矛盾への浄化
それが教授の助手となって、心理学を研究するようになると、自分のことをいつの間にか気にしなくなっている自分がいたことに気が付いた。原因が心理学にあるということを感じていなかったが、教授にも同じところがあったのだと思うようになると、二人の共通点である心理学の研究が大いに影響しているのだということを考えないわけにはいかなくなった。
榎本は自分が他人のことを気にしなくなった原因を最初は、
――タイムマシンで行ったり来たりするからだ――
と思っていたが、実はその他にも重大なことを忘れているような気がしていた。それははづきの存在であるということに気付くと、
――教授にも榎本にとってのはづきのような人がいるのではないか?
と思うようになった。
それがはづきではないことは分かっていた。なぜなら、教授が自分のことを気にしなくなったのは二人が過去に行ってからのことだったからだ。目の前にいる人が無意識に影響しているのだということを榎本が気付いたその時点で、教授にとってはづきの存在は、自分を気にしなくなったという点で、除外されることになるだろう。
――では一体誰なんだ?
と思った時、ふと感じたのが母親だった。
教授は自分の母親のことを仕事仲間には決して話そうとはしなかった。何か曰くでもあるのではないかと思うほど、まわりに話すことはなかった。母親が影響していると思って見ていると、母親の死が間近であることを、タイムトラベルの寸前に知った。
しかし、何度も繰り返しているうちに、母親が死んでいないことを知ると、そのことが今後の自分たちに何か大きな影響を及ぼすような気がして仕方がなかった。
歴史が変わっていることを、榎本は最初、
――すべては俺の責任だ――
と思っていた。
これだけ何度も同じ時代を往復しているのだから、歴史に何か影響を及ぼさない方がおかしいというものだ。しかし、それは以前から研究していた心理学からの派生で、時代を超越する時の考え方として、
「同じ時代を行き来する時、一度であっても、何度であっても、歴史が変わるとすれば一度目だけだ。それ以降は歴史が変わった後のことなので、再度歴史が変わるということはないのではないか」
というものだった。
その意見には榎本も賛成だった。
今回何度も同じ時代を行き来していたのは、その考えの証明でもあった。一度目で何も変わっていないのであれば、それ以降も歴史が変わることはないということを自分なりに証明したかったのだ。
いや、本当は一度目に歴史が変わっていたのであれば、それを確認したいという思いがあったのかも知れない。だから、今回教授の母親が生きていたということを知ったのだが、変わったとすれば、自分が一度目に来た時にすでに変わっていたことになる。
一度目に来た時は、他にいろいろ見ておきたいことがあったため、教授の母親のことまで目を向けることはなかった。二度目、三度目と同じことで、最初に気になったことを確認するのに、二度目、三度目は手一杯だった。
――そういえば、今回が何度目になるんだろう?
改めて思い直すと、何度目なのかすら、ピンと来なくなっていた。それだけ過去と未来の往復に対して感覚がマヒしてきたのか、それとも、記憶が薄れてきたのと同じように、何かの力が働いているということなのか、過去と未来の往復ということだけに限らず、下手に意識してしまうと、確信を持つことができなくなってしまっていた。
教授の母親が死んでいないということは、榎本に対して精神的に多大な影響を与えていた。
まず、
――俺はタイムトラベルを続けているけど、本当にいいのだろうか?
何を今さらと思うのだが、何が正しいのか分からなくなってくると、余計にそんなことを考える。ただ、
――何が正しいなんて、誰が分かるというのだろう?
開き直りにも似た考えであるが、逆にこの開き直りがあるからこそ、何度もタイムトラベルで、過去と未来を行き来することができているに違いない。開き直りがなければ、タイムトラベルをしない自分は、何を目的に生きていいのか、彷徨っていたような気がする。
自分に目的のようなものがあることに気付いていると、
――目的を持たない自分の人生って、どんな人生になっているんだろう?
ということを、一度は考えるものである。
目的があるからこそ、辛いことや悲しいことを耐えていけるのであって、逆に言えば、持っている目的を果たそうとしている時以外の自分が、いつも辛いことや悲しいことに包まれているようにしか思えない。
果たして、いつもそんな人生なのだろうか?
榎本は、自分の人生を顧みる時、悲観的にしか考えない自分がいうことに気付いていた。だからこそ、目的のない自分が悲しいだけの人生に思えてならなかった。
だが、目的や夢のない人生というのも、それなりに楽しいのではないかと思うようになっていた。
――目的や夢がなければ、それを見つけることから始めればいいんだ――
自分にだって、最初から目的や夢があったわけではないと思っている。どこかの段階で、見つけ出したのだと思うのだが、それを思い出そうとすると、記憶から引き出すことができない。
――本当に最初から、目的や夢を持っていたように思えてならない――
と感じた。そう思った時、はづきのことを思い出した。
――そういえば、はづきはいつも、その人が誰かの生まれ変わりだって言っていたっけ――
もし、自分も誰かの生まれ変わりだとすれば、ということを思い出した時、
――はづきは、俺が教授の子供として一度は生まれたと言っていた――
それは、自分が一歩間違えれば、教授の実験台になっていたということだろうか?
しかも、今の自分が教授と関係のある生き方をしているということは、はづきの言っている生まれ変わりをする人間というのは、最初に生まれた世界からあまり遠くないところで、
――生き直す――
ということができるのかも知れない。
ただ、それを、
――できる――
というべきなのだろうか?
――させられている――
というイメージの方が強い気がする。自分で人生を選べるわけではないので、生きているということだって、ある意味、誰かの見えない力によって、
――生かされている――
と思うべきなのだろう。
ただ、そう思ってしまうと、人間、夢も希望もなくなってしまう。最初から生きることの意味をほとんど失っているのと同じことではないか。それを思うと、榎本は自分が考えていることが人生において、いかに後ろ向きなことであるか、思い知らされていた。
榎本はタイムマシンを使うことで、知らなくてもいいことまで知ってしまったような気がして仕方がなかった。
――後悔なんて絶対にしない――
と思っていたはずなのに、後悔していないつもりでも、後悔に限りなく近い思いをしているように思えてならなかった。
榎本は、タイムマシンというものを本当に特殊な装置だと思っている。タイムマシンは、その性能だけではなく、副次的な力が働いているような気がしていた。それは、タイムトラベルが引き起こす派生的な力があって、それは使用しているその人にしか影響しない力である。