短編集2(過去作品)
その時は明らかに自分を文豪と呼べるほど想像することが好きな性格だが、学生時代は同じような想像力豊かな友人と、夜を徹して話したことがあった。そんな私の想像はさらに飛躍する。
(優子と恭子が知り合いだったらどうだろう)
性格的には合いそうな気がする。お互いしっかりしているが相手に対してしきりに気を遣う心配りがあり、、優子に対してはこの私が太鼓判を捺すほどで、恭子にしても約半日ではあったが、彼女の心配りをしるには十分すぎるくらいの時間であった。さらに自分の待ち続ける人のイメージがはっきりとしたシルエットとして浮かぶと言っていたが、記憶の中の優子にも確かにそんなところがあった。はっきりとその口から聞いたわけではないが、たえず誰かの出現を待ちわびているのは事実であった。
(多分、優子のイメージの中に私はいなかったであろうが)
運命的なものをいつも感じているといっていた優子の気持ちは学生時代にはなかなか理解できなかったが、今こうして考えると何となく分かって来た。
次の休みの日の行動はすでにその日から決まっていた。仕事をしながらでもその日が近づくにつれ、あれこれ頭の中で思い描いていた。それにより仕事がいつもよりうまくさばけ、時間も短く感じるのは皮肉なことだった。しかしあっという間の一日だったはずが、思い返した昨日のことがかなり前だった気がするのはおかしなものだ。
その日の喫茶「キャッスル」にも車は一台も止まっておらず、いつもより足早に近づくと急いで店内に入った。息を切らせている私を見て、洗い物をしている恭子は少し驚いている。洗い物をしていた手をタオルで拭くと、目の前に並べられたきれいなグラスを一つとり、大急ぎでお冷やを入れてくれる。店内を見渡し、他に誰もいないことを確認すると、カウンターで座ると同時にお冷やを一気に飲み干した。
「おいしい」
グラスを置き、落ち着いてくると少しずつ店内の様子が分かって来た。
その日の店内もBGMとしてクラシック調のオルゴールが流れている。この間来た時と何ら変わりはない。違うとすれば、お互い初対面ではないということだけだった。
いくら初対面ではないとはいえ、二人きりになってから話すきっかけを探すのは却って意識があるだけ余計に難しい。モーニングセットを注文したので彼女は忙しく振る舞っている。そんな中でも時折こちらを微笑んでくれる彼女の視線を感じると、自然と顔を上げ微笑んでいる自分に気付く。新聞を読んでいるといってもそれほど真剣に読んでいるわけでもなく、彼女の視線を感じるのは容易なことだった。
なかなか会話のきっかけを掴めずにいたので、つい口から出てしまったのがこの間からの間違い電話の多いことだった。
「そうなんですよね、間違い電話って嫌ですね。何が嫌って、掛けた本人も掛かって来た方のいい気がしないことですよ。掛けた方は恐縮する一方だし、掛かって来た方にしても相手に恐縮されては苦笑するしかありませんものね。まあ、それを聞いて掛けた方もさらに恐縮するかも知れませんけど……」
「気まずい雰囲気っていうのはそういうことなんでしょう。完全に堂々巡りをしてしまいます」
「うちみたいなお店だったら形式的な会話で終始するんでしょうけど」
「でも妙なんですよ。今まで一度もなかったのに、ここ数日続くんです」
「同じ人からなんですか?」
「いつも女性の声なんですが、何とも言えないですね」
「そういえば私も間違い電話が続いたことがあったわ。いつも相手は男の人で、どうも女の人を探しているみたいなんです」
「それはいつ頃ですか?」
「そうですね、半年くらい前じゃなかったかしら。気持ち悪くて誰にも話さなかったんですけど、一週間もすればピタリと止まりました。でも不思議なんですよ。それから誰か私にとって大切な人が現れそうな予感が強まったんです。毎日がウキウキしていました」
「その人は現れましたか?」
「いいえ、結局そのままで、頭の中からその人のイメージが消えていくにしたがって思いも次第に薄らいで行きました。今ではどんな人をイメージしていたかさえ、覚えていません」
そう言って彼女は少しはにかんだ。その表情が可愛らしく、つられて微笑んだ自分に気付く。
彼女の話を聞いているうちに私も次第に柿崎陽子なる女性のイメージが強くなっていった。それはどうしても学生時代に好きだった優子のイメージを拭い去ることはできないもので、今の私にとってイメージできる女性がどうしても彼女だということは仕方のないことのような気がする。少し情けなくなってきたが、やはりまだ彼女に未練があるのだろう。
しかし今の虚空のイメージより、実際目に見える女性の方が深く心に残っている。確かに恭子という存在がなければ優子のイメージが頭の中を支配していただろう。しかし優子を思い出すことで性格的にダブッて見えるところの多い恭子の存在は、さらに私の中で大きくなっていくのである。
かなり飛躍した発想であるが、「どこかで会った気がする」と言った恭子のことばもまんざらではない気もしてきた。そこには二つの発想があり、一つは恭子に間違い電話をしている男のイメージは、ひょっとして私ではないかという思いである。もう一つは優子と私とは知り合いであったが、それ以上ではなかった。優子がもし恭子の立場で、私と似ているタイプの人と数年後にバッタリ出会ったらどうだろう。はっきり相手に対して記憶に自信がないことで、出てくるせりふは決まってくるのではないだろうか。恭子にもかつて私と優子のような関係にあった男がいたとしても不思議ではない。そう考えるとなぜか嫉妬心が浮かび、恭子に対する愛おしさが深まってくるのだった。どちらにしても自分に都合の良い発想である。
太陽を背に立っている人のシルエットを見ているような気がする。顔はもちろんのこと、体型だけがぼんやりと浮かび上がり、実際の大きさは分からない。しかし目に焼き付いているのは実際の大きさよりはるかに大きなものであることは間違いない。
私はそれから会社の帰り毎日のように喫茶「キャッスル」に寄るようになった。少し遅い時間帯であってもカウンターには恭子がいて、不思議なことにいつも他に客はいないのだ。最初の頃こそ気持ち悪さがあったが、次第にそれが当たり前のように思えてくると、カウンターを挟んで楽しそうな会話をする二人が他人のように思えた。客観的に見ても楽しそうに見える二人を、仕事中に思い浮かべるのも最近の楽しみの一つである。
いくら楽しいこととはいえ、パターンにはまった生活というのはあっという間だ。気が付けば二週間などすぐに経っていて、忙しかったプロジェクトの仕事も過去のものになりつつあった。その時は充実した仕事に満足していたが、今度またおなじようなプロジェクトの仕事が入り余裕のない仕事を強いられると、果たしてそれを充実感で向かえられるか自信がない。
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次