リセット
二十歳を過ぎていると思い、それでも少し幼さがあるように思えたが、それでも十八歳には見えなかった。彼女に対する幼さは、落ち着きを感じる反動で見え隠れするものだと思っていたので、落ち着きの方が断然強く感じられ、それだけ未成年には見えなかったのだ。
「未成年だったんだ。高校三年生?」
「ええ、卒業間近だったわ」
未成年ということよりも、楓には彼女が高校生だったということの方が強い印象を与えた。楓自身、未成年と成人との間よりも、高校生から短大生になった時の方が遥かに大きな差を感じたからだ。その差を知ることもなく死んでしまった。しかも、自らで命を断ってしまった。その事実は、楓を神妙な気持ちにさせるに十分だった。
高校生の頃の楓には、自ら命を断つなどという勇気もなかった。だから、ミチルに対して、自殺したことへの戒めを口にする資格など、最初からないものだということは心得ている。ただ、自殺しなかったのは勇気がなかったからだと思っていた楓も、目の前のミチルを見ていると、それだけではなかったように思えてならなかった。なぜなら、高校時代、自殺をしないまでも、自殺を考えることは、何度かあったからだ。
もっとも、今となっては、高校生の頃、
――自殺を一度も考えなかった人なんていないんじゃないかしら?
と思うようになっていた。それだけ高校時代というのは、楓にとって、グレーに近い、曖昧な精神状態だったように思えるからだ。
だからといって、誰もが皆同じ考えだとは言えないだろう。それでも、高校時代のまわりの皆を見ている限り、同じような表情だったのを、今でも思い浮かべる「ことができるからだった。
自殺をしようと考える時間が長ければ長いほど、その気持ちが強いというものではない。それだけ迷っているという証拠だからだ。楓はふと買い物をする時の気持ちを思い出していた。
――高いものや安いものを買う時よりも、中途半端な高さのモノを買う時の方が、結構迷うもの――
と、楓はいつも思っていた。
安いものを買う時は、迷うこともない。高いものを買う時は、買う段階になった時には、すでに買うという気持ちを固めている。中途半端な値段のものほど、迷いが生じ易い、それはたくさんの可能性を考えてしまうからだ。
――これを買ってしまうと、後でこのお金が必要になって足りなくなったらどうしよう――
あるいは、
――他のお店にいけば、同じものでも、安く売っているかも知れない――
などと、頭を過ぎると、なかなか手を出しにくくなってしまう。迷いが袋小路に入り込むと、まさしく可能性の問題が膨れ上がることになる。
――自殺を中途半端な気持ちでなんかできるはずない――
という気持ちがあるから、本当に自殺してしまう人は一握りなのだろう。実際に自殺をしなかった人は、自殺をしようと考えたことを思い出すなど、あまりないことのように思えていた。楓もミチルと出会わなければ、自分が高校時代に自殺を考えたことがあったなどということを思い出すことはなかったに違いない。
楓は、高いものを買う時のことを思い出した時、短大時代に付き合っていた男性を別れたのを思い出した。
付き合い始めた時、
「小説家を目指すんだ」
と言って、燃えていたのが印象的で、眩しく見えた。しかし、付き合っているうちに彼の口から出てくる言葉があまりにも軽すぎるので、おかしいと思って冷静に見ていると、彼の言葉のほとんどが口から出まかせ、適当なことを言っては、相手に信用を与えていただけだったのだ。
ウソをついているというわけではなかったのだが、安易に信用させるというのは、ウソをついているのと同じ。いや、もっとたちが悪いことなのかも知れない。楓はそんな彼に見切りをつけたが、その時彼の本性が見えた。
未練たっぷりにしがみついてくるような彼の態度に、完全に嫌気が差していた。そして、彼に対して別れを口にした時の自分が、すでに彼との気持ちを断絶していたことに気がついた。
――私に限らず、思いを口にする時というのは、すでに腹は決まっている時なんだわ――
それが女性一般に言えることだということをその時楓は知らなかったが、ミチルと話をしているうちに、そのことに気付き始める。ミチルを見ていると、自分を写しているように思えてならなかったのだ。
だが、その彼と付き合っていた時の短大時代というのが、本当に彼だけが悪いのかと言われると、そうでもないような気がしていた。
確かに彼は、小説家を目指すと言って、実際にすぐに挫折したのだったが、楓はそんな彼の表面上しか見えていなかったことに、その時は気付かなかった。
彼が楓に執着したのも、楓が彼の考えているよりも諦めが早かったからではないだろうか。楓は見えているところだけで判断していたのではないかとしか思えなかったのだ。それは、短大時代が自分にとてある程度有頂天で始まった時期であり、今から思えば喜怒哀楽の一番激しかった時期だった。それだけに、一つのことを思うと、それがすべて正しいという思いこみに駆られてしまうこともあったであろう。特に彼に対しての思いは楓の独りよがりだったとも言えなくもない。そういう意味では彼に悪いことをしたという思いを今は抱いていた。
彼は確かに小説家を目指していた。その途中で苦悩を繰り返していたのも、本当は分かっていたのかも知れない。だが、それも表面上しか見ていなかったので、彼の本心を見ようとしなかっただけだった。
そのため、彼に対して過大な思いを抱いていたのも事実で、少なくとも自分よりもしっかりしているという思いがあった。
しっかりしているという思いが少しでも揺らいでくれば、
――しっかりしていてほしい――
という思いにトーンダウンすればよかったのだろうが、いきなり彼に対して拒絶反応を起こしてしまったことで、自分の中にある思いが、どこに向かっているのか分からなくなってしまった。
楓は彼が、
「小説家を目指している」
と言った時点で、最初から過大な評価を自分の中に植えつけてしまった。それがそもそもの間違いだったのではないだろうか。思いこみは相手に対しての目線を違えてしまう。そのことに気付かなかったことで、彼にいきなり最後通牒を突きつけるようになってしまったのだろう。
ただ、別れてからすぐは、少し後悔もあったかも知れない。それを自分の中で納得させるためには、
――後悔などしていない――
と自分に言い聞かせることが大切だった。
彼とは、初めて付き合った男性であった。新鮮な気持ちで付き合い始めたはずなのに、その思いを彼の方が一方的に壊したと思いこんだ楓は、彼と別れてから、他の男性と付き合うこともなかった。
その理由の一つとしては、別れるのはいきなりだったのだが、付き合っている間、自分の中で、結構ズルズルと付き合っていたような気がしている。本当ならもっと早く別れを切り出していれば、いきなり別れるというような彼にとってスッキリとしない別れ方にならなかったのだろう。
それも、今から思えば、
――女性一般に言えることだったのかも知れない――
と感じることで、