矛盾への浄化
「先生のお気持ち、分かるような気がします。そういう時ほど、デジャブ現象に陥りやすいと思いますし、デジャブが重なると、自分が何を考えていたのか、我に返ったみたいで、急に思い出せなくなることもあるんでしょうね。実は私も以前は同じようなことがありました。だから何となくですが、分かるような気がするんですよ」
と、彼の話は坂田をフォローしているようにも聞こえたが、漠然としたことに変わりはなかった。
会話が一瞬途絶えた。それまで白熱していただけに、一瞬だけでも、時間が長く感じられ、そのせいもあってか、途絶えてしまった隙をぬって、そのまま会話は膠着状態に陥り、場は落ち着きを取り戻した。
二人は水割りを呑んでいたが、ペースは圧倒的に彼の方が早かった。
――結構、呑める方なんだな――
と、あまり呑めない坂田は感心しながら見ていた。それでも、普段に比べて少しペースが早くなっていた坂田は、
――会話をしていると、知らず知らずのうちに盃も進むというものだ――
と感じていた。
少し続いた沈黙を破ったのは、やはりというか、彼の方だった。
「僕が実はタイムマシンを使って未来から来た人間だと言えば、先生はビックリしますか?」
またしても、いきなり何を言い出すというのだろう。しかし、今さらビックリしても仕方がない。
「別にビックリはしないけど、ビックリしてほしかったかね?」
と返事を返したのは、
――彼が聞いてきた話の内容に対してビックリしたというよりも、バカバカしい話をする人だということにビックリした方がよかったのだろうか――
ということを暗に仄めかしていたのだ。
それにしても、この青年は、どこまでが本気なのか分からない。平気でタイムマシンに乗ってきたなどという戯言を口走るのだから、そう感じても無理もないことであろう。
ただ、坂田も大学時代くらいまでは、これくらいの戯言は平気で言っていたような気がした。それでも大学生だから許されたのであって。彼はすでに学生ではないという。それを思うと、
――僕も少し年を取ったということなのかな?
と、まだ卒業してから十年も経っていない自分を顧みていた。
「タイムマシンを信じないと言われた先生なので、タイムマシンについての談義を重ねるのは難しいと思いますが、先生がタイムマシンを信じないと言った根拠はやぱり『パラドックス』の問題ですか?」
パラドックスというのは、時間を超越することによって起こる矛盾のことで、一つの矛盾が起きてしまうと、それがどこまで影響してくるか分からない。それなら、最初から矛盾が起こるようなことはできないものだと考える方が自然ではないだろうか。矛盾が起こるパラドックス自体も架空の話なのだ。最初から発想だけでありえないことだと思えば、余計なことを考える必要はない。
学者というものは、すべての可能性を考えなければいけないわけではない。
いかにたくさんある可能性の中から必然的なことだけを見つけ出して、そこから一つの正当性のある答えを導き出すことができるかということが、研究ということだと坂田は思っている。したがって、最終的にどこまで絞れるかが問題であり、絞れた時点で、ほぼ研究が成功したのかどうか分かるというものだった。
坂田がタイムマシンについて考えた時、必然的なことだけを見出してくると、そこに何も残らない気がしたので、
「僕はタイムマシンは信じない」
という結論に達したのだ。
「先生は、タイムマシンを自分の論理で作ってみようとは思わないんですね?」
「そうだね。作ろうとすると、自分の中で否定しようという思いが強くなり、作ろうという思いと、否定しようという思いとが交錯する中で、最後にはそのどちらもなくなってしまいそうになる。それって恐ろしい気がするんだ」
「恐ろしい?」
「ええ、自分で自分を呑み込もうとしているようで、それはまるでヘビが尻尾から自分の身体を呑みこんでいくようで、最後はどうなるんだろうって思うと、それこそ矛盾の中で見い出すことのできないはずの答えを求めているんですよ」
「それがタイムマシンの発想に繋がってくるんですね」
「その通りです」
それまで一人で考えていると、分かっているつもりでもハッキリと言葉にできるほど具体的な発想が生まれているわけではない。一人孤独な世界というのは冷静に考えられるようで、結局は一人なのだ。明確に誰かがいてくれて会話になっているのであれば、自分の発想がどんどん膨らんでいき、柔軟性を帯びてくるのを感じていた。
――論理的に物事を考えるというのは難しいことだ――
と思いながらも、
――いや、楽しいことでもあるな――
と感じた坂田だった。
正直言えば、今までにタイムマシンの発想を何度となく抱いたことがあった。しかし、いつも一人で抱いていることもあって、最終的には同じところに戻ってきてしまう。堂々巡りを繰り返すことになるのだが、それも同じ範囲を繰り返しているのであれば納得もいくが、次第に考える範囲が狭まってくる気がする。
――これって、子供の頃に見たものを久しぶりに見た時に感じる狭さに似たものがあるのかも知れない――
と感じた。
子供の頃に見た光景と大人になって見る光景では、広さが違って見えるのは、至極当たり前に感じられた。根本的に背の高さが違うのだから、当然目線が違うことで目の前に広がっている光景の広がりに違いがあるのは当然だ。それは距離感の違いとも相まって、身体が大きくなればなるほど、近くに感じられ、今まで大きいと思っていたものが小さく感じられるようになるのだ。
ということは、堂々巡りを繰り返している自分の考えている範囲が狭く感じられるのも、そこには後退しているという感覚よりも自分の考えが成長しているからだと思う方が自然なのかも知れない。
だが、なぜかそうは思えない。どうしても後退しているという印象が強いのだ。
それは、堂々巡りを繰り返しているということが、錯覚を呼んでいるのではないかと思っている。堂々巡りを繰り返すということは、考えられる範囲が決まってしまって、どんなに考えようともそこから逸脱した考えを抱くことはできないことになる。
――考えを広げることはできずに、深めることしかできない――
それが、堂々巡りを繰り返すという定義になるのだ。
坂田がタイムマシンを思い浮かべた時のことを思い出そうとしたが、思い出すことができない。
――いよいよ記憶の欠落が加速してきたのかな?
と感じていた。
最近では、前の日に人と話をしたことすら覚えていない。意見を戦わせて話をしたはずなのに、記憶が途絶えているのだ。
確かに集中している時というのは時間を感じることのないほどに、別世界を形成しているように思う。その時間が過ぎてしまえば、まるで他人事だと思うほどに、時間の経過はその部分に穴が空いたかのように感じるものなのだろうが、坂田の中で穴すら感じられない。
その発想がタイムマシンに繋がっているというのは、何とも皮肉なことでもあった。