リセット
と言われたことをしてしまったことで、悲惨な末路が待っているという戒めのためのものではないかと思えるほどである。そう思うと、幽霊を相手に迂闊な行動など、できるはずもない。
最近、ミチルが自分の前に現れないと思っていたが、ずっと楓自身の中に潜んでいたのか、それとも他の人の前に現れていたのか、はたまた、他の人の中に入りこんでいたのか、どれであっても、不思議はない気がしていた。神出鬼没なミチルには、今さら驚くこともなかったからだ。
楓はミチルが自分の中にいると思うと、奥さんに対しての見方も少し変わってきたような気がした。
というよりも、奥さんの方が楓を意識しているように思っていたが、ひょっとすると、楓自身を意識しているのではなく、その中にいるミチルを意識して見ているからなのかも知れない。
「楓さんを見ていると、昔のお友達を思い出すんですよ」
と、奥さんはボソッと呟いた。
「お友達……、ですか?」
「ええ、私がまだ高校の頃のことなんですけど、いつも一人でいて、寂しそうにしていた女の子なんですけど、でも、なぜか目立っていたんですよ。いつも見られているような気がして、時々怖いくらいでした。でも、きっかけというのはあるものなんですね。一度話す機会があれば、結構意気投合して、それから結構一緒に過ごす時間があったりしたんです」
「その人今は?」
恐る恐る聞いてみた。楓の胸騒ぎは頂点に達していた。
「死んだんですよ」
的中してみると、急に胸の高鳴りが収まってくるのを感じた。
――そうだ、私の中にはミチルちゃんがいるかも知れないんだった――
忘れていたわけではないが、少なくとも胸騒ぎが頂点に達した時、楓の頭の中は一度リセットされたようだ。
「どうして死んだんですか?」
もう楓の頭の中はミチルに支配されているかのようで、自分が考える前に、すでに口にしていた。幽霊になると、頭の回転が早くなるのか、それとも、先を見通す力が鋭くなるのか、自分の中にいるミチルには、大きな力が働いているようだ。
――あなたが助けてくれているからよ――
心の声が聞こえた気がした。
ミチルには肉体がない。楓の中に入ることで、魂だけの自分だったが、入りこんだ人の力を借りることで、人間としては考えられないような力を発揮できるのかも知れない。そう思うと、楓の口から出てくる言葉は、時間差で自分もその考えに至っていたということになる。同じ考えを持つことのできる人間でないと、たとえ幽霊であっても、乗り移ることはできないのだろう。
「どうして死んだのかということは、私には分からないわ。でも、そのせいか、いろいろな噂が立ったのは確かなの。私はそんな噂に惑わされたくないという思いから、彼女が死んだということを、自分の中で消し去ってしまおうと思ったの。でも、できるわけもないので、今度は彼女と友達だったということを頭の中から消し去らないといけないような気がしたの」
「友達だったことを消し去る方が簡単だって思ったの?」
「そういうわけではないと思うんだけど、そうしないと、先に進めない気がしたの。どうしても、彼女に対してこだわってしまうようでね」
「でも、こだわりは消えなかったんでしょう?」
「そうですね。確かに時間が経つにつれて、薄れていく感覚はあったんだけど、最後まで消えてしまうことはないような気がしていたの」
奥さんの中で、
――他の人に知られては困る――
と思っていることがあるように思っていたが、
「私、どうしてなのか、楓さんと一緒だと、言いにくいことも言えてしまうような気がするの」
今までなら、自分のことを信じてもらえているようで嬉しい限りなのだが、今日ばかりは、そうとばかり言っていられない。自分の中にミチルがいるのではないかと思っていることがどうしても、楓の中で消化できない部分だった。
「そこまでして、その人のことを意識から消さなければいけない理由が、奥さんにはあったということですね?」
「ええ、笑われるかも知れませんが、彼女が亡くなってしばらくしてから、彼女の夢を連続で見たりしたんです。何かを言いたげだったんですが、彼女は何も私には言おうとしない」
「どうしてだったんでしょうね?」
「夢の中のことだったので、何とも言えないんですが、でも、夢の中だからこそ、何も言わなかったんじゃないかって思っていたんですよ」
「それはどういうことですか?」
「夢というのは、潜在意識が見せるものだって聞いたことがあります。つまり、彼女のことを気にしている私が、彼女の夢を見た。でも、彼女のことを気にはしているけど、何をどう気にしているのか、自分でも分かっていない。だから、彼女は無口だった。それだけ夢というのは、主観的なものではないかって思ったんですね」
「夢に対してですが、私の考えは少し違っているんです」
「どういうことですか?」
「夢というのは、決して主観的なものではないと思っているんですよ。夢の中には自分がいる。でも、その自分はあくまでも夢の中の主人公としての自分であって、夢を見ている自分ではない。つまり、主観的に夢を見ているわけではないという感覚ですね」
「それは私も感じたことがあります。だからだと思うんですけど、私にとって今まで覚えている中で、怖い夢の中の一つに、もう一人の自分が出てくるというのがありました。もう一人の自分の存在は夢を見ている自分にしか最初は分からない。でも、夢から覚める寸前に、夢の中の主人公である自分が気付いてしまった。あまりの恐怖に私の夢はそこから記憶がないんですよ。きっと、そのまま目が覚めてしまったのかも知れませんね」
「もう一人の自分が夢の中に出てきたことは私にはないので、話を聞いただけで怖いと思いました。でも、それは記憶にないだけで、本当は見たことがある夢だったのかも知れません」
楓がそこまで話すと、会話は少しそのまま滞ってしまった。しかし、すぐに思い出したかのように口を開いたのは奥さんだった。それは、何かを話したいというよりも、凍ってしまったその場の雰囲気を何とか解かそうという思いがあったからなのかも知れない。
「でも、彼女は確かに無口だったんですけど、今から思えば何かを言いたいと思ったのも、私の思い過ごしだったのかも知れません。逆に最初に、何かを言いたいんだって思ったことが、私の中でトラウマを産んでしまい、しばらく彼女の夢を見ることになったのかも知れないと思うんですよ」
「奥さんは、今までに同じ夢を連続して見たことってあったんですか?」
「私の記憶の中では、その時だけだったですね。楓さんはいかがなんですか?」
「私も、同じ夢を続けて見たという記憶はないですね。もっとも、見た夢を覚えているということの方が稀だったので、本当は見ていたのかも知れません」
「でも、もし見ているとすれば、かなりインパクトの強いものだって思うので、忘れてしまっているというのは、いかがなものかと思います。忘れているとすれば、それは本人が故意に忘れようと思っているのかも知れないと思うんですよ」
奥さんは、自分に言い聞かせるように話を続けた。楓はそんな奥さんを見ていて、
――立場が逆だったら、どうなんだろう?
と感じていた。