短編集2(過去作品)
自己嫌悪に陥る時というのは、得てして物事を楽観的に考えがちになる傾向にある。楽観的に考える反動として、辛いことがあってもそれは自分に起こっていることではないという現実逃避が頭を擡げ、頭の中の理想や正義というものとかけ離れた自分を発見することがある。ふと我に返った時、自分で自分が許せない時もあるのだ。
美樹が仲間と思っていた一つの理由として自分の持っていないものを彼女が持っていて、それが新鮮に見えたからだと思っていた。美樹の品行方正さはもちろんのこと、他にもいろいろあったはずだ。その品行方正さが自分から離れていく原因となったと思い始めてから、他のいろいろなことが何だったか忘れてしまった。それにより自分にもっていないものを彼女が持っていたということが、逆に彼女も自分と同じタイプの人間ではないかと思える伏線となった。品行方正というところが明らかに違うだけで他は一緒と考えるとそこに浮かび上がってくるものは自分で、客観的に見える自分と同じように美樹に対しての許せない部分もはっきりしてくる。
その一つとして、話をしなくなったことで美樹を避け始めたことに対し、当の美樹も露骨に不快感をあらわにさせ始めたからだ。自分から招いた結果で文句の言える立場でもないが、当事者として自分を見ている時の敦子にそんな常識は通用しない。美樹の入社前より孤独感はひどくなった。
しかし事実は美樹にそんなつもりはなく、すべては敦子の思い込みであった。敦子は自ら墓穴を掘っていた。
そのうちにどこからか美樹を中傷するような噂が敦子の耳にも飛び込んで来た。刺激欲しさの熟年女子社員の根も葉もない噂として片付ければそれまでだが、やり玉にあがった美樹の立場は微妙だった。尻軽女として罵られたそんな噂を真に受けた男性社員がその気になっているのも事実だ。思ったより芯の強そうな美樹なので大きな問題とならなかったが、これがもし自分だったらと背筋が寒くなる敦子だった。
しかし一旦こじれてしまった仲なので、敦子には美樹がそんな噂を立てられてまんざらでもないように見えて仕方がない。芯が強そうに見えるのも敦子にすれば可愛げなく見えてきて、余計憎らしく思えてくる。
敦子にとって美樹がどうでもいいという存在に思えるようになるまでに少し時間が掛かった。それは敦子にとって屈辱とも思える期間であったが、自分が一段階成長したと思える時でもあった。
その頃から頭を支配していた美樹の存在とは別に、他の人が少しずつその隙間に入ってくるのを感じた。それは最初こそ意識はなかったが、時間が経ちそのことに意識が及んだことを自覚するに至って、自分でその気持ちを制御することができなくなっていた。
その日敦子はある決意の元、目を覚ました。
今までは頭の中に美樹の存在があったためか、目覚めはさして苦にならなかったのは、夢から現実に引き戻される一瞬さえ乗り越えれば後はウキウキした気分になれたからである。毎日が楽しい時というのはそんなものだろう。
毎日が憂鬱で平凡な人生を送っている時は、楽しい夢を見ている時など、目覚めてしまったことに後悔を感じ、嫌な夢を見ている時は結局寝ても覚めても悪夢から逃れられないという現実を知るだけだ。夜寝る時が一番楽しく、せめて夢の中だけでも幸せでいたいという気持ちが影響しているのだろうが、起きた時、見るんじゃなかったという思いも否定できない。
その日の敦子の心境はどちらでもない。夢がどんなものであったか、そんなことは関係ない。どんな夢を見たかさえ、すぐに忘れてしまったくらいである。必然的に夢から現実に引き戻される瞬間の嫌な思いなどなく、一番すっきりと目が覚める時であった。
そう敦子はその時見た夢をあとではっきりと思い出すことになるのだが、その時の心境で見るような夢ではなかったのである。
いつものようにオーブントースターでパンが焼けるのを待ちながらコーヒーを飲んでいたが、普段であればテレビのスイッチを入れ朝のワイドショーを見るところ、今日に限ってそんな気にはなれない。部屋の奥に置いてあるステレオのスイッチを入れるとFM放送によるクラシック音楽が流れている。バッハの「G線上のアリア」であった。
今までなら朝からクラシックなど眠くなるばかりで嫌だったが、その日は自然に受け入れられた。曲が「G線上のアリア」だったからであろう。それにしても眠気を誘いそうなメロデイーだ。
しかし元々敦子はクラシック音楽が好きである。学生時代ブラスバンドでフルートを演奏していたこともあってか、クラシックを聞くと当時を思い出す。賑やかな曲もいいが、どちらかというと静かめの曲が好きだったので、「G線上のアリア」は好きな曲の一つである。
曲を聴くといつも感じるのだが、初めの方、大体どのあたりの演奏かを意識しながら聴いていてもラストが近づくにつれ演奏時間に対しての感覚が薄くなってくる。いつがラストかはいつも聴いていて分かっていても時間の感覚がいつの間にかなくなっている。静かな曲であるがゆえに強弱が少なく、インパクトに欠けるからだろうが、それだけしみじみと曲に引き込まれていくのだろう。敦子が「G線上のアリア」を始めしみじみとした曲が好きなのはそういう雰囲気に浸っていたいという気持ちの表われだろう。
曲を聴く楽しみの一つとして耳から曲を聴きながら今までの思い出や勝手な自分よがりな想像を思い浮かべることができるからことにある。目を瞑ることなく、耳に神経を集中させるようなこともしない。勝手に耳から入った音楽を勝手に思い浮かべると目の前に広がってくるのだ。敦子はそれを自分の感性だと思っている。そしてこういう世界を思い浮かべることのできる時の自分がとても好きである。
その日の敦子はどうしたことであろうか。思い浮かべるのは美樹のことばかりである。今一番考えたくない人、考えれば考えるほど腹が立ってくる美樹のことが思い浮かんだ。本来であれば別に思い浮かべたいことがあるはずなのに、意に反して思い浮かぶのは美樹の顔である。
その表情は淫靡に歪み、白い肌が眩しい。必死に打ち消そうとしている時、曲が終わり解放された。しかししばらくその挑戦的とも見える美樹の表情を忘れることができないだろう。
家を出ても「G線上のアリア」が耳鳴りとなって響くような気がしたが長くは続かなかった。駅に近づくにつれ次第に歩く人や車の数が多くなり、そんな賑やかで喧騒とした雰囲気に「G線上のアリア」は似合わないのだ。何かに急かされたように歩く人たちのスピードに呑み込まれて歩いていると、そこにはいつもの朝の慌ただしさが戻ってきた。
いつもと変わらぬ朝である。毎朝感じることであるが、歩く人たちのほとんどに見覚えがあるように思えた。昨日感じた時から丸一日たっているのに、数時間しかたっていないような錯覚を覚えるのも毎日のことだ。それだけまったく同じ環境で、同じことの繰り返しなのだろう。
作品名:短編集2(過去作品) 作家名:森本晃次