短編集1(過去作品)
彼女は店に入ると男女を問わず、いろいろな人から声をかけられている。馴染みになってから長いのか、それとも彼女の性格から来るものなのか、どちらにしても昔彼女に感じた頼もしさを思い出した。
「ここ、前付き合っていた人と来たことがあるの」
一瞬びっくりしたが、考えてみればアベックで来るには最高の場所である。彼女くらいであれば今まで何もなかったと考える方が不自然かも知れない。しかしそんな場所に私を連れてくるということは彼女もまんざらではないのだろう。
「ああ、僕も大人になったってことだよ」
「私、知っていたのよ。あなたが私のことを好きでいてくれたのを」
さすがにこれにはびっくりした。まさか昔のストーカー行為を知っていたのではあるまいか? 一瞬顔色の変わった私を見て、彼女のしてやったりの満足げな表情は何だったんだろう。しかしそういう表情をするということは、裏を返せば私のストーカー行為のことまでは知らなかったという気がして少しホッとしてきた。
いや、ストーカー行為のことを万が一知っていたとしても、それ以上のことは絶対に知らないはずだ。もし知っているとすれば、こうも簡単に私と話をする気になどなれないはずだからである。
入った時は寒かったが次第に店内の暑さにも慣れてくると、酔いも手伝ってか、さすがに上着を着ていられないくらいに暑くなってきた。
自慢気にずっと着ていた赤いコートを腕から滑らせるように脱ぐと、ほんのりと赤みがかった胸の谷間が目に飛び込んできた。息苦しそうに襟に手を掛けた彼女は胸のボタンを一つずつはずして行った。、
次第にあらわになっていく肌を見た時、私は一気に酔いが回ってきた気がした。頭の中から小学生時代の彼女と私は消え去り、そこには彼女に対する邪な感情と、抑えきれなくなった欲望だけが残った。
彼女には前付き合っていた人がいたと聞いたことも、自分の欲望に拍車をかける。他の男に抱かれ、激しく乱れる彼女を想像するということは頭の中にあるそれ以外のことは奥深く封印されてしまうことを意味していた。
それから先のことはあまり記憶にない。いや記憶にないというよりも断片的な記憶はあるのだが、それが線としてつながらない。いわゆる前後不覚の状態になっていたのだろう。
気がつくと私はホテルのベッドの中にいた。横では裕美子が気持ちよさそうに寝息を立てている。そのあどけない表情から、普段は想像もつかないだろうが、今日は見ているだけで昨夜の乱れた肢体を思い出すことができる。その時は主役として欲望をむさぼったが、今は欲望のままにめくるめく時を過ごす二人を覗きこむ第三者の心境になり、さらに淫靡なものを感じた。
久しぶりの再会、小学校の頃とはいえ好きだった相手、しかも相手がそれを知っていて、
今こうして半日を共に過ごした。行きつく先は言わずと知れている。自然といえば自然の成り行き、私は出会った瞬間からこうなることを心の中で想像していた。
目が覚めるに従い、頭が重くなるのを感じる。あまりカクテルなど飲み慣れていないため、どう飲んで良いのか分からず知らず知らずのうちに飲み過ぎていたのだろうか。意外と口当たりはいいが、後から一気に酔いが回ってくるタイプのアルコールのようだ。
裕美子の寝顔を見ながら考えた。
(こんなものか)
あれほどこうなることを心に思い気持ちを高めてきた昨夜だったが、一夜明ければ何となく虚しい。満足感の裏返しとして、目的を達成してしまったことによる脱力感によるものだろうか。いや違う、確かに目的の達成はあった。しかしそれは自分の心の中で確かめたかったことの何かを確かめるための一つの手段だったような気もする。それに対する回答は何ら得られず、しかもそれが何の目的だったかがすっかり頭の中へと入り込んでしまったことへの苛立ちから来るものだ。
私はシャワーを浴びた。朝目が覚めて裕美子をもう一度抱きたいという気持ちも半分あったが、別に焦ることはない。これから会おうと思えばいつでも会えると考えると、さっさとシャワーを浴びてスッキリしたかった。
体に当たる熱い湯は仄かに汗ばんだ体には気持ち良かった。まだ裕美子の柔らかい肌の感触が残った体は敏感で、余計に熱く感じる。
勢いよく流れるシャワーを見ていると私はあの日を思い出し、また複雑な心境になった。
しかし裕美子とこうなった以上、二人は名実ともに一蓮托生なのだ。
あの日は雨が降っていた。この流れ落ちるシャワーのように土砂降りであった。そう、すべてが終わった後、見なければ良かったものを見てしまい、結局運命というものが存在するなら、その時から自分がその運命から逃れられないことを知る。後悔があった。しかしそれが何に対しての後悔なのかわからなかったし、今となってみてはその時の心境を思い出す術も見つからない。
しかしその時の呪縛が振り払われそうな気がしていた。裕美子を知る事により彼女が特別ではない普通の女であることを知ってしまった事により、余計自分に背負わされた十字架の重さを知るに至ったことは完全に自分の思惑違いであった。
そう、あの日以後である。裕美子は母親と姿を消すようにこの街を去ったのは……。いろいろな噂が飛び交った。しかし真実を知っているのは当事者である裕美子本人とこの私だけである。母親すら、いや裕美子自信も真実を知らぬままこの街を出たのだ。そしてその噂もどれも真実に近いところまでは行っていたが、真実と呼べるたった一つの事実とは到底呼べるものではなかった。
シャワーを浴び、頭をタオルで拭きながら浴室から出ると、裕美子がベッドからこちらを見ていた。
その目は昨夜の淫靡な目でも、再会を心底喜んでいた笑顔でもなく、妙に冷静に見えた。
「どうしたんだい。そんな恐い顔をして」
そう恐いくらい真剣な表情だ。思いつめていると言ってもよい。
「僕とこうなったことを後悔しているのか?」
もう一度ベッドに入り、裕美子を抱き寄せた。
「いいえ、ただ不思議な気がして……」
「何が?」
「小学校の頃のあなたのイメージしかなかったから再会した時はまるで初対面のような感覚でいられたけど、こうやってベッドを共にすると妙に懐かしく感じるの。何故かしらね?」
「僕もだよ。だが君は素晴らしかった」
お世辞ではない。想像していた以上の悦びを裕美子は私に与えてくれた。抱き合っている間二人の運命や呪縛など、そんなものは問題ではなかった。本能のまま体が勝手に目の前にあるものを貪るだけだった。
「運命っていうのかしら。今までこんなこと感じたことなかったのにね」
運命? それはどういう意味だろう。私が感じている運命とはほど遠いものであろうが、裕美子の口からそんな言葉が出てくると軽々しく聞こえるから不思議だ。裕美子にはもっと堂々と、そして運命などと言う言葉は使ってほしくない。
私が黙っていると裕美子が続ける。
私と裕美子はそれから週一回のペースで必ず会うようになり、最近それが二、三回と増えてきた。
それもある事件を契機に二人の間が深まったのか、それとも溝ができたのか、その時私はもちろん裕美子にも、どちらかは分からなかっただろう。
作品名:短編集1(過去作品) 作家名:森本晃次