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 懐かしく感じたのは、光景に対してではなく、クラシックの音色に対してだと思えば、納得がいった。喫茶店などに入れば掛かっていそうな曲で、最近も聴いたことがあったはずなのに懐かしく感じられるというのは、よほどその曲に思い入れを感じたことが、懐かしく感じるほど以前にあったということなのだろう。楓は覚えていないだけで、懐かしさを思い出したいと思ったのだから、
――苛めを受けていた時期に、心の支えにしていたことがあったに違いない――
 そうでなければ、苛めを受けていた時期があまりにも情けないではないか。立ち直れないほどのショックを受けたと思うだけのことは何度もあった。そのたびに、ショックから立ち直るための何かが存在していた。その一つがクラシックを聴くことだったのは、懐かしいと感じたことで分かるというものだった。
 奥さんは、クラシックを聴いている楓をじっと見ていた。楓の方は、自分の中にいるミチルの方に意識が行っていて、奥さんが見つめていることに気付かない。
 奥さんの方では、
――私がこんなに意識して見つめているのに、分かっていないのかしら?
 と感じていた。
 それよりも、楓が視線を分かっていて、それでも無視できるような図太い神経の持ち主なのかも知れないと思うようになると、今度は奥さんの中で、何か不安がこみ上げてくるのだった。
 その不安がどこからこみ上げてくるものなのか分かっていなかったが、夫に関してのことのように思えて、胸騒ぎを隠すことはできなかった。
――この人は、私たちのことを知って、わざとお隣に引っ越してきたのかしら?
 ただ、不倫だとすれば、ただでさえ見つかりたくないのに、わざわざ近くに引っ越してくることなどありえない。となると、自分の旦那に別れを切り出されたのか、あるいは、捨てられたのかなどして、自分たち夫婦に恨みを持って、これ見よがしに近くに引っ越して来たのかも知れない。
 もちろん、目的は嫌がらせ。旦那に対しての嫌がらせがそのまま夫婦間の亀裂に繋がれば、恨みは少しでも晴れるというもの。もし、それが本当だとすれば、逆恨みもいいところだが、真意を確かめられるほど、自分は神経が図太くない……。
 それが奥さんの考えていることだった。
 しかし、その考えも限りなくゼロに近いと思えた。肝心の夫が楓と何度も顔を合わせているのに、二人とも動じるところがない。楓の方も、いくら嫌がらせのためとはいえ、一度は不倫相手として付き合っていた相手なので、普通の神経でいられるはずもない。
 もっとも、普通の神経でいられるくらいなら、最初から逆恨みなど考えないだろう。逆恨みでもしないと、自分の気が収まらない。あるいは、夜も眠れないなどの精神に異常をきたしているのであればあるほど、好きだった相手が目の前に鎮座していて、しかも奥さんと仲良くしているところなど、まともに見れるはずもない。そう考えると、自分の発想は矛盾を孕んでいることに気付く。そこでホッと胸を撫で下ろせばいいのだろうが、一度起こってしまった不安は、考えに矛盾が生じたくらいでは、なかなか解消してくれないものだ。
「じゃあ、私はそろそろお暇させていただきます」
 窓から西日が差しかかるのを感じると、さすがにそろそろお暇した方がいいと感じた。楓が感じたというよりも、楓の中のミチルが何か我慢できない雰囲気を感じたようだ。
「そうですか、私の方もそろそろ夫も帰ってくる時間なので、夕飯の準備に取りかかることにしますわ」
 旦那さんの仕事はシフト制の仕事のようで、その日は早番だということだった。日が昇る前から出掛けて行ったのかも知れない。
 実はこの頃、楓もマンションの人となかなか出会わないことを気にしていた。前に住んでいたところも、なかなか他の住人と出会うこともなかったが、それほど気になることでもなかったのに、ここに引っ越してきてから気になっていたのだ。
 それなのに、出会った相手が幽霊だというのも、複雑な気持ちだった。逆に言えば、他の人と出会っていれば、幽霊を気にすることもなかっただろうし、幽霊を見ることもなかったはずだと思うのだった。
 楓は、部屋に帰ると、待っていたかのように、ミチルが目の前に控えていた。
「ミチルちゃん、私の中にいたでしょう?」
 別に責めているわけではない。いたならいたで、ハッキリとさせたいだけだった。それなのに、ミチルはすぐには返事をしようとはしない。それなら、なぜ楓の前に帰ってきてからすぐに現れたのだろう?
「最近、見かけないと思ったけど、どうしてたの?」
 と聞いてみると、
「楓さんの前に現れるのが、少し忍びない気がしたの」
 その言葉を額面通りに受け取れば、さっきまで自分の中にミチルがいたと思っていたのは勘違いだったということになる。しかし、自分の中にいたのかどうかを訊ねた時、即答できずに考え込んでいる姿を見ると、よほど言いにくいことである気がした。
 ミチルは楓から見るとまだまだ子供に見える。少々の言い訳くらいなら、屈するなどということはありえない。ただ、ミチルは幽霊だ。この世のことも知っていて、あの世のことも知っているという意味では、自分よりも広い世界を知っているということに変わりはない。そう思うと、どうしても臆してしまう楓だった。
 そんなミチルだったが、その日は今までと違っていた。最近なかなか現れないと思っていたこともあって、
――何かあったのかしら?
 と感じたのも無理のないことであり。最初に、最近見かけなかったことを指摘してみたかったのも、いつもと雰囲気が違ったからだ。
 その日のミチルは、子供っぽさというものは感じられなかった。顔も正面を向いて、真面目な面持ちだった。だが、それは最初に会った時も同じことを感じたのだが、その時にはこちらが少しでも強い視線を浴びせようものなら、すぐに視線を逸らしていた。どこか自分が幽霊であることに、コンプレックスのようなものを感じていたのかも知れない。
――ということは、今のミチルちゃんには、コンプレックスは感じられないということになるのかしら?
 元々、人間同士であれば、コンプレックスという概念もある。どんぐりの背比べのような状況で、相手に対して絶対的な劣等感を持っていたり、不特定多数の人に感じる劣等感を、コンプレックスというものだと思っていた。しかし、相手は幽霊、どちらが劣等感を抱き、優越感を抱くものなのか分からない。それは、楓が幽霊の世界を知らないからだ。
 しかし、ミチルは生きていた頃の人間世界と、死んでからの世界の両方を知っている。だからその違いも分かっているはずだ。もし、それなのにコンプレックスを抱くのであれば、幽霊の世界も、この世の世界も、さほど差がないということになるのだろう。
――いくら幽霊であっても、この世を彷徨っているのだから、気持ちはこの世の人に近いものになっているのかも知れない――
 と感じた。
「私、死んだんですよね」
 と、蚊の鳴くような声でミチルは呟いた。
――まさか、この娘。自分が本当に死んだということを信じられなくて、その確証を得ようと、この世を彷徨っているのかしら? 最近、見かけなかったのは、それを確かめに行っていたのかも知れないわ――
作品名:リセット 作家名:森本晃次