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短編集2(過去作品)

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 駐車場に一台の車のなかったことが、私をさらに嬉しくさせた。なるべくなら客のいないところでゆっくりしたいという思いで一杯だったからである。すでに私の気持ちは店内にあった。
 重々しい駐車場の鈴の音を思い浮かべていた私だったが、扉を開けた瞬間、耳に響いた軽やかな風鈴の音にまるで最初から思い浮かべていたかのように違和感はなかった。
 想像していたとおりの店内であることは、喜ばしいことだった。表から見た清潔感そのままに、壁に数ヶ所懸けられた照明は白を基調とした店内に光り輝いて見える。店内にやはり客は一人もおらず、私が今日一番客だと思えることも嬉しかった。
「いらっしゃいませ」
 奥のカウンターから覗き込むように女の子が一人、洗い物の途中なのか、手を動かしながらこちらに微笑みかける。その笑顔は店内に流れるオルゴールのメロデイーのようにさわやかで、思わず微笑み返している自分に気付く。私はその笑顔に引き寄せられるように彼女の前のカウンターに腰掛けたが、腰掛けてから見渡した店内は入って来た時に感じた広さよりさらに広く感じた。
 洗い物を途中でやめ、メニューを手渡す彼女の手は細く真っ白で、店内の広さからのさっかくとも思えたが、メニューを受け取った時の自分の手と見比べると、それが錯覚であることはすぐに分かった。自分の会社の女性事務員のことを思い浮かべ、思わず比較してしまう自分が恐かったが、やはり今までであったことのないタイプの女性であることに間違いない。
 ずっと微笑んでいる彼女の視線の先にたえず私がいて、メニューを見ながらでもそれが気になりチラチラと見上げると、目が合った彼女はさらに微笑み返す。私もつられて微笑むので落ち着いてメニューも選べないが、それはそれで自分にとって素敵な時間だった。邪魔物はおらず、このままずっと続くことを心の中で願っている。
「あの、どこかで一度お会いしたことがありますよね。どこでしたっけ?」
 彼女は私の顔を覗き込むように言った。無邪気さの中に真剣さのあるその表情はまだ幼さが残り、見詰められドキッとしている私はまだ十代のような気がする。
 私は記憶を振り絞るように頭の中を整理したが、記憶の箱に彼女は出てこない。
「そうですか、すみません。私の方の記憶はさっぱりですね」
 そう言って恐縮がる私を、さらに真剣な目で見詰めるので、私の顔も真剣そのものになっていることだろう。
「ごめんなさい。やっぱり思い違いかも知れません」
 その一言でやっと解放された気がした私は、初めて彼女の前で笑った。もう彼女はそのことについて触れようとはしない。
 彼女との会話は思ったより弾んだ。あまり女性と二人きりになることのない私は、彼女を女性として意識していないかのような饒舌ぶりであるが、もちろんそんなことはなく、短いようでもカウンター越しという感覚が程よい距離として感じられるからに違いない。
学生時代私のことをナンパな男と思っていた人もいただろうが、、それはほとんどが男性で、話しかけるきっかけを掴むのはうまいが、いざ仲良くなるとそこから失速するという私の本性を知っている女性はもっと冷ややかな目で見ていたに違いない。
(ボーイフレンドとしてはいいけど、恋人としてはね)
 そんな独り言が聞こえて来そうだが、自分の本性になかなか気付かなかった私には辛い時期であった。今までうまくいっていた人が手の平を返したように豹変するからである。女性というものは私が考えているよりもずっと現実的な動物なのだという結論を悟るまで何年掛かったであろう。おかげで最近は女性の裏側ばかり見るようになり、そんな自分に嫌気が差して来た。そういう意味でこれほど会話が弾んだのも本当に久しぶりだった。
 何を話しても新鮮な笑顔が返ってくる。営業スマイルかも知れないが、今日はそれでも良かった。
 自分のまわりにいる人との会話であれば、多分愚痴が多くなるはずである。仕事の話にしても同じように思っている人たちばかりなので、今さらそんな話はしたくない。しかしまったく知らない人に分かりやすく話そうとして、それを一生懸命聞いてくれるのを見ると話しがいがあるというものである。時間があっという間に過ぎていった。
 彼女、名前を恭子というらしく、普段は大学生である。ここのアルバイトも平日は夕方からほとんど入っているということである。
「大学は楽しい?」
「ええっ。女子大なんですけど近くに他の大学があるので、そこの男子学生との交流が深いんですよ」
 そういえば共学の中での女子大生と女子大の中での女子大生とでは華やかさは後者に軍配を上げたい。女子大という言葉が密かなラビリンスを頭の中に思い浮かべるのかも知れない。
「女子大っていう響きがいいね」
「そうですか、結構いろいろあるんですよ、女同士だと。でも私、女性の友達が多いんですよ。なぜかいつも聞き役にまわっていて、話しやすいみたいなんですね」
 彼女といると安心感を感じるのだろう。かくいう今の私もそうである。
 今、私は自分の大学時代を思い出している。なかなか恋人のできない時期があり、いろいろアタックしてみたが、たえず心に想っている人がいた。その人には彼氏がいたが、そんなことすら最初の頃は気付かなかった。しばらく友達として付き合っていたが次第に気になり始め、さらに彼氏の存在を知った瞬間から、その想いは頭の中の確信に変わっていった。
 いままでであればアタックした人に彼氏がいると分かればさっさと諦め、人のものを奪うなど自分にはできないと正義感に燃えていたが、それも自分に対しての自信のなさからであった。いや、自分がされるのが嫌だという思いだったのかも知れない。
 名前は優子といったが、彼女だけは別だった。学生時代に本当に好きになった人がいるとすれば、彼女だけだったであろう。
 そういえばあの時の彼女に恭子が似ていなくもない。顔のかんじからではなく微笑んだ時の表情や、真剣になった時の表情にドキリとするのは、優子の面影をみているからだろう。
 ふくよかに微笑みを浮かべていたポッチャリ型の優子と違い、恭子はどちらかというと痩せ型だ。小柄な体つきは献血の体重制限で引っ掛かりそうなくらいに華奢である。喫茶店のカウンターの奥は客を見下ろさないようにすため少し低い位置にあるが、それを考慮に入れてもかなりな小柄であることが分かる。多分百五十センチあるかないかくらいであろう。
 私の好みの多くはポッチャリ型だった。元々、顔の表情などから性格を判断し、好き嫌いの対象としていた私は、美人タイプが苦手だった。最初からコンプレックスも感じていたが、冷たいタイプにしか見えない美人タイプは自分の範疇ではないという偏見のようなものを持っている。それは今も変わっているわけではなく、小柄な恭子を可愛らしくいとおしいと思い始めても、それは不思議のないことだった。
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次