矛盾への浄化
――ある時間からある時間に飛び越えるというよりも、先に到達していて、時間が追いついてくるという感覚がある、時間が追いついてくるまでに待っているという意識がないことがタイムマシンの論理なのではないだろうか――
と考えていた。
その時間、本当であれば人はその分年を取ってしまうのであろうが、年を取ることがないことから、
――時を一瞬にして飛び越えた――
と感じるのだろう。
時間が追いついてくるまで意識がないというのは、記憶されていないだけで、意識はあるのかも知れない。それはまるでさながら、
――覚めることのない夢――
を彷彿されるものなのではないだろうか。
年を取らないという理屈は、時間が追いついてくるまで待っているというわけではなく、ものすごいスピードでどこかに行って、戻ってくる感覚、つまりはアインシュタインの相対性理論の中にある、
――光速を超えるスピードに入り込めば、時間は通常に比べてかなり遅く進行するものだ――
という理屈である。
では一体どこに行って、どこから戻ってくるのかというのは、波を描くカーブの点から点を飛び越える世界。平面で描けば最短距離であるが、実際には立体にすれば、逆に大きな遠回りになる世界が存在しているという発想である。そういう発想でも抱かなければ、タイムマシンというものの構造的な理屈を解釈することはできないと坂田は考えていた。
そして、平面から立体へ時間軸を飛び越えた瞬間、人は意識や記憶を失ってしまう。それが時間を飛び越える上での約束事のように思われた。別の次元から来た人間が及ぼす影響がどれほどのものかを考えれば、その人の記憶や意識がないことで、及ぼされた影響は必然だったと思えるようになり、そもそも考えられるパラドックスも存在しないと考えるのは、あまりにも都合のいいことであろうか。
ただ、そうなると、タイムマシンの意義そのものがなくなってしまう。それが坂田がタイムマシンの存在を信じらえないという根拠であった。彼の質問に対して即答したというのは、迷うことがなかったということで、そこには迷うことのない即答を促すことができるだけの根拠が最初から坂田にあったことを示していた。そのことは彼にも最初から分かっていたようだった。
ただ、坂田は自分の記憶や意識が次第に薄れて行っていることを最近やっと自覚し始めた。それははづきと知り合うより前だったかのか後だったのか、ハッキリとは分からない。しかし、微妙な時期だったということを坂田は感じていた。
坂田は目の前にいるこの男は、タイムマシンの存在を信じて疑わない気持ちがあるのを分かっていた。それがどこから来る自身なのか確かめたい気持ちがありありだったが、敢えて冷静でいることで、彼の気持ちを正面からだけではなく、縦横無尽に見れるように考えているのだった。
――一体、この自信はどこから来るのだろう?
話をしていて、決して根拠のないことを信じるような男性には見えなかった。むしろ人の意見がどうであれ、自分が信じられないと思えばその思いを貫くような一本芯が通ったようなまっすぐなところを感じていた。それだけに、彼に対してまだまだ自分が理解できていないことを、坂田は感じていたのだった。
だが、それは彼にしても同じだった。坂田の本心が見えてこないことから、本人としては、坂田の目がどこからでも入って来れるように開放的になることを心掛けていた。だからこそ、坂田にも彼のことが分かってきたのであって、それでも分かりきれないところは、それぞれの性格や感性の違いにあるのかも知れない。その部分はお互いに侵してはいけない部分であり、
――交わることのない平行線を描いている――
と、お互いに感じさせるところであった。
二人とも似ているところをたくさん持ちながら、どうしても交わることのない平行線の強さもかなりのもので、
――いい意味でお互いが刺激し合える仲なのではないか――
と、それぞれに考えていたようだ。
坂田はその日、普段ほとんど呑まないのに、思ったよりも呑んでいたようだ。会話をしながらだったので、そんなに酔っ払ったという意識はなかったが、店を出てから一人になると、急に酔いが回ってきたのか、一緒に睡魔まで襲ってきたようだ。
「あれ? どうしちゃったんだろう?」
こんなに前後不覚に陥るほど呑むなんて、考えられないと思っていたが、それ以上に気持ち悪さが襲ってこないのが不思議だった。
ここまで酔いが回れば、吐き気はもちろんのこと、激しい頭痛に襲われてもおかしくないのに、そこまで至っていない。
――これから襲ってくるのかな?
とも思ったが、その前に眠ってしまいそうな気がした。
普段なら、ここまで酔い潰れれば、睡魔よりも気持ち悪さの方が勝つので、眠るどころではなくなってしまう。それが分かっているから呑まないのに、今日はそれでも呑んだということは、
――気持ち悪くならないことを確信していたんだろうか?
どこまでが自覚なのか、分かっていなかった。
それでも、意識が朦朧としているのは事実だった。朦朧としながらも、意識は残っている。そんな状態は今までに経験したことはなかった。意識が朦朧としてくれば、気絶しないまでも、後で思い出すことができないだろうと思うほど、意識が薄れていくのを感じるものだったが、その日は心地よい睡魔に襲われながら、眠りに就けることを確信していた。それなのに、気が付けば病院のベッドで寝ていた。
「気が付かれたようですね」
と、ナースに声を掛けられ、思わず、
――どこかでこんな感覚を味わったような――
と、デジャブを感じた。
それは、はづきが交通事故に遭った時、ベッドに寝ている彼女を見て、思わず自分が交通事故に遭ったかのような錯覚を覚えたのだということを思い出した。ただ、その時は意識をしていたわけではなかった。自分が近い将来、同じように病室のベッドの上から、同じようにナースを見ることになるとは思っていなかったはずである。
――どうしてなんだろう?
まず、なぜ自分がここにいるのかという疑問よりも、先にベッドから見つめるまわりの景色に違和感がない自分を不思議に感じたのだ。
坂田は、自分のプライバシーをまわりの人に覗かれているような錯覚に陥っていた。それは被害妄想というよりも、自分が記憶を失っているにも関わらず、自分以外の人の方が自分のことをよく知っているということに、矛盾を感じたからだった。
――何だか、僕は未来から来た人間のような気がするな――
と、タイムマシンを信じていないくせにそんなことを思うのは、
――入院して、心細くなっているからなのかも知れない――
と思うからだった。
被害妄想を感じるのも同じ理由なのかと思ったが、どうやら違うようだ。本当に誰かに自分のプライバシーを覗かれているような気がした。考えていることがすべて筒抜けになっているかのようだった。
だが、なぜ自分が入院しているのか坂田は分からなかった。あまりにも急な展開に当然のことながら頭がついて行かない。
――でも、前から入院することが分かっていたような気がする――