矛盾への浄化
――いや、記憶を失う予感があったので、少しでもメモを見ておきたいという意識が働いたのではないだろうか?
発展した考えだったが、こちらの方が説得力があるような気がした。
それは、榎本が自分の記憶が欠落していることを意識しているからで、その欠落した部分を解き明かすヒントが、坂田のメモにあるような気がしたのだ。
坂田は元々はづきのことを考えて過去にやってきたはずなのに、いつの間にか、
――俺は一体何者なんだ?
という思いが自分の中にあって、それを解明しようとしている自分がいたのだった。
榎本は、はづきが坂田助教授にスナック「メモリー」で声を掛けた時、すでに自分の中である程度の目星はつけていた。
はづきが持っている能力として、
――その人が誰の生まれ変わりなのか分かる――
という力を彼女がいつ手に入れることになるのかというのも一つだったが、未来にいるはづきと、過去にいるはづきが同じ人間で、このまま年を取ることもなく、坂田助教授の元にいると思うと、今度は、
――はづきは誰の生まれ変わりだというんだ?
と思うようになった。
タイムトラベルで感じた暗黒の星の世界。その中にはづきの世界が存在しているように思った。
そこまで考えてくると、発想が一周して、元の場所に戻ってくるような思いがした。
――それが、年を取らず、坂田助教授と一緒に時間を消費していくはづきなのではないのだろうか?
という思いに至ってしまう。
矛盾だらけの世界だが、これも、まるでカルタのような無数の一見、何の繋がりもないような坂田教授のメモ帳を思わせる。どこかにキーワードがあり、書いた本人ではないと開くことのできない扉は、そこにはあるのだろう。
榎本は自分が誰なのかということに疑問を持ち始めた。疑問を持ち始めたのは急に感じたことではない。こっちの時代にやってきて、すぐに感じるようになった。そして過去と未来を何度となく往復することで、その思いがさらに強くなった。
教授のメモを見ていると、何かハッキリとはしないが、結論めいたことが書かれているのを分かっている。ただ、そのことを最後の最後で理解できないのは、榎本が教授の理論にどうしても納得がいかないからなのかも知れない。今までの状況や事情を考慮すれば、納得できてしかるべきなのに、何が榎本を納得させないというのだろう?
一つ言えることは、榎本のまわりで、記憶を失うという人が多いということである。自分を含めてのことであるが、少なくとも、未来の坂田教授、そしてはづき、
――自分に関わっている人はどうして皆記憶を失うという状況に陥るのだろう?
これをただの偶然として片づけることは榎本にはできない。ただ、はづきのように特殊な能力を持った人、教授のように、研究に明け暮れ、特殊な力に似た発見をしたであろう人、そして自分と、一体この三人にどんな共通点があるというのだろう?
――待てよ――
よく考えてみると、特別なのは我々三人だけではなく、他の人も記憶を失い時期が一生のうちにどこかにあるのかも知れない。それが数分で終わる人もいれば、数か月記憶を失っている人もいるかも知れない。だが、その記憶喪失状態が、すべての記憶を失っているとは限らないではないか。人知れず記憶喪失だということを隠し、気が付けば記憶喪失状態を抜けていたということだってあるかも知れない。なるべくなら自分が記憶喪失になったなどということを他の人に知られたくないと思うのが人情であろう。
そう思ってみると、今度は記憶喪失になるには、何かの共通点があるのではないかと思うようになった。そこまで考えると、
――教授の研究って、こういうことだったのかも知れない――
確かに教授は、記憶や意識について研究していた。それらしいメモも散見することができる。しかし、それが一つに繋がらないのは、メモは残しても、
――それに対して、他の人が見ても、想像がつかないようにしておかなければいけない――
という作為が込められているからだ。
ただ、その作為が教授の手によるものだけとは考えにくかった。他の人の考えがここには含まれていた。
しかし、教授のメモをうまく改ざんするとしても、そう簡単にできるものではない。教授も警戒していただろうから、教授を無傷で意識させることなく改ざんするには、それだけ教授が信頼を置いている人の手によるものでなければいけないだろう?
――まさか、はづき?
と、一瞬考えたが、すぐに打ち消した。この時一瞬でも感じたことで、真相に近づくのがかなり遅れてしまったことを榎本は分かっていないだろう。
――過ぎたるは及ばざるがごとし――
という言葉があるが、まさしくその通りなのだ。
自分の正体に疑問を持ったのは、自分の記憶が薄れていくのを感じたからだった。もし、自分の記憶が薄れていくことを感じなかったり、
――忘れっぽくなった――
と考えただけであれば、自分の正体に疑問を持つことはないだろう。それは榎本に限ったことではなく、他の人も同じである。記憶が薄れてきたと感じ、記憶喪失を連想するのか、それとも、ただ、忘れっぽくなったとだけしか感じないかの違いによって、見えてくるものもまったく違ってくる。普通であれば、
――記憶が薄れてきた――
という意識よりも、
――忘れっぽくなってきた――
と感じる方が多いだろう。特に年齢を重ねていくことに、そして忙しくなるごとに、忘れっぽくなるというのは不思議なことではない。自分を納得させるには十分な考え方である。
榎本は、そんなまわりの状況を冷静に見ることがすぐにはできなかった。自分も記憶が薄れてきた時、
――忘れっぽくなった――
と感じたからだ。
その方が考える方も楽だし、ただ、学者を志す助手としては、あまりいい傾向ではないことは確かだった。
もう一つ気になっていたのは、はづきの記憶が定期的に失われることだった。自分のことを躁鬱症だと思っている榎本は、定期的という言葉に、自分の躁鬱症を重ね合わせてみた。
躁鬱症は定期的に躁状態と鬱状態が入れ替わる。躁状態と鬱状態の期間は総合するとあまり変わりはない気がするが、実際に躁状態から鬱に変わる時よりも、鬱状態から抜け出す時の方が意識としては残っている。まるでトンネルを抜ける時の感覚だからだ。それはタイムトンネルを抜ける時に感じるものとはまた違ったもので、鬱状態のトンネルの中は、オレンジ色の光で覆われている。その場所から逃げ出したくなるのが分かる光景だった。
鬱状態から抜ける時、表の青い光が差し込んでくるのを感じるのは、
――夕暮れに昼の明るさが戻ってくる感覚だ――
と、それは時系列に対しての「矛盾」を感じさせる。もちろん、あくまでも自分だけが感じるイメージなので、「矛盾」を想像するのがおかしいと一概には言えないだろう。しかし、時間の「矛盾」はどこかタイムトンネルの発想に繋がるものがある。躁鬱症の人の感覚は、タイムトンネルの発想には一番近い存在なのかも知れない。
――躁鬱症の自分だから、タイムマシンで何度も行ったり来たりができるのだろうか?
そんな発想まで抱くようになった。