっかりと空いている席を探している。そしてその中に恭子がいないことが分かると、なぜかホッとしていた。
「いらっしゃいませ」
 恭子のそれにくらべて明らかに事務的に聞こえる。これだけ客がいればそれも仕方のないことなのだろうが、逆にその方がさっぱりとしていいかも知れない。まったく違う店に始めて来たと思えばいいのだから……。
 しかしそんな思いも長くは続かなかった。恭子と一緒に話していればすぐにでも経ってしまう一時間、それが今日はまだ十分も経っていないのだ。カウンターに座った私は中にいる女の子に話し掛けてみたが、皆片手間に適当な相槌をうつだけで、まともに相手などしてくれない。話し掛けているこっちが苦痛になってきて会話はすぐに終わってしまう。
 仕方なく入り口の奥にある雑誌を持ってきては読んでいたが、時間が経たないのは相変わらずで、注文したコーヒーもすぐに飲んでしまった。
(まあ、こんな日もあるか)
 残念という思いもないではないが、内心ホッとしている。いつもであれば「キャッスル」
に入る前からすでにその日の会話のシュミレーションは出来ていて、それがゆえにスムーズに話も進むのだが、今日のように一切のイメージも浮かばなければ恭子と対峙して五里霧中どうしていいのか分からずぎこちないはずである。それを思うとぞっとするのだ。
 何となく消化不良状態だったが、気分的にはスッキリした一日だった。それを思うと日課として恭子と話すようになった毎日が昨日のことのように思え、朝夕めっきり涼しくなって秋に向かおうとしているこの季節が漠然と過ぎていく気がしてくる。
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次