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 この店は常連客が多いようなので、常連客であれば、自分の指定席を持つことは可能だった。しかも、カウンターの一番奥の席など、よほど店内が満席の時でもない限り、誰かが座っているということはない。もし埋まるとすれば、平日のランチタイムくらいのものであろうか。
 そんな時間に店に来ることはほとんどなかった。ランチは他のお店で食べることがほとんどで、この店に来るのは昼下がりか、夕方近くが多かった。
 昼下がりには近所の住宅街からの奥さん連中が、「アフタヌーンティ」を楽しんでいることが多かった。学生の街であったが、少し先に丘のようになったところがあり、そこには住宅街が広がっている。その喫茶店は、短大と住宅街の中間くらいにあるので、時間帯によっては学生よりも住宅街からの奥さん連中の方が多い場合がある。それが昼下がりであり、逆にその時間は学生も少ない。そういう意味で、店が満員になることはランチタイム以外にはないが、それでも、時間帯によって客層が違うことで、客足が途絶えることはないようだ。たまに貸し切り状態になることもあるが、その時は店内が却って狭く感じられ、不思議な感じがしたものだった。
 そんな時だった、壁に懸けられている絵を発見したのは。
 その絵の存在に気付いていないわけではなかった。
――何か額が飾ってあるわ――
 という程度に思っていたのだが、絵をマジマジと見つめたことはなかった。ずっと今まで絵画などというものにまったく興味がなかったこともあって、絵が飾ってあったとしても、それは道に落ちている石と同じ感覚で、
――目には入ってきても、意識することなどない――
 というものであった。
 その絵は、どこかの湖のようだった。まわりを森に囲まれていて、その向こうには、山が聳えていた。綺麗な形の山で、山肌が限りなく直線に見えていた。
――富士山のようだわ――
「富士山には一番綺麗に見える距離や角度がある」
 という話を聞いたことがあったが、その絵に見える山が富士山だとすれば、その人が言っていた、
――一番綺麗に見える距離や角度の場所だったのかも知れない――
 と、感じた。
 ただ、楓が気になったのはその山ではなかった。森の手前に見える小さなコテージのような建物が見えていたのだが、気にしなければ意識しないほど目立たないように描かれていた。
 そのコテージには、誰も住んでいないような雰囲気があった。見た目は綺麗なのだが、人が住んでいる気配を感じないのだ。絵の中のことなので、平面だから人の気配を感じないと思えばそれまでだが、楓にはどうしてもそう思えなかった。
 逆を言えば、無意識にやり過ごす場合、裏で絵を見ていて、
――平面なんだ――
 という意識が働いていることを意味している。したがって、その時コテージに誰もいない雰囲気を感じた時点で楓は、その絵に対して、平面という意識を感じなかったことになる。それだけ立体感を感じさせる絵だったということは、見る人が見れば、さぞや高価な絵だったのかも知れない。
 ただ、その絵を意識したのは、それが最初で最後となった。次回その店に行った時、その場所には違う絵が飾られていた。その時の絵に感じた思いをマスターに話してみると、
「ああ、うちの絵は、ここの常連さんが描いた絵を飾ることにしているんだよ。最近は見かけなくなったけど、佐久間さんという人が時々持ってきて、飾っていくんだよ」
「この間、ここに飾ってあった絵もそうなんですか?」
「あの絵も佐久間さんの作品だよ。そういえば、いつもは新しい絵を持ってきても、前の絵はそのままここに置いていくんだけど、あの絵だけは返してほしいってことで、本人に返したよ」
 絵心があるわけではない楓なので、名のある絵描きの作品だと思っていたが、かなり買いかぶっていたようだ。それでもあの絵は印象深く、今でも頭に残っていた。
 あれから十年近く経ったわけだが、その喫茶店には短大以来通うことはなくなった。短大を卒業し、就職した会社の近くで一人暮らしを始めた。短大までは家からでも通えたが、就職先は、家からはかなり遠い。通勤しようと思えばできないわけでもなかったが、一人暮らしに憧れもあったので、楓はこれを機会に家を出ることにした。
 最初に引っ越した先は、会社まで歩いて行ける距離で、普通に歩けば、十五分ほどで会社に着けた。都会の真ん中でのマンション暮らし、これも学生時代から夢見ていたことだった。
 しかし、会社に近すぎるのも次第に億劫になってくる。毎日同じ道を通って通勤しているので、たまには寄り道でもしたくなるのだろうが、あまりにも近いと、それもしたくない気分になっていた。帰り道の途中にあるスーパーで惣菜を買いこみ、それを夕飯にする。部屋に帰っても、誰もいるわけでもなく、暗い部屋に電気が灯っても、元々人の気配がなかったのだから、暖かさを感じられるようになるまで時間が掛かる。それなのに、気が付けば、自分が部屋と同化しているようだ。暖かさを感じることもない。お風呂にお湯を溜めることもなく、シャワーだけで済ませる。夏だけでなく、冬も同じだった。湯船に浸かったとしても、暖かさを感じることができないような気がしたからだ。
――あれだけ一人暮らしをしてみたいと思っていたのに――
 元が寂しがり屋なのか、物ぐさな性格のくせに、一人が気が楽だと思っていたはずなのに、なぜに、ここまで暖かさを感じないことを虚しく思うのか、自分でもよく分からなかった。
 だが、帰りに寄り道をしようと思えばいくらでもできたはずなのだ。それをしないということは、何か普段と違うことをすることに怖さを感じていたのかも知れない。オカルトや迷信を信じているわけでもないのに、ゲンを担ぐような雰囲気に、まわりの人は楓のことを几帳面な性格だと思うだろう。
 しかし、楓は几帳面な性格というわけではなく、ただの神経質だというだけのことだった。神経質なので、普段と同じではないと気持ち悪いと感じるのだ。几帳面だと思わせるのは、男性の目から見える目が、几帳面な女性と似ているところがあるからなのかも知れない。几帳面な女性が男性の目にどのように写っているのか分からないが、ある角度から見ると、几帳面な性格に見えてしまうのだろう。几帳面ではないくせに几帳面だと思われるのは、楓にとって心外なことだった。
 また楓は自分の中に余計な余裕を持つと、自分に甘えることを分かっている。それは無意識な感情ではあるのだが、自分に甘えないようにしようとする思いが、余計な余裕を作らないようにしているのだろう。だから、帰りに寄り道するのも怖いと思っているに違いない。
 楓はこの街に引っ越してきたのは、少し会社から離れたところに住みたいという気持ちがあったのと、少しでも前に住んでいた街から離れたいという気持ちがあったからだ。一つには住んでいた街に片想いの人がいて、その人と少しでも離れたかったのだ。
 相手は楓のことを知っている程度の相手であった。同じマンションに住んでいて、時々顔を合わせることで、挨拶を交わす程度、相手から話しかけてくることもなく、楓から話しかけることもなかった。
 楓は彼を見ていて、
――ストイックな性格なのかも知れない――
作品名:リセット 作家名:森本晃次