リセット
と感じていた。
いつも表情を変えることもなく、涼し気に挨拶を交わすだけ、もっともそんな彼だから気になってしまったのだろうが、彼が会社にいる男性の誰とも違った雰囲気であることが一番気になった原因だった。
会社の男性は、両極端な人が多かった。
仕事に対して一心不乱で、女性に対して目もくれないような人なのか、それとも、仕事は適当で、社内の女性に対して、食指を伸ばすことに集中している人なのか、どちらにしても、楓から見ると、
――ギラギラした目を持っている――
としか思えなかった。
それが男だという意識が強かったので、同じマンションに住んでいた彼は、冷静で涼しげな目は、楓に新鮮な空気を与えてくれたとともに、男性に対してのイメージをあらためて考えさせられる相手でもあった。
――声を掛ける必要なんてない――
ただ、毎日の挨拶が新鮮であれば、それでよかった。
しかし、自分の気持ちとは裏腹に、ドキドキしたものがこみ上げてくる。それは無意識にこみ上げてくるものだったが、その正体が何なのか、楓には分からなかった。
新鮮な空気はいつの間にか、新しい風を思わせ、その風がどこから吹いてくるものなのか、考えさせられた。
その時、ふと感じたのは、短大時代に喫茶店で見た絵だった。
一瞬ではあったが思い出した絵の中で、コテージのイメージが頭の中を通り抜けた。そして、すぐに記憶の奥に封印されたのか、それから思い出そうとしても、その光景を思い出すことができなくなってしまったのだ。
それまでも、何度か思い出そうとして、思い出すことができなかった絵だった。思い出すのは突発的ではなく、定期的に頭の中でイメージしようと無意識に頭の中が反応するのだった。
思い出すことができないことで、
――思い出そうとすることは、きっと最初は記憶の奥から引き出そうとする無意識な気持ちがあったのだろうが、そこにはどうしても無理が働いてしまい、無理をすることで、せっかく引き出そうとした記憶を、また記憶の奥に追いやってしまう結果を招いてしまうのではないだろうか?
と感じるようになっていた。
無意識に感じたことは無意識のまま、無理をしない方がいいのだろうが、一度意識してしまうと、そうもいかなくなる。思い出せないことが焦りに繋がって、そのまま自分の存在価値すら疑問に感じてしまうほど、深刻に落ち込んでしまうほどであった。
彼のことを片想いでいれば、それでもよかったはずなのに、片想いという言葉を意識した瞬間に思い出した絵の風景を、どうしても思い出せないことで、楓は自分の中に無用な意識が働いた。
それが焦りになったのだろう。片想いという言葉を否定しようとしている自分がいることに気付いたのだ。
それは、拒否ではなく、否定だった。
拒否であれば、一時的なもので、また彼への気持ちを繋ぎとめることができると思うのだが、自分の気持ちを否定してしまうと、今度は一時的なものではなく、後戻りすることができない。
なぜ、彼への気持ちを否定しなければいけないほどになったのかというと、彼には付き合っている女性がいて、近く婚約をするという話を聞いたからだ。
――もし、自分が彼に気持ちを伝えていれば、こんな気持ちにはならなかったのに――
こんな気持ちというのは、もちろん、後悔することだった。
――話しかけていれば、失恋したかも知れないが、当たって砕けたことで、さっぱりした気分にもなれたかも知れない――
と思ったからだ。
すべては結果論でしかないが、結果論も結果のうちである。結果だけを考えると、自分の考えを拒否するだけでは自分を許すことができない。自分を一度否定してしまわないと、自分で納得することができないと思うのだった。
何となく負い目を感じながらの引っ越しであったが、自分の中で、
――逃げている――
という意識はなかった。
もし、自分の考えを拒否する程度であれば、逃げているという感覚に陥ったかも知れないが、自分を否定しているのであれば、それは逃げていることにはならないと思った。その考えが正しいのか間違っているのか確かめるすべはないが、引っ越して来た先で再度、自分を肯定してみようと思えるかどうか、自分の環境を変えるということが、どれほど大きな影響をもたらすのかということが、楓には分かりそうな気がしていた。
普通であれば、たかが失恋。しかも片想いだったというだけのことで、何が自分を否定する必要があるのかと思われるであろう。
片想いだったからこそ、自分の中でだけで解決しなければいけないこと、今まで生きてきた自分が片想いであったとしても、人を好きになるなど、考えたこともなかった。
その時、
――どうして今まで人を好きになったりしなかったのだろう?
と感じた。それは、片想いであっても、人を好きになるということが、今までの自分にはなかった新鮮な気持ちにさせてくれたことであることが分かったからだ。
それが失恋に繋がっても、自分で納得できたはずだった。自分にも人を好きになることができる気持ちがあったということで、それだけで満足できるはずだったのに、なぜ、自分を否定してしまいたくなるほどに苦しまなければいけないのか、自分の気持ちの変化に、自意識がついていけなかったのだ。
だが、その男性とは少しだけ口を利いたことがあるだけだった。
――この人には、彼女がいるんだ――
考えてみれば、今まで人を好きになったことのない自分が初めて好きになった人である。そんな人に彼女がいても不思議ではない。逆に彼女がいると言われた方が納得もいく。彼女もいないような相手であれば、
――私は、彼女もいないような男性を好きになったのかしら?
と、自分の恋愛間隔を疑ってみたくもなるかも知れない。まだ、そこまで自分の恋愛感覚に自信もなければ、ハッキリとした感覚があるわけでもない。だが、一度でも人を好きになると、そこから少しでも今までの自分から変われるような気がした。少なくとも、少しでも自分を好きになれるのではないかという思いが生まれただけでも、いいことなのかも知れない。
自分のことを好きになれなかった理由は、子供の頃、苛められるきっかけになった「お弁当事件」が原因だった。
あの時は、せっかく母親が作ってくれたお弁当をひっくり返されたことで怒りを覚えたのだったが、もちろん、それは母親をバカにされたような気がしたことでの怒りだった。しかし、その頃の楓は、母親のことを自分が怒りを覚えるほどまでに好きではなかったのである。むしろ、いつも家では口やかましい母親に対して、心の奥では恨んでいた。それなのに、
――なぜ、あの時、友達に逆らってしまったのだろう?
何のために身体を震わせるほどの怒りを覚えたのか、その時は後悔したが、その後悔がどこから来るものなのか分からなかった。
怒りを向けられた矛先に後悔する理由がないのだから、当たり前のことである。
――あの時は、精神的なバランスが崩れていたんだ――
と感じた。