リセット
――不思議だわね。私はいまだに死んだっていう感覚がないのに、死んでしまったことを後悔するなんて、まるで他人の後悔を、自分がしているようなおかしな感覚だわ――
それにしても、どうして死んでしまった感覚がないのだろう?
――死に切れなくて、この世を彷徨っているから?
そんな風にも感じた。
中途半端な死を迎えてしまったために、感情も中途半端になり、肉体がないために、自分のことであっても、すべてを他人事のように感じることが、ミチルを成仏させないことに繋がっている。
――自分の死を確かめようなんて思わなければよかった――
いや、死を確認しなければ、結局はこの世をずっと彷徨っていることに変わりはない。
――では、一体どうすればいいんだ? 自分は誰かに殺されたわけでもなければ、自分から死んだのだ。いくら、誰かのせいで死ぬことになったとしても、その人を恨み殺すことができるはずもない。ただの逆恨みにしかならないわ――
と、自分に言い聞かせた。
ただ、それでも、他人の無責任な発言にはどうしようもない憤りを感じた。確かに他人だから好き放題言えるのだろう。もし、ミチルが彼女たちの立場にいたとすれば、同じこと言っていたかも知れない。そう、しょせんは他人事、好き勝手に言えるのも、生きている人間の特権なのだろう。そう思うと余計に自らが命を断ったことに、納得がいかなかった。せめて、誰かに殺されたということであれば、自分にとって救いに思えた。
しかし、その時のミチルには分かっていなかった。
確かに、人の命を奪うのは悪いことだ。どんな言い訳も通用しないだろう。しかし、それを踏まえた上で、人を殺すには、それなりの理由があるはずだ。殺してしまうということへの罪の呵責、そしてそれが露見してしまった時に、自分のそれから以降の人生がどうなるか、それらすべてを考えた上で、それでもその人を殺そうと思うのだろう。相当、殺された人も罪深いはずである。
ひょっとすると、殺した人よりも罪深いことをしたのかも知れない。
そのことを、その時のミチルには分かっていなかった。
というのも、そこまで考えが及ぶほど、まだミチルは大人になりきっていない間に死んでしまった。もっとも、失恋で自殺をするくらいなので、自殺をした時の感情は、一方向からしか人生を見えなくなっていたに違いない。それだけ、その頃のミチルは、まだ大人になりきれていなかったのだ。ミチルが後悔するのであれば、死んだとうことよりも、もっと広い目で、そして大人の目で見ることが少しでもできていたら、死ぬことまではなかったのではないかということだろう。
幽霊になったミチルは、死んでしまったその時から時間が止まってしまっていた。成長するわけでもなく、永遠に子供のままである。それでも、何とか自分のことを分かりたいと思った分だけ、少し前に進んだのだろうが、それも、微々たるものだ。
――私、幽霊になったんだ――
と、心の中で言い聞かせてはいるが、どうしても考えることも、人が言っていることも、そのすべてが他人事のように思えて、右から左へと抜けていってしまう。
――これじゃあ、幽霊になってまでこの世を彷徨っている理由が分からないじゃないの?
と、自問自答を繰り返すが、自分に対しての質問も、返ってくる答えは、他人事にしか思えない情けなさがあったのだ。
ミチルは以前、自分が心中したのではないかと思ったことがあったが、それを飛び越して殺されたと思ったのは、飛躍しすぎなのかも知れない。
ミチルは、自分の死に関係のある秀之という男性の心の中に入りこむことができなかった。そのために、勝手な想像を巡らすことになったのだが、本当は違っていることにその時は気付かなかった。
幽霊になったから、誰の心の中に入りこめるというわけではない。いや、厳密に言えば、ミチルは死んで幽霊になったわけではなく、どこか死に切れないところがあって、そのままこの世を彷徨っているのだった。
だから他の人のようにこの世に未練があって、一度死んでから、舞い戻ってきたのとは少し違っている。その違いをミチルは分かっていないし、他の幽霊たちには、ミチルの存在すら分かっていないのだろう。
だが、ミチルには、他の幽霊の存在は分かっている。分かっているが、彼らと話をすることもできなければ、同じ世界にいるという感覚もない。霊感が鋭い人が幽霊を見ることができても、話をすることができないのと似たような感覚なのかも知れない。
ミチルにとって、自分がどれほど中途半端な存在になったのか、そのことを認めたくないという気持ちが働いている。ということは、ミチルは自分が中途半端な幽霊になってしまったということを自覚しているということだ。
その理由を、自分は誰かに殺されたのであり、殺した相手を本当は庇いたいとでも思っているのかも知れないと感じていた。それであれば、何ともいじらしいことではないか。それこそ、自分が生前に夢見ていたような人間と言えないだろうか。
――死んで本望――
と思っている。
しかし、そんな自分に、代償がないというのも、おかしなものなのかも知れない。この中途半端な状況は、自分を殺した相手を庇うという自分は、本当なら天国に行けるべきなのに、どこでどう間違えたか、この世を彷徨っている。
――ひょっとして、自分が庇いたいと思っている人が、自分の考えているような態度を取っておらず、まるで自分を裏切っているように思えたからではないか――
と感じていた。
元々、人を殺すだけの人間なので、ミチルに対してどんな思いがあったのか分かったものではない。きっと他の人に話をすれば、
「あなたもバカよね。自分を殺した人を庇うなんて、お人好しにもほどがあるわ」
というに決まっている。ミチルがその人の立場でも同じことを言うだろう。
しかし、それもあくまで他人事、それでも的を得ている言葉に違いない。確かに自分を殺すような相手のことを庇ったとしても、殺した相手に都合よく使われるだけで、死んだ本人には、何ら得はない。
――死人に口なし――
として、都合よく使われるだけだ。
「あなたは悲劇のヒロインを演じているだけ」
心の中の自分に言われても言い返せないだろう。
そんなミチルは、殺した相手の心の中に入りこもうとして入りこめないのは、入りこむのが怖いからでもあった。
だが、本当は、入りこむのが怖いだけではなく、本当に入りこむことができないということに、気付かなかった。入りこむのが怖いと思いこんでいたからである。
だから、誤解が誤解を生み、何をどうしていいのか分からなくなったことで、ミチルは死ぬこともできず、この世を彷徨い、楓の心の中に現れた。
ミチルは、自分が殺されたと思ったのは、秀之の心の中に入りこむことができなかったからだ。本当は、彼から殺されたわけでも、心中を考えていたわけでもない。どうしてそこまで飛躍した考えに至ったのか、自分でも分からなくなっていた。
秀之には好きな人がいた。その相手のことをミチルは知らないわけではない。