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短編集1(過去作品)

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 ズラリと並んだその中で一番最初に探したのは綾子の顔だった。しかしその鎮座して並んでいる中に綾子の顔がないではないか! 水谷がそう訊ねると一同皆顔を上げ、それぞれの顔を見合わせていたが、この混乱を見かねた一番奥で頭を下げていた女将が立ち上がると、少し困惑したような表情で話した。
「彼女はお客様が以前来られた時、帰られてからすぐでございましたが、お辞めになりました」
「辞めた!」
 はい、私どもでは理由は分かりかねますが、いつもニコニコしている彼女が急に改まって離しに参りますので何事かと思ったら、辞めたいということを言います」
「そうですか」
 ここに来た一番の目的は言わずと知れた綾子だった。彼女がいるだけで気持ちがなぜか落ち着く。もちろんあの夜のことを期待していないといえば嘘になるが、何よりも彼女といるだけで自分の過去の何かを思い出せそうな気がしていたからだ。ひょっとして以前付き合っていたという中村弘子という女性のイメージを彼女に抱いていたのかも知れない。
 いつまでもこのままいたら話が湿っぽくなると感じた女将が、近くにいた仲居に命じ、水谷を部屋へ案内させた。彼女はおしとやかそうなタイプだが、少し気取ったところのあるお嬢様タイプで、綾子とは似ても似つかないタイプのように思えた。
「どうぞ、こちらです」
 この間の部屋と反対方向に水谷を案内する。
「この間の部屋でもよろしいのですが、こちらの部屋も絶景ですので、じっくりと景色を堪能できますよ」 
 そう言って案内してくれた部屋は廊下の突き当たりにある部屋で、縁側から表を覗いた水谷は、その部屋が以前老人の泊まっていた部屋であることに気が付いた。
 山でほとんど隠れてしまってはいたが、目の前にあるのは明らかに夕日である。下を見下ろすと、そこには以前自分が見上げたあの小道がある。
 沈み行く夕日を見ながら、ゆっくりと籐椅子に腰掛けた水谷はしばし夕日に見入っていたが、何を思ったか下の道を見下ろした。多分以前そこに自分がいて相手を確かめようと必死で覗き込んでいた偶然がそうさせたのかも知れない。
(!)
 さっきまでは確かに誰もいなかった。どうしたことだ、そこには浴衣姿の男がこちらを見上げているではないか! 今まで夕日をじっと見ていたので、眩しさが残ってなかなか顔が確認できなかったが、目が慣れてくるに従い、すぐに確認できるようになるはずだった。しかし、いくら目が慣れてきてもその男の顔がどうしても確認できない。まるで顔から光が発せられ、その光のために見えない感じだ。目を何度も擦ってみたが同じことだった。
 以前見上げた時も、今こうして見下ろしている時も、結局確認できない。何と不思議なことだ。目の前に光っている夕日のせい? それとも今こうして泊まっているこの部屋のせい? この不思議な現象の答えを何とかどちらかに見出したい気がした。
 水谷が今度は縁側に設けられた籐椅子に座ったまま、この部屋を見回した。
(おや?)
 何となく覚えのある間取りである。前に来た時泊まった部屋とはかなり赴きが違っているので、覚えがあるとすればあのときではない。しかもその覚えというのも何か甘美なイメージがあり、その時に女性がいたような気さえしてきた。
(中村弘子という女性だろうか?)
 そう考えると次第に中村弘子のイメージが頭の中に浮かんでくる。
 写真で見た時のイメージそのままにしっかりとしている性格なのだが、話しているうちに子供のような甘えた性格が顔を出す。
(そうだ、弘子というのはそういう女性だ)
 そのためか、表に出てこない部分が多いような気がして何か秘密事があってもその盛夏期からか、絶対にそれを相手に悟られるようなヘマをやらない女だ。浮気をしているのではと思い探ってみたことがあったが、結局分からなかった。強かで計算高い女だが、決して人に嫌われるようなことのない不思議な魅力を持った女のようだ。
 弘子と一緒に泊まったことのある旅館がここだとは断言できないが、ただ記憶を思い出すきっかけとなったのがこの部屋というのだけで、ただの偶然かも知れない。
 水谷はなにやら胸騒ぎを覚え、女将のところへ行った。記憶が少しずつ戻る中で、今まで自分の周りで起こっていることが記憶を失う前とを境に、何か目に見えない鏡のようなものがあるのではと感じたからだ。
 最初、女将はなかなか口を開こうとはしなかった。他人のプライバシーに関わることであり、相手の恥を公表するようなものだと感じたからであろう。しかし水谷が今まで自分に起こってきたことをことばを選びながら話すと、それなりに分かってくれたのか、堅かった口を少しずつ緩め始めた。
「実は自殺したのでございます」
「自殺!」
 水谷は弘子のことを思い出した。弘子も死んだという。
 弘子の場合は、不倫相手が殺され、その嫌疑がかかっていた。警察は自殺ではないと言っているがもし水谷が今考えているように綾子の目の前にある鏡の先に弘子がいたとしたら……。
「ひょっとして男性関係ですか?」
「ええっ」
 やはりそうなのか?
 女将は少しずつ話し始めた。
 どうやら綾子には好きな人がいて、その人とは婚約までしていたのだが、不幸な事故に遭い亡くなったらしい。雰囲気的には水谷のようなタイプだったらしいので、あの夜の綾子の行動も分からなくもない。
 一時期、不幸のどん底にあった彼女は自殺を考え、水谷がいつも行っていた滝で自殺を図ろうとしたらしい。それを留めたのがちょうど散歩中の男だったそうだ。その男には妻子がいて不倫と分かっていたが、自暴自棄になりかけていた綾子にそんなことは関係なかった。二人はどんどん深入りして行き、結局ドロ沼化したらしい。どうにもならなくなって別れたらしいが、未練があるのか男がまた会いに来た。このままではまずいと思い、取った行動が相手を殺し自分も死ぬことだった。
 すべては彼女の残した遺書から判明したことだが、水谷がここに泊まったときにはすでに決意を固めていたようだ。だから水谷とたった一度だけの契りを交わした理由がそのあたりにありそうだ。それでもあの一夜が彼女にとって一番の幸せだったと水谷自身思いたい。
 少し弘子とは事情が違うかも知れないが、どちらにしても綾子はかわいそうな女である。そう考えると弘子もかわいそうな女だったのだろう。不倫相手を殺したのはたぶん弘子だろうと水谷は思った。そしてそこに自分が多少なりとも関係があったはずだと思う。
 そして思い出の部屋の中にいたであろう弘子の顔を思い出すと、そこには何かを思い詰めている彼女の顔が浮かんでくる。綾子との一夜が、以前にも一度同じ思いを感じたのもそのせいであろう。
 水谷は次の日、女将から綾子の墓を聞くと、さっそく墓参りに行った。彼女の墓は西日の当たる方に立てられていて、これは彼女の遺言だという。女将の話では綾子は西日をやたら気にしていたそうだ。


 旅館に数日滞在した水谷は、療養所に戻ってきて、また一週間がたった。
作品名:短編集1(過去作品) 作家名:森本晃次