矛盾への浄化
――きっかけなんて、案外と小さなことだったりするのかも知れないな――
覚えていないということは、その時はきっかけだったという意識があったわけではないのだろう。ただ、興味を持った時、
――確かに何かのきっかけがあったような気がする――
と感じたのを思い出していた。
「ところで先生はタイムマシンの存在を信じますか?」
彼はそうサラリと言った。
「僕は信じないな」
というと、彼は意外そうな顔をして、
「えっ、そうなんですか? 先生なら一番信じているような気がしたんですけど」
「ん? 何か不都合でも?」
坂田はニヤリと笑顔を浮かべ、問いただした。
「いえ、そんなことはないんですが、私は信じているんですよ。タイムマシンというのは、使い方を間違えれば未来や過去に重大な禍根を残すものとなるのは十分に分かっているつもりなんですけど、正しく使えば、これはこれで使い道はある。逆に正しく使うことで、間違って進みかけている歴史を正しくできるのかも知れない。そう思うと、私は逆にタイムマシンの存在を信じるようになりました」
「それは、目の前で急に歴史の矛盾でも発見したということかね?」
「私はそう思っています。冷静に考えれば結末は違っていたと思うことが今までにはいくつかありました。人間は、歴史というものが真っ直ぐに繋がっていると信じて疑わないですよね。だから、少々の矛盾があっても、そこはスル―してしまう。でも、私はそこに疑問を感じ、矛盾を矛盾として受け止めることにした。そう思うと、歴史をどこかで操作している見えない力がどこかに存在していると思ったんです。それを証明することは難しい。でも、タイムマシンの存在を否定しなければ、歴史を操作している見えない力の存在を証明できないまでも、説明することができると思ったんですよ。過去や未来を行き来している人がいる。そしてその人が大なり小なり歴史に影響を与えている。ただ、それを私は悪いことだと思わない。悪いことだとすれば、歴史に矛盾が生じても、何ら変わりなく歴史は進んでいるんですよ。そう思うと、タイムマシンを否定して、歴史の流れを一つだと思うことほど一つの考えに凝り固まった発想だとして受け入れることができなくなってきました」
彼の発想は留まるところを知らないような気がした。しかし、彼はそれ以上語ろうとしない。
――ここまで語れば、後はどうにでも発想はついてくる――
と思っているに違いないと感じたからだ。
「確かに、あなたの発想は実に興味深い。しかし、それを現実と照らし合わせて、どこまで信じられるかを考えると、僕には、手放しであなたの考えに乗ることはできません」
「なるほど、やはり先生は学者肌のお方なんですね。確かに先生の話も正論だと思います。でも私の意見もそれなりに正論だと思っています。そういう意味では正論というのはいくつもあるものなのかも知れないですね。そのおかげで、価値は薄れるかも知れませんけどね」
発想には広がりと、絞られたものがある。男の発想は限りなく広がりを見せるもので、坂田の発想は、絞られたものだ。坂田の発想の方がより現実的に感じられるが、それはタイムマシンについて考える人の定説と言えるのではないだろうか。
「先生はその場所にいると、時間があっという間に過ぎてしまったという経験をしたことがありますか? 誰かと話をしているとあっという間に時間が過ぎるといいますが、先生もその意見に賛成ですか?」
「僕は、そのことに関してはあまり考えたことはありませんね。時間があっという間に過ぎるということは普通にあることで、別に不思議なことではないと思っているからだと思います」
「私は、子供の頃からずっとそのことが気になっていたんですよ。心理学を専攻したのも、誰かと話をしていると時間を短く感じるという発想からだったんです。もちろん、他にも理由はあったんですが、子供の頃から一番長く自分の中で疑問に思うこととして燻っていたことを研究してみたくなったんですね」
「それがタイムマシンの発想に行きついたというわけですか?」
「それもあります。自分の発想が子供の頃から変わっていない中で、枝葉に別れていたのも事実です。タイムマシンの発想の一部としてもそうですが、心理学を志すという意味では、自分の発想が派生した部分に心理学を勉強したいと思うことがあったんですね」
「それはどういう発想なんですか?」
「時間と意識、記憶のそれぞれの関係を研究してみたいと思いました。心理学を研究しようと思い始めた時はそこまで考えていなかったんですが、私が師と仰ぐ教授が、この発想を私に話してくれたことがあったんです。それまで、枝葉の方を漠然としてしか考えていなかった私の中で、いくつかの点として存在していたものが、初めて線として繋がった瞬間だったんです」
「それは直線なんですか?」
「最初は点でしか見ていなかったので、結んでみた状態を想像もしていませんでしたが、実際に線で結んでみると、直線だったんです。それも分かりやすい直線だったんですよ。それを感じた時、私は教授のことを尊敬して余りある人だと思うようになりました」
「その教授というのは今は?」
「残念ながら、今は会うことができないんですが、私が何かの結論を見つけ出せば、教授とお話ができるようになると思っています」
男の話はどこか掴みどころのないものだったが、なぜか納得の行く部分もあり、
――まるで目からうろこが落ちたようだ――
と感じさせるところもあった。
「でも、話を聞いていれば、確かにあっという間に時間が過ぎたと感じたことがあったような気もする」
「意識していなかったのにですか?」
「あらためて言われると、意識していないと思っていたことでも、本当は無意識の中で記憶として残っていたということになるんだろうけど、その記憶は無意識の中でしか存在しないものなので、普段はまったく意識することがないんですよ。だから、急に見たことがないはずのものなのに、以前に見たことがあるというような思いを抱くことになる」
「それこそ、まるでデジャブ現象ですね」
「そうなんだよ。デジャブに関してはいろいろな説があり、決定的なものはないんだけど、それに関しては、僕はいくつも考えがあってもいいと思っているんだ。つまりは、言葉にすれば一つだけど、同じデジャブでも、いくつか種類があってしかるべきだと思っているんだ」
「種類を持って発想できるところが、先生と私の似たところだと思っています。もっとも、心理学というのは、いくつもの発想を思い浮かべることから始まるのではないかと私は思っているので、感覚的な現象と心理学との関係は、曖昧でありながら、いくつもの発想が生まれることで、相関関係にあると言えるのではないでしょうか」
「僕は心理学を専攻し始めた理由について、実はあまり意識がないんですよ。それなりの理由があったはずなんですが、それを思い出せない。初志の思いと変わってしまったからなのかも知れないと思いましたが、それだけではないと思うんですよね。記憶自体が薄れてきたというか、特に肝心なことほど、思い出そうとすると、覚えていないということが結構あったりします」