短編集2(過去作品)
しかしいつ頃からであろうか、二人が急に口を利かなくなり、邪険なムードに陥ったということである。二人の仲の良かった頃のことで、興味のある意見も聞けたらしい。あまり露骨にならぬよう言葉を選びながら刑事が話したが、それでも肝心なところになると少し言いにくいのか、咳払いをしている。
「藤本美樹が大谷良美を見詰める目は普通じゃなかったようですね」
敦子は一瞬ハッとした。自分が美樹に感じた思いと同じではないか。そう言われてみれば美樹には女から見ても魅力的に思えるところがある。しかも性格的に従順で、自分一人のものにしておきたいという衝動に駆られるのだ。
しかし刑事は言う。銀行に勤めていた頃の美樹は敦子の知っているものとはかなりかけ離れている。まず男とはほとんど口を利くことがなかったようである。仕事上のことで話をしたことがあるという男性社員の話ではいつも見下すような喋り方で、向こうの話したくないという思いが態度に出ているところが、嫌なところだと話している。この会社に来て気軽に男性社員と談笑する彼女からは考えられない。
さらに勤務態度もひどいものだったらしく、特に辞める前など何をやらせても中途半端で、言いつけられた仕事すら満足にこなしていなかった。
敦子は美樹が入社して来た頃を思い出した。信じられない話の連続に理解の許容範囲を越えていたが、冷静に考えれば、そこに美樹の強かさが見えてくるような気がした。
(勤務態度に関しては、カモフラージュではあるまいか)
どうしても会社が嫌で、仲間が嫌で会社を辞めたと思わせたい……。敦子には分かっていた、彼女が会社を辞めた本当の理由は大谷良美との関係にあると……。
敦子は確信した。大谷良美という人が殺されたのであれば、殺したのは美樹か、そうでないにしてもその死に重大な関わりがあるのは明白である。それはいつも電車の中で見かける女だと思っていた人が、実は美樹だったということから得た敦子の結論だった。
その後刑事からもたらされた情報は、敦子にとって別に驚くべきことは何もなかった。美樹と会ったことのない刑事がただ人の噂に色を付けただけの情報などたかが知れている。今は重要参考人として行方を追っていると言っていたが、別に気になることではない。
そういえば美樹と一緒に事務所を掃除していて感じた他人の視線、あれは電車の中で感じたあの視線と同じであった。一緒に掃除しながら美樹は敦子を見詰める時だけ、電車の中の男になっていたのだ。自分の体から目だけが離れ、別の角度から一人の女を見詰めていたのだ。本人である美樹に、その感覚はなかった気がする。
美樹はいわゆる二重人格者である。しかしジキルとハイドのようにその時々でどちらかが顔を出すのとは少し違い、同じ時間に両方が顔を出すという特殊なもののようだ。それが事務所の掃除の時のもう一人の視線なのだろう。しかし頭の構造はそれほど複雑ではないのか、本人にはどちらか一人しか認識できないのだ。なぜなら今朝敦子の視線を感じた美樹は途中から明らかに変わったからである。
美樹は大谷良美と女性同士の関係にあったに違いない。ひょっとしてそんな関係になることで今まで眠っていた美樹の中の男としての部分が目を覚ましたのかも知れない。それを徐々に感じた良美はそんな美樹を敬遠するようになり関係がギクシャクし始め、結局美樹が銀行を辞めた。それでも美樹の男の部分が良美を忘れられず関係を求めたところ、相手を殺してしまう……。当たるずとも遠からじといったところであろう。
(美樹が私の前に現れることは二度とないだろう)
敦子はそう感じた。しかしそれは自分の前だけではなく、誰の目にも触れることのないことを意味していた。
それから三ヶ月がたった。
敦子は会社を辞め、最近違うところへ勤め始めていた。以前勤めていた会社より小じんまりとしているが事務員は多く、販売会社のため昼間男性社員は皆出払っていて、事務所には女性だけが残っている。それだけに女性事務員の中にはどの会社でも見られるような派閥が存在し、ここにもその中のどこにも属さず一人ポツンと離れた女性事務員がいる。
ある日残業となり、彼女と二人きりで事務所に残った時のことである。
その時敦子は、はっきりと分かった。電車の中で男装した美樹が自分の視線に気付いた時、なぜあれほど驚いたかをである……。
そして敦子に彼女は呟いた。
「誰か男の人に見詰められている気がして、仕方がないの……」
( 完 )
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次