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短編集1(過去作品)

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「自分は東の空に昇る朝日よりも西の空に沈む夕日の方が好きだって。それでわざわざ西日の当たる部屋をいつも予約なさるんですよ」
 西日と聞いて水谷はハッと思った。自分も療養所にいる時、西日が当たるベンチに座ることで何かを思い出しそうな気がしていたからだ。しかし何の根拠もなく、いくら座ってみても結局思い出せなかったことから先生にははっきりとしたことは話していない。
 今まで一週間いて存在感を感じなかったことからあまり気にもしていなかったが、逆に存在感のないことにより気になり出したことが、話を聞いているうちにどんどん大きくなり、一度は見てみたいという思いに駈られた。今の話で少なくとも夕方、老人の部屋の外から縁側を覗けばお目にかかれることだけは分かった。
 その日の散歩は夕方にすることにした。散歩が終り、帰って来た時老人の部屋を見上げようと考えたからである。相変わらずそれまでは老人の姿はおろか気配も感じなかったが、
不思議でも何でもない。夕日を見つめている老人の姿しか今の水谷の頭の中にはないのだから……。
 老人の部屋からの見晴らしは素晴らしいという話である。目の前には緑鮮やかな森が広がり、その少し奥に見える池をきれいに浮き上がらせている。池にしても自然にできたにしてはきれいな円形になっていて、まるで緑の中に青い丸がクッキリと浮かび上がっているかのごとくで画家であればこんな絶景を見逃すはずのないほどの景色だ。
 水谷は思う。
(もしそれに夕日が当たるとさぞかしきれいだろう)
 幸いなことに水谷が気付かれることはまずないだろう。森の手前には小さな川が流れていて、その横はさらに小さな道になっている。それも人工のものではなく自然にできたものだろう。湿気のためか土質か、粘土のようにドロドロになった道を歩く者がいるなど誰が考えよう。しかも隅から覗く分、相手からも死角となるからだ。
 水谷はそっと見上げた。一人の男が確かに縁側に座っているのが見える。縁側に置かれた藤椅子に深く腰掛け、微動だにせずじっと一点を見つめているようだ。
 しかし残念なことにその顔を見ることはできなかった。ちょうど夕日がガラスに当たり、その反射から下にいる水谷に当たるのだ。何となく座っている光景だけが想像できるにとどまってしまった。最初こそ何とかして覗こうと考えたが、何分足元が不安定で、不可能なことはすぐに分かった。
(結局だめだったか。自分のこともよく分からないくせに、人を気にすること自体、無理があるのかも知れない)
 そう考えると、あまり残念な気がしなかった。
 綾子から老人が帰ったと聞かされたのは次の日であった。結局一度もその存在を確認することができず帰ってしまったのだ。
 水谷も一週間もしないうちにこの地を去った。そして旅館に宿泊客は誰もいなくなってしまったのである。


 街に戻った水谷は数日後療養所を訪れた。定期検診と藤原先生に旅館のお礼を言うためである。手土産を持って現れた水谷を藤原先生は笑顔で迎えてくれた。ここにいた頃と違い、顔色も良くなっていることに、一瞬にして気付いたからである。
 水谷はそこでの出来事を掻い摘んで話した。もちろん世間話程度のことで、綾子とのことは内密にしていた。聞けばさぞかし驚くに違いない。
 藤原先生はニコニコと聞いていた。自分が紹介したところを喜んでくれていると思っただけで、自然と顔が綻んで来るのだろう。
「あそこは一年中いつ行っても良い所なんだよ。春はサクラがきれいだし、夏はきれいな緑の中、池で水遊びもできる。秋は紅葉、冬になれば一面銀世界と季節ごとそれぞれの顔がある」
 この間まで見ていた光景を先生の話の中で一年が経つのを想像してみた。見たことのない他の季節が目を瞑れば自然と浮かんで来る。しかし、その中で本当に見たいと感じたのは銀世界で露天風呂に浸かりながらの雪景色はさぞかし素晴らしいことだろう。
「ところで先生、妙な男がいたんですよ」
「どんな?」
「老人なんですがね」
 水谷はどうしようかと思ったが、先生にならいいだろうと思い、老人のことを話してみることにした。他の人であればまず話そうなど思わないだろう。
 水谷にとっては老人の存在そのものよりも、老人を結局見ることができなかった方が不思議であった。今まで何度か当地へ行っている先生であれば、ひょっとしてその老人を見かけたことがあるのではないだろうか。
「私は知りませんね。旅館の人から聞いたこともない。しかしあそこは確かに芸術家の人が何人か利用しているらしく、実際私はその中の画家の先生を知っているよ」
「それが少し変わっているんです」
 水谷が西日の当たる縁側の話をすると、藤原先生は急に口を噤んでしまい、腕を組んで考え込んだ。
「あまり気にしない方がいいよ」
 そう言って顔を上げたのは、それからしばらくたってからのことだった。
 その時である。藤原先生の机の上の電話が研究室に響き渡った。この音は外線からではなく内線で、番号を見るとどうやら受付からのようだ。
「藤原です」
 事務的な口調で返事したが、そのうちに苦虫を噛み潰すような何とも言えない表情になったかと思うと
「通して下さい」
とひとこと言って電話を切った。
 気を利かせて席を立とうとした水谷を制するように
「君もここにいてくれ給え」
 さっきまでの世間話のトーンにくらべ、かなり低い声である。
 水谷が神妙に腰掛けると扉をノックする音が聞こえ、女性事務員が扉を開けると、そこにはスーツ姿の男が二人立っていた。
 直感で二人が普通のサラリーマンでないことは分かった。入ってくるなりその挑戦的にも見える目付きは海千山千を感じさせ、まるで自分がヘビに睨まれたカエルのような気がしてくる。
「どうぞこちらへ」
 二人の正体を知っている藤原先生は、恐縮そうにソファーへと招き入れた。そして自分もそのまま対面に座ると、水谷を自分の横に座るように促した。
「失礼します」
 丁寧ではあるが、どこか迫力のあるその言い方はただ者ではない。
「こちらは刑事さんだ」
 二人の男が手帳を出そうとしたその時、藤原先生がそう紹介した。いきなり目の前に手帳を示され、本人たちに言われるより自分から紹介した方が良いと考えたからだろう。
「実はですね、ちょっと水谷さんにお聞きしたいことがございまして」
「私は数ヶ月前交通事故に遭い、それ以前の記憶がないんですが……」
「はい、先生から伺っております」
ということは、水谷に会う前に藤原先生とは話をしたことがあるのだろう。恐らくは水谷が温泉に行っている時のことであろう。
 水谷の交通事故はひき逃げだった。犯人はまだ捕まっていないと聞いていたが、刑事がわざわざ来たということは、その犯人が捕まったということだろうとその時は思った。
「刑事さん、ひき逃げ犯人が捕まったんですか?」
 二人の刑事は顔を見合わせ、少し苦笑いを浮かべた。その時はそれがどういうことを意味しているのか分からなかったが、話を聞いているうち、次第に自分の立場が微妙になって行くのを感じた。
 刑事のうちの一人がスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出し、机の上に置いた。
「この方をご存知ですか?」
作品名:短編集1(過去作品) 作家名:森本晃次