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短編集1(過去作品)

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 元々人の顔を覚えるのが苦手な私の頭の中に、目を瞑れば浮かんでくるかすみの顔のイメージは、この間美術館で見た絵そのものだった。そして初めて彼女に出会ったのが、その近くの喫茶店だったので、この間と同じコースをたどることにした。
 若い人たちの中にいれば自分も若く見られるだろうということがそれほど自分勝手な考えであったか今さらながらに思い知らされる。
 今日はこの間と違い雨が降っている。せっかくの土曜日も雨が降っては公園もさぞかし人が少ないだろうと思ったが、なかなかどうして池のまわりを見渡せば、どこを向いても人がいるような気がする。
 美術館も入口に入っただけでザワザワと人の声が聞こえてきて、溢れんばかりに傘立てに置かれた傘を見ただけで、中の人の多さが想像できる。
 展示内容はこの間と同じである。最初からゆっくりと見て行き、どれも見覚えがあるため、最初の時と比べれば少し動くスピードが早まったかも知れない。しかし前と比べ、同じ絵でも見方を少し変えることによって前と違うイメージで見れることもあってか、素通りはもったいない。
 ここに来るまではほとんどの絵を忘れていたはずだった。しかしこうやって再度見て回ると、絵の内容はおろか順番までがはっきりと思い出せるのは、意外と自分が絵に対し造詣が深いからかも知れない。
 人物画、風景画、それぞれ以前漠然と見ていたようでも、その時に感じたことを思い出すことができる。
(おやっ)
 例の山田義太夫のコーナーに差し掛かった時である。何となく絵の配置が変わっているような気がした。私に似ていると思い、さらにその後現れたかすみをイメージしたその絵の位置が、山田義太夫のコーナーの頭に移動している。しかも移動したための光の加減であろうか、描かれている女性が少し年を取ったように見えるのである。
 しばしそこに立ち止まり、もう少しじっくりと見た。
 私は何か腑に落ちない気がしてきた。確かに同じ絵である。描かれている人も同じで背景も同じなのだが、絵全体が以前見た時より暗い気がする。元々背景に暗い色を使っている関係で第一印象も暗いと思ったが、さらにそれよりも暗くなっていた。
 山を背景にした人物画で、バックには田園風景が広がっているのどかなところだ。その後ろにある山の少し上に沈み行く太陽が描かれていて、太陽のある側と反対側とでは空の色にかなりの違いがある。そこに描かれている女性ののどかな表情と沈み行く太陽に照らされた田園風景がまさに黄昏時だ。
 今ここで見ている絵は以前の太陽の位置に比べ、少し低いような気がする。
(私が疲れているのだろうか? 錯覚に違いない)
 しかし考え方によればこうも考えられる。この間と違い今日は雨が降っている。表は全体的に暗く、雨音だけが響いているが、そのイメージのままじっと見つめたのがこの絵だった……。
 その影響がないとは言い切れない。
 だが……、絵に写っている女性の表情は前見た時、確かにのどかだったはずである。今日はこの絵を見て暗いと感じたのは何もバックの色だけのせいではなく、この女性の表情からもそれが感じられるからだ。まるでゆっくりとした時間が絵に中で繰り広げられているような感じだ。
 のどかというよりも哀愁が漂い、それが黄昏時を演出している。初めて見る人はそう感じるだろう。私には同じ絵であっても、全く違う絵のように見えて仕方がない。
 どれくらい時間がたったのだろう。見る見る顔が赤くなっていると思えるほど、真剣に見詰めている私の肩を叩く者がいる。叩かれた瞬間私の時間が止まってしまい、ビクっと体が反応したかと思えば、そのまま硬直してしまった。それが解けたのはその人がもう一度肩を叩いてくれたからである。
 二度目に叩かれた時、私は反射的に振り向いた。たぶん相手を確認する前から驚きの表情をしていたのだろう。私の顔を見てその人もビックリしていた。
「こんなところで会うなんて奇遇ですね」
 ニコニコ微笑んでいる。その顔を見た時の自分の表情は想像の域を越えていただろう。そう、まさかあの男が美術館にくるなんて思いもしなかったからである。
 その男はこの間かすみと行った「コスモス」で、なぜか会話の弾んだ男だった。表情はあの時とさほど変わらないが、雰囲気が違うのは昼と夜、そして何よりもスナックと美術館というギャップの激しさから来るものだろう。
「美術館にはよく来られるんですか?」
 ジーンズにTシャツというラフな服装が似合いそうな男に、どうしても美術館のイメージが湧いてこない。目の前にいてもそのこと自体が私には信じられない。
「いいえ、一人で来るのは始めてです。学生時代に学校から来たくらいですかね」
「じゃあ、今日はどうして?」
「それがね、電車の広告を見ていると急に行きたくなったんです。でもそのおかげであなたに会えた」
 彼は本当に喜んでいるようだ。男の人から会えて嬉しいなどと言われて嬉しくないはずもなく、今日一日をこの人と一緒に過ごしてもいいかなとさえ思うようになっていた。
「美術館にいるとゴージャスな時間を過ごしているような気がしてくるんですよね」
「そうですね、最初はただの暇つぶしのつもりだったけど実際絵に興味がなくとも、気が付いたら一生懸命に見ていました」
 美術館というのは、不思議な雰囲気がある。静かな空間に靴音だけが響きわたり、それも効果音抜群の中に規則的な音を奏でている。私はこの音がゴージャスに感じるのだ。
「ゴージャスな気分になれました?」
「ええっおかげ様で……。ところでこの絵がお気に入りのようですね」
「そういうわけじゃないんですが」
「一生懸命に見ておられた」
「ええ、まあ」
 私は言葉を濁した。初めてこの絵を見る人に私だけが感じていることを話しても仕方がないからだ。
 彼は私の顔を探るように覗き込んだ。それを痛いほど感じた私はなるべく悟られないように視線を逸らしたが、それでもぎこちなさがわかるのか、それ以上のことはなかった。
 さらりと次の絵に移動すると、彼も同じように移動し、二人して黙って絵を見詰めて行った。
「やはり最後まで見ると疲れますね、特に立ちっぱなしだから足にきます」
 そう言って彼はふくらはぎのあたりをしきりに押さえている。
「近くに気のきいた喫茶店があるんですが、行きませんか?」
「いいですね、行きましょう」
 その言葉を待っていたのか、急にニコニコし出した彼の目は輝いていた。
「そういえば、お名前を伺っていませんでしたよね」
「申し遅れました。横谷浩といいます。まあ平凡な会社員ですね」
とおどけた調子でいう。
 年齢は第一印象通り私より二つほど年上だが、二十九歳にしては若く見えるのはなぜだろう。別に童顔というわけではないが、雰囲気として感じる人なつっこさのせいかもしれない。
 少し馴れ馴れしさがある。喋り方にも人を食ったようなところがあるが、学生時代にも友人に似たタイプがいたのでよく分かる。本人にもちろん悪気はなく、逆に親しみを込めているつもりだろう。指摘したりするとこういうタイプは意固地になりやすいので放っておくことにした。それに第一印象ほど嫌な人ではなさそうだ。
作品名:短編集1(過去作品) 作家名:森本晃次