リセット
「どうして?」
「もし、死ぬ時に死んだらどうなるって考えると、現世を彷徨うことなどないような気がしたのよ。現世を彷徨うというよりも、もっと中途半端なところで抜けられない苦しみを味わうんじゃないかって。それがこうやって現世で、しかも、生きている人とお話できるなんてと思うと、意外と死のうとした時、何も考えていなかったような気がするの」
その話を聞いた時、楓は少しゾクッと悪寒が走った。
――ミチルが死んだ時のことを回想しているのを聞いていると、この世を彷徨っているミチルと話ができる自分が、最初はただの特殊な人間だからだって思っていたけど、ひょっとすると、自分も死期が近いのかも知れないと思わせるような「気配」を感じた気がするわ――
と思っていた。
「気配」という言葉がこの場合一番適切な気がする。
「気配」とは、
――目に見えないけど、ちゃんとそこにあって、その存在を知っているのは自分だけなんだ――
という気持ちになれるものだと思っている。「気配」という言葉をここで感じることができるから、ミチルが見えるのだし、存在も感じられ、話をすることもできる。ミチル本人もさぞや、生きている人と話をしたかったのではないかという思いも滲み出ているような気がしていた。
楓にはミチルの気持ちが分かるような気がしているが、ミチルの方はどうなのだろう?
少しは楓が自分と似ているという感覚を持っているようだが、すでにこの世のものではないミチルには、楓の考えていることが本当に分かるのか、ミチルも分かっているつもりでいるが、自信を持てているわけではない。ただ楓がミチルと話を重ねるにつれ、どんどんミチルのことを分かってくれているのは実感していた。それは生きている人間同士ではありえないほどの早さでのことである。ミチルは楓を見ていると、
――羨ましい――
と思うことが多いのだが、具体的にはどんな部分が羨ましいのか、ハッキリと分かっているわけではなかった。
「それにしてもミチルちゃん。本当に好きになった人はあなたの片想いなの?」
「ええ、私はそう思っているわ。でも、楓さんとお話をしているうちに、何かモヤモヤしたものが少しずつ解消してくるのを感じるの。次第にハッキリしてくる記憶の中で、キリに包まれた部分で、私は誰かに思われていたことを分かっていた気がするの」
「ミチルちゃんがこの世を彷徨っているのは、好きな人に自分のことを忘れてほしくないからだって思っているのかも知れないわね」
「そうかも知れない。でも、次第にハッキリとしてくる記憶の中で、やっぱり私は自殺をしたという思いはまだまだハッキリとしてこないの。どうしてなのかしらね?」
「やはり。信じられないという気持ちが強いからなのかも知れないわね。この世を彷徨っている理由はそこにあるのかも知れない」
「それって、自分の中で死を受け入れられないということ?」
「そうね。そういうことなのかも知れない。記憶がないことでまるで自分が何者なのか分からないというような意識ね。彼に自分のことを忘れてほしくないという意識と、死んだ時の記憶を思い出したいという意識が、あなたを成仏させていないのよ」
「どうしたらいいのかしら?」
「死んでしまったあなたにはできないことでも、私が協力すればできることもあるかも知れないわね」
「お願いできるのかしら?」
「そのつもりで私の前に出てきたんでしょう? 私もこのまま放っておくことができないような気がするの。もしこのまま放っておけば、私も嫌な予感が的中してしまいそうな気がするわ」
「嫌な予感?」
「ええ」
きっと、ミチルは楓が考えている「嫌な予感」というものを分かっているような気がする。ただ、この時の楓の選択が本当に正しかったのかどうか、微妙なところだ。
――ミチルを放ってはおけない――
という部分に間違いはないのだが、これから何をどうすればいいのかというところで、一歩間違えると、「嫌な予感」が的中してしまうことを、その時の楓にもミチルにも分かるはずもなかった……。
第二章 リセット
楓が引っ越してきてから二週間が経とうとしていた。楓が幽霊と出会ってからかなり経つが、あれからそれほど進展しているわけではなかった。マンション住まいともなると、隣人がどんな生活をしているかなど、誰も関心を持っているわけではない。
「隣は何をする人ぞ」
下手に関心を持つことはプライバシーの侵害を及ぼすことになる。楓もそんなことは百も承知だったが、他の人はもっとその思いが強いのだろう。特に家族で住んでいる人は、他人などに構っている暇もない。夫婦共稼ぎなどの家も多く、同じ夫婦間でも会話のない家庭も少なくはないと聞く。最初に一人暮らしを始めた時は、
――やっと家から出ることができる。自分は自由だ――
と思っていたこともあって新鮮で嬉しかったが、ずっと一人でいると時々気が滅入ってしまうことがある。それを鬱状態というのだろうが、楓はその思いも最近では慣れに変わってきていた。
子供の頃、苛められていた楓は、まわりから何かにつけて干渉を受けるのは嫌だった。それが親であればなおさらで、
――大人になってまで、余計な干渉しないでほしいわ――
と感じていた。
親からすれば、
「また苛めに遭ったりすると大変でしょう?」
というに違いない。
自分が苛めに遭っていたことは、最初親には黙っていた。苛めが露見したのは学校で、担任の先生は親も知っているものだと思い、親に相談したのだ。
先生は、親が知らなかったことを意外に思ったようだ。
その時の正確な会話を知らないが、何となく見当はつく。
「お母さんは、娘さんが苛めを受けていたことをご存じなかったんですか?」
「ええ、まったく知りませんでした。あの娘は何も言わないもので……」
とでも親は言ったのだろう。
「それは少し家庭でもいろいろ考えていただきたいことですね」
先生の冷めた表情が目に浮かぶ。ひょっとすると、見下したような目をしているのではないだろうか。
「どういうことですか?」
「ご家庭の環境にも問題があるのではないかと思いまして。あまりお子さんとお話をしているわけではないんですね?」
今度は、母親が、
――心外だわ――
と思ったのではないだろうか、
「ええ、学校に行っている間のことは、こちらでは分かりかねますので」
ここまで来ると、売り言葉に買い言葉。お互いに責任のなすりつけ合いになる。
学校側とすれば、担任の先生に家に行かせて、家庭と一緒に問題を解決してほしいという考えがあったのだろうが、担任からすれば、
――いい迷惑だ。どうして担任というだけで、自分がこんな思いをしなければいけないんだ――
と思っていたことだろう。しょせん先生と言っても公務員。しかも、生徒が一人だけならまだしも、先生一人で何十人という生徒を見なければいけないのだ。一人にばかり構っていると、その時に発生しているかも知れない問題や、問題が起こるであろう火種に気付かないこともあるだろう。
そこまでの考えを、どこまで親が分かっていたのかと思うが、少なくとも、学校の方から、
――責任転嫁を押し付けられた――