短編集2(過去作品)
恭子は私のことを聞いてきた。あまり難しい話をするわけにもいかず、職種と最近終わったプロジェクトのことを軽く話すつもりだったが、大学での専攻がどうもそちらの方らしく、鋭い質問が返ってくる。こうなればこちらも遠慮することはない。自分の得意分野同士、話に花が咲くのも当然で、さぞかし店内では声高らかに激論が飛び交っていたに違いない。
気が付かない間に時間は刻々と過ぎていく。客が一向に現れないのは不思議な気がしたが、それが自分の思惑通りなのでそれほど気にすることもなかった。
話も一段落し、気が付くと日は高くなっていた。少し落ち着いてコーヒーを口に運ぶ私を見て、恭子も自分の仕事に精を出している。洗い物をしているのを見ながら次の話題を考えていたが、恭子の方から、手を休めることなく視線を落したまま呟くように話し掛けて来た。
「私、これでもロマンチストなんですよ」
「ほう、どういう意味で?」
「私、いつも誰かを待ち続けている気がするんです。それが親友であったり、恋人であったりするんですが、漠然と待っているんじゃないんです。はっきりとしたイメージがあって、頭の中にシルエットのように浮かんでくるんです。多分そのシルエットに当て嵌まる人が現れれば、私にとってその人が運命の人に違いないんです」
確かに親友や恋人というものをイメージすることは誰にでもあることだ。私だって例外ではなく、そんな出会いを待ち望んでいる一人である。しかしそれは漠然としたものであって、出会ってから初めてその人のことを判断し、次第に仲良くなって行くものだが、恭子の場合は違うようだ。
「夢にでも出てくるの?」
「夢なのかも知れない。でもはっきりとシルエットのようなものが浮かぶんです」
「今までそう思って出会った人はいるの?」
「ええっ。高校の頃、この人は、という人が私の前に現れたんです。その人は女の人で、すぐに自分の親友だと思いました。私たちはすぐに仲良くなったんですが、不思議なことにその人も最初から私のことを親友として意識していたらしく、お互いに驚いたのを覚えています。それで余計、私の中のそんな思いが確信と思えるようになったんです」
「そうですか。でも自分にはそんな経験はないですね。多分それは限られた人だけが持つ潜在意識のなせる業かも知れませんね」
「私もそう思います」
彼女が高校時代同じような思いを持った人と出会ったというのは偶然だろうか。いや潜在能力を持った人たちだからこそ引き合うものがあるのかも知れない。
恭子は私が店に入って来た時、私と一度会ったことがあるようなことを言っていた。ひょっとして恭子のいうところの「この人」というシルエットがこの私だったらということを意味しているのだろうか。かなり虫の好すぎる話には違いないが、恭子の話しを聞いているうちに、次第にそう思うようになって行った。
私が恭子に対して特別の思いを抱くようになったとすれば、この時だったのだろう。第一印象が好印象だったこともあり、さらに思いは高揚していく……。
結局昼過ぎまでその店にいた私は、中途半端な時間であることに気付き、家へと帰った。途中のコンビニエンスストアーで酒とつまみを買い込み、中途半端な過ごし方を知らない私は、部屋でテレビでも見ながらゆっくり過ごすことにした。
休みの日というとどうしても気が抜けてしまうせいか、テレビを真ながら睡魔に襲われ、気が付くとウトウトしている。気持ち良くなってくると肘が折れ、すぐに目が覚めてしまい、ほとんど時間がたっていないことに少し苛立ちを感じるようになった。
真剣に寝てしまいと因るが眠れないと思い、布団に入っての昼寝には抵抗を感じる。夜寝ようとして眠れないのが一番辛い。
ウトウトしながらの半分夢心地の中、頭の中に浮かんでくるのは恭子のことだった。彼女を目の前にして話している分にはどうしても初対面としてしか思えないが、こうして母親のお腹の中にでもいるかのような夢見心地になると、以前から知っていたような気になるのは不思議だった。
最初こそ眠そうで眠れないという感覚が気持ち悪かったが、それも慣れてくるとあまり気にならなくなってきた。そしてたえず気になって見ていた時計も次第に見なくなり、気が付くと夕方近くになっていた。
付けたままあまり集中して見ていなかったテレビ番組も午後のワイドショーから夕方の再放送ドラマの時間帯に変わっていた。オムニバス形式で三十分完結の短編ドラマで二本組みとなっている。以前は人気があったホラーの物語で、今日の私のように、休みの時に見るには連続ものでないこういうオムニバス系はちょうど良かった。
ドラマの内容は取りたてて興味を示すようなものではなかった。しかしドラマの中で主人公が公衆電話に入り、どこかに電話しようとプッシュボタンを押すシーンがあった。その時である。私の頭の奥で電話の呼出音が鳴り響いているのに気が付いた。最初はかなり篭っていて、それが何なのか分からなかったが、次第に家の電話の呼出音であることが分かってくると、見ていたはずのドラマが目の前から消え、すべてがやみに包まれていた。どうやらいつのまにか眠ってしまっていたようだった。
目を開けようとする私の耳に、電話の呼出音だけがはっきりと響き、意識がはっきりとしてくるうちに、今まで見ていたドラマが夢だったことに気付き始めた。しかしそれも一瞬にして悟ったことで、耳に残る呼出音だけが、紛れもない現実だと気付いた私は、反射的に受話器を取っていた。
「もしもし」
「あっ、あの……。そちらに柿崎陽子さん、いらっしゃいますか?」
電話の声は女のようだが、明らかに朝聞いた声とは違っていた。しかし、やはりおどおどした喋り方をしている。
「いいえ、おりません」
一瞬、受話器から溜め息が聞こえた。
「すみませんでした」
落胆している声の主の表情が目に浮かんできそうである。彼女はそういうと、すぐに電話を切った。
目はある程度覚めて来たが、私の頭の中はまだ釈然としていなかった。どこからどこまでが夢なのか、自分でもよく分からない。夢というのは不思議なものである。目が覚めるきっかけになることを往々にして夢の最後に見るからである。電話の呼出音で起こされるのに、最後に電話を掛ける夢を見るというのは偶然であろうか?
(夢というのは人間の潜在意識の中にある予知能力が見せるものかも知れない)
そんな思いが頭の中に浮かんでくるのも、不思議のないことである。
それにしてもおかしなことだ。一日に二回の間違い電話、しかも同じ人間を探している。偶然で片付けられるものではない。ひょっとして今がまだ夢の続きではないかという気さえしてくる。
それにしても柿崎陽子という人はどんな人なのだろうか? 今まで聞いたこともなく今日になって二度も聞くことになった女性の名前、意識するなという方が無理というものである。
名前だけでその人をイメージすることはなかなか難しく、所詮無駄な努力なのだろうが、なぜか彼女に対しては浮かんでくるものがある。ポッチャリ型で、頬にいつもエクボが浮かんでいそうな笑顔が印象的な女性、そう学生時代好きだった優子のイメージだ。
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次