矛盾への浄化
未来では、榎本は自分が戻ってきたということを誰にも知られてはいけない。自分とはづきがいなくなったことをどのように未来の人たちが認識しているかということも問題だった。だが、何度も帰っているたびに、榎本とはづきがいないということが問題になっていないことに対して、ホッとはしているが、一抹の寂しさも感じていた。
ホッとするのは、もちろん、目的のために未来が変わっていないことでホッとしているのであって、感情的なものではない。ただ、一抹の寂しさは、完全に感情だけによって浮かんでくるものであり、
――俺たちにとって、元いたこの世界は一体何だったんだ?
と、自分の気持ちが折れてしまうくらいの感覚に陥ってしまいそうになるのを、必死で堪えていた。
――これ以上未来にいると、鬱状態に陥ってしまう――
と感じた榎本は、そうならないうちに、はづきの元に帰ってきた。
つまり、未来に戻ってから、はづきのところに戻ってくるまでの期間は、回数を重ねるごとに短くなっていったのだ。
何度も未来に戻るうちに、未来を観察することにも慣れて、変わったか変わっていないかという未来をどこで抑えるかというポイントも分かってきた。鬱状態に陥りそうになる間隔も短くなってきたので、過去に戻る周期が早いのも当然というものだ。
ただ、戻ってくる時代は、飛び立ってからすぐのところである。
誰も見ていないので分からないのだろうが、榎本がタイムマシンで旅立ってからすぐに、戻ってくるのだから、もし、誰かが見ていたとしても、タイムマシンの存在を信じられないと思っている限り、榎本がその瞬間に何かをしていたということすら、分かるはずもないだろう。
榎本のことをずっと観察している真奈美は、この時の行動も何度も目撃している。
――どうしてこんなところに来るのだろう?
という疑問も持っている。
――何もしないで、通りすぎるだけの場所には思えないけど――
タイムマシンを隠しておくのだから、誰かに見つかるような場所であるはずもない。もちろん、車を隠すように、見えているものを木の枝で覆うようなそんなことはしない。未来の科学力では、タイムマシンを見えないように隠すことくらいは朝飯前だ。それを分かっているのは、この時代では榎本とはづきだけのはずである。
榎本は、真奈美が自分のことを気にして、ストーカーのように付きまとっていることに気付いていた。最初は、
――撒いてしまおうか?
とも思ったが、撒いてしまうと却って後がややこしい。真奈美の性格をまだ計り知れていない榎本は、撒いてしまうと、自分に対し、余計な誤解を与えてしまうようで、それが鬱陶しかったのだ。
――それならば――
と榎本は、別に何かの計算があったわけでないが、タイムマシンが存在し、自分が未来から来た人間であることを、真奈美に隠そうとはしなかった。
――見たことをそのまま人に話しても、誰からも信じてもらえないことくらい、彼女にだって分かっているはずだ――
と考えたからである。
その思いは間違いではなかった。真奈美は決して見たことを誰にも話そうとはしなかった。それを見て、
――よかった――
と感じたのと同時に、
――彼女は、賢い人なのかも知れない――
と感じるようになった。それが年の功なのかどうかまでは分からないが、少なくとも、未来で知っている人の中にいるようなタイプの女性でないのは確かだった。
しかし、真奈美が悲しみに包まれた存在であることに違いはない。悲しみに包まれているからこそ、自分と同じような寂しさや悲しさを持った人間に対しては敏感で、
――彼女が自分と同じような人を引き寄せているのかも知れない――
と思うようになったのも、分からなくないことだった。
榎本は、未来と過去を何度も往復するたびに、自分が何を考えているかなどということに対しての感覚がマヒしてきたような気がしていた。
本当であれば、未来人のはずの自分なのに、過去に来て暮らしてみると、案外と過去の水に合っているように思えてきた。
真奈美はそんな榎本に対し、最初に感じたほどの興味は湧かなくなってきたが、それはきっとタイムマシンを見たからかも知れない。
興味を持ったというのは、
――相手が何者なのか分からない――
という意識から派生したと考えて間違いないだろう。少なくとも、不思議に思っていたことが、
――彼が未来から来た未来人である――
と思うことで納得できることもあったからだ。
もちろん、未来からタイムマシンに乗ってやってくるなどということを、そう簡単に受け入れられるものではないという思いはあるが、それでも、最初に抱いていた彼に対して納得できないと思っていた思いが解消された方が、幾分か気は楽になったと言えるのではないだろうか。
真奈美は、はづきのことも気になっていた。子供を亡くした真奈美にとって、榎本がはづきのことをどのように見ているかというのも、興味があったからだ。榎本ははづきに対して恋心とまでは思っていないまでも、自分が父親の代わりのようには考えていない。
――あまりにもおこがましい――
という思いがあったからで、年齢的にも父親とは考えにくかった。
しかし、真奈美には榎本がはづきの父親代わりに見えて仕方がなかった。そしてできることなら、
――私も彼女の母親代わりになれたらいいな――
という思いを抱いていたのも事実だった。
その思いは日に日に深まって行った。それは、榎本に対して感じている思いとは別のものであることに、本人は気付いていないようだった。それでも、榎本に対しての目線とはづきに対しての目線は明らかに違う。はづきの方が真奈美本人よりもしっかりとその意識を持っているようだった。
はづきは、真奈美になついていた。今まで記憶を失ってからは榎本のことしか考えたことがなかったが、真奈美に対する思いはさらに新鮮なものだった。
――何も考えずに、見ることができる――
と感じていたが、それは逆に自分が今まで榎本のことを、まるで何かの計算が働いていたかのように思っていたことに気付かされた。
――無意識というのは、知らない方がいいから無意識なのかしら?
と、はづきに思わせた。榎本を余計な目で見ることのない方が、自分は幸せだと思ったのだった。
はづきは、榎本を父親として見ているわけではなかったが、真奈美には母親を見ているようだった。やはり子供を亡くした母親の目を記憶を失ったはづきは敏感に感じ取ることができたのだろう。真奈美になついているのは、
――今までに知り合った誰とも違う――
という思いがあるからで、それが肉親への思いであることに気付かないまでも、暖かさを心地よさとして感じることを、思い出したようだった。
――以前にも同じような思いがあったはずなんだわ――
はづきが自分を母親のように慕ってくれているのを感じると、真奈美は嬉しくて、有頂天になっていた。極端に言えば、
――榎本がいなくても、はづきだけがいるだけで、それだけで私はいいと思っているんだわ――
と感じていたのだ。