矛盾への浄化
――パラレルワールド効果なんだろうか?
規則的に刻む時間の次の瞬間、無数の可能性が広がっているという発想から生まれたパラレルワールドという考え方、榎本はいつもそのことを考えていたような気がする。特にタイムマシンの研究が具体化した時に、一番の懸念として思っていたのが、このパラレルワールドという考え方だった。
タイムトラベルが、時間の矛盾で起こることだと考えるようになってから、いつ違う世界が開けるのかということを考えると、榎本は自分の発想が、
――してはいけない発想――
だと思いながらも、止めることのできない時間は運命であることを自覚していた。
もう一人の自分に気付いている人がいるとすれば、それははづきだけだ。はづきには、タイムマシンで時々未来に戻ることを話している。いくら真奈美にも自分がタイムマシンで来たということを知らせていたとしても、過去の人間に、タイムトラベルのことが分かるわけもない。未来の人間だからこそ、少しでも理解ができるのだ。当の榎本にしても、自分が過去と未来を往復していることで気が付いた部分がかなりある。きっとはづきにも分からない部分であろう。そう思うと、はづきがどこまで気付いているのかということが気になる榎本だった。
はづきは過去のこの世界を気に入っているようだった。坂田の研究に興味を持ち、人間的にも坂田に惹かれていた。それが恋愛感情ではないことを祈るばかりだが、今の坂田にはづきを預けることは、別に問題ではないと思っている。むしろ、今の教授にはづきを預けることで、未来における教授が組織と関わることもなく研究が続けられるようになればいいと思っているくらいだ。そのためにも、教授の研究は、本当であれば極秘で行われてほしいことだった。他の人に知られる危険性がどれほどのものなのかをいかに坂田に教授できるかが、大きな問題だと思っている。
はづきの記憶は、なかなか戻ってくることはなかった。榎本ははづきを過去の坂田と、真奈美に預けて、少し未来の様子を気にするようになった。
――おかしいな、こんなはずではなかったのに――
未来に未練はなかったはずなのに、どうしても気になったのが、死ぬはずだった坂田教授の母親が生きていることだ。それが元から死ぬほどの病気ではなかったのか、それとも死の淵から生き返ってきたのか、その当たりが分からない。はづきの能力に、
――誰かの生まれ変わりであることが分かる――
というのがあるが、人の生き死にに対して榎本の神経が過敏になっているのも事実のようだ。
榎本は坂田教授が今まで気にしていなかったことに興味を持った。それは坂田教授が自分自身のことにまったく興味を持っていなかったことだった。組織に操られるように研究を続け、そして、はづきを自分に従順なまるでロボットのような人間に育て上げ、そのくせ、少しうまく行かなかっただけでも、
「失敗作だ」
として、まわりに宣伝するかのように振る舞っていた。
ここだけを見ると、あたかも自己防衛の言い訳に聞こえるが、実はそうではなかった。はづきのことを失敗作だと言っているその裏には、組織を意識していることが見て取ることができる。しかし、それは自分のことを度返ししているから言えることであって、もし教授が自分のことを少しでも考えると、もう少しジレンマに陥ることがあってもいいはずだ。
それはもちろん、組織とはづきの間のジレンマのことだ。自分が板挟みになることは、マイナスしか呼び込まないことは分かっているが、ここまで自分を捨てることができる教授を見ていると、冷静さという言葉はおろか、冷徹という言葉すら凌駕しているのではないかと思えるほどの様子だった。それは本当に自分を顧みることを少しでもしてしまうと、成立しない賭けのようなものではないだろうか。そこまで感じると、背筋が寒くなってくるのを感じた。
過去の坂田と、未来の坂田教授との一番の違いは、自分のことを気にしているかしていないかではないかと思うようになった。未来の坂田教授は、いかにも、
――世の中は自分中心に回っている――
と、言わんばかりの自信家に見えていた。そう見えるように、教授がオーラを発していたのだ。よくよく考えれば、無理を押し通しているというのが一般的な考えだろう。しかし、それは教授が、
――自分のことを気にしていないということを隠すためのカモフラージュだった――
ということの裏返しなのではないかと思った。
教授の自信家は、そのまま教授のS性に繋がっているかのように思えた。しかし、実際には教授の自信過剰はカモフラージュではないかと思うと、S性と自信過剰な部分とは切り離して考えなければいけないのではないかと思うようになった。
――教授は、はづきの不思議な力に気付いていたのではないだろうか?
と考えると、さらに考えを発展させて、
――副作用まで見抜いていたような気がする――
というところまで行きつくようになっていた。
教授が自分のことを、
――サディストだ――
と思っていたかどうかは分からないが、自分の気持ちの中で歯止めの利かない部分があることは何となく分かっていたような気がする。だからこそ、
――カモフラージュなどして、まわりを欺こうとしていたのではないか?
という思いがよぎるのであるが、過去の坂田を見ていて、それがそのまま成長した人間なのかどうにも納得がいかなかった。
確かに何十年も経てば人間も、まったく別人のようになっているのは不思議でもないと思うのだが、過去と未来の二人は、全然違っているわけではなく、近いところをニアミスしているように思う。それだけに決して交わることがないように思うということは、完全なる平行線を描いてるように思うのだ。
――そばにいても見えない――
つまりは、どちらかが暗黒の世界を経験しているように思えてならなかった。
――それって危険だよな――
それぞれしか知らない人はそれでもいいが、過去と未来の教授を見てしまった榎本は、
――見てはいけないものを見てしまった――
という思いに駆られ、後悔の念がこみ上げてきた。
だが、未来の教授を見ていると、自分たちがいた頃の教授とは違って見えてきた。
「隣のバラは赤い」
という言葉もあり、どうしても遠くから見ることで、他人事に見えてくるからなのか、贔屓目に見えてくるのを感じると、次第に自分の目が信じられなくなってくるのを感じていた。
しかも、過去と未来を行ったり来たりするという感覚がマヒしてしまうほど身体に影響のあることをしているのだから、不安が募ってくるのも無理もないことだった。
不安が自分に対しての疑心暗鬼に繋がってくることもあるだろう。そんな場合、どこまで自分を信じられるかというのは、今まで生きてきた中で、どれほど自分を見つめてきたかということにも繋がってくる。
榎本は、いつもまわりの人を見ながら、自分と比べてしまっていた。無意識のことなので、あまりいい傾向にはないと思いながらも、仕方のないことだと思って、半分は諦めていた。