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リセット

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 取り越し苦労というのは、自分で取り越し苦労だと感じ安心した瞬間に、まわりに対して、自分から取り越し苦労をしたという感情をあらわにさせるものだ。フッと気を抜いた時に忍び込んでくる風は、まわりの目が影響しているに違いない。
 奥さんは、そんな彼が一度だけ自分の絵に、描きたい人間を描いたことがあるのを知らない。その相手というのは、奥さんのことだった。
 付き合っている時に描いていた絵だが、この絵だけは、奥さんに対してはもちろんのこと、他の誰にも見せていなかった。これからも誰の目にも触れさせるつもりのない絵で、
「じゃあ、一体何のために描いたんだ?」
 と聞かれても、彼はその答えを見つけているわけではない。しかし、満足感や充実感という言葉で割り切れるようなものではないものであることは確かだった。これを下手に人に見せると、自分の中の感動が半減する。
――内に向かって一気に突き進む感情――
 とでも言えばいいのだろうか。自分一人だけの宝物で、他人には理解できないものだと自負していた。
 たった一人だけ、その絵を見たことがある人がいる。そのことを作者である旦那さんも知らない。それは現実に見たものではなく、楓が見た夢の中の絵だったのだ。
 楓は今までに何度か絵を見ている夢を見たことがある。夢に見た絵を、実際に見ることができるのではないかという思いもあった。
 学生時代、喫茶店で見た絵、実際には彼が描いた絵ではなかったが、似たような絵を見ていた。そして夢でも同じものを見た。絵の中から見られているという感覚に陥っていたことを忘れてしまっていたが、それを思い出すと、きっと絵の作者がそばにいることを悟るのではないだろうか?
 奥さんから見つめられたと感じたのは楓ではなく、楓に入り込んでいたミチルだった。ミチルは楓の夢の中にまで入りこむことはできない。もし入り込んでいれば、その時に見つめていたのが奥さんであることを悟ったはずだ。だから、ミチルにも楓にも、見つめられていることは分かったのだが、それが誰からなのか分からない。
 ミチルは、絵の中から見つめられていると思うと、ゾッとしたものを感じた。自分が成仏できないのも、やはり誰かが自分のことを気にし過ぎて、そこから離れられないからではないかと思うのだった。
 その誰かというのが秀之であり、秀之にとって忘れられないもう一人の女性がミチルであることを悟った。
――秀之さんは、私のことを殺したわけでも、心中しようとしたわけでもないだわ――
 秀之と結婚したくて、その気持ちを伝えようと、待ちあわせをしていた。
 秀之はその時、電車で待ちあわせの場所まで来ようとしてくれたのだが、ちょうどその日は運が悪く、彼が移動に使っていた電車で事故があったようで、彼は待ちあわせに間に合わなかった。
――携帯で連絡をくれればよかったのに――
 と、思ったが、ちょうどその時、脱線した電車の中にいて、救助待ちの状態だった。
 気が付けば、病院のベッドの上、軽傷だったが、病院はけが人がいっぱいで騒然としていた。とても電話ができる状態ではなかった。彼のカバンは他の人の荷物と一緒に一か所に集められていて、すぐには、どれが自分のか分からなかった。時計を見れば、午後十時前、八時に待ちあわせをしていたのに、すでに二時間が経過していた。
 ミチルは、何時間ほど待ったのだろう?
 最初の一時間は、とても長く感じられた。その間に何度か連絡を取ってみたが、呼び出し音は鳴っているのに、一向に出る気配はなかった。
――何かあったのかしら?
 とは思ったが、自分の気持ちを落ち着かせるのに精一杯で、必要以上のことは考えられなかった。一時間が経っているのを確認すると、あとは十五分刻みくらいで、時間を気にするようになっていた。すでに携帯電話でこちらからの連絡はできないのだと諦めて、電話する回数が減っていた。
 その時点で、すでに普段のミチルではなかった。そのまま待ちあわせの場所の近くにある喫茶店に入った。そこからは待ちあわせの場所も見ることができる。喫茶店の壁に架かっている絵を見たような気がしたが、一瞬、その絵に見つめられている気がしたまま、窓際の席に座り、表を見ていた。
 やはり彼はやってこない。ミチルは、そこで一旦、自分の頭の中をリセットさせた。
――リセット?
 そうだ、ミチルは定期的に自分の頭の中をリセットできる能力があった。しかし、その能力を使ってしまうと、それまでの記憶がなくなってしまう。厳密に言えば、記憶の遠近感がなくなってしまうのであって、記憶が極端に薄くなってしまった上に、時系列がバラバラになってしまったことから、記憶がないという意識に陥っているだけのことだった。
 ただ、ミチルがその能力を発揮できるためには、何かのきっかけが必要だった。それが喫茶店の壁に架かっている絵を見た時だということに気付かなかった。
――絵の中から見つめられた――
 という意識はあったはずなのだが、頭の中がリセットされた瞬間に、絵の中から見つめられたという意識も飛んでしまっていたのだった。
 ミチルが自殺をしたのは、その時だった。
 ミチルは、彼がもう来ることはないとハッキリと分かったその時、ちょうど、頭の中をリセットしていた。帰りにももう一度同じ絵を見たからだ。
 しかし、その絵が最初に見た時と、精神状態が明らかに違っていた。最初は不安が表に出ていたが、帰りに見た時のミチルの頭の中には、開き直りが表に出ていたのだ。少しでもミチルのことを意識している人がいれば、頭の中をリセットさせたミチルにその時、自殺のオーラがあったことに気付いたかも知れない。精神的には開き直っているのに、思い詰めたような目をしている。そんなギャップから導き出される頭の中の答えは、自殺のオーラなのではないだろうか?
 理由など分からない。彼が待ちあわせに来なかったというだけで、自殺にまで頭がリセットされてしまうというのも飛躍しすぎである。
 だが、ミチルは自殺してしまった。まわりの人はいろいろな憶測を並び立てる。その日ミチルが誰かと待ちあわせをしていたというのは分かっても、相手が誰かというところまでは行きつかなかった。警察は自殺として、必要以上な調査は行わなかった。自殺のショックで、携帯電話も粉々に壊れていて、連絡をしていた履歴も分からない。
 原因も分からない自殺として処理されてしまっては、中途半端な噂が飛び交うのは仕方のないことだ。ミチルはそれでもよかった。ただ、自分がどうしてこの世を彷徨っているのかが分からなかっただけだった。
 もし、その日、秀之に会えていたら、結婚相手は自分だったかも知れないという思いがあったのかも知れない。
 ミチルは秀之が絵を描いているのは知っていた。そして、絵の中に人物を描かないのも知っていた。そして、奥さんになった人だけをイメージして描いた絵が存在していることを、自殺した瞬間に悟ったのかも知れない。それが、壁に架かっていた絵を見た時に、すべてを悟ったのだとすると、衝動的に自殺したくなった理由も分からなくはない。
「衝動的な自殺ってあるのかな?」
作品名:リセット 作家名:森本晃次