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矛盾への浄化

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 二人が過去に行ったのではないかという思いは坂田教授だけが持っていた。しかし、その坂田教授も記憶喪失状態である。榎本とはづきのことをまわりは気になりながら、どうしようもない状態だったのだ。
 ただ、坂田教授がはづきのことを、
「失敗作だ」
 と触れ回っていたことは、耳に入っていた。
「失敗作というのはどういうことなのだろうか?」
 研究を依頼している側からすれば、気になるところだった。昔に比べれば大学での実験に対しての権利や特権は、昔に比べればかなりの部分で優遇されているが、さすがに人体実験には微妙だった。
 もちろん、心理学の実験なので、身体に対しての危害が加わることはないだろうが、意識や記憶という部分で、どのような研究が施されたのかは、キチンと研究結果として残しておかなければならない義務があったのだ。
 しかし、坂田教授の意識がなくなってから、研究室を捜索した大学側や依頼主は、研究過程の資料を発見することができたが、実際にどのような結果が現れているかということまでその資料には記されていなかった。
「これじゃあ、判断ができないじゃないか」
「きっと、教授がどこかに持っていて、その記憶を持ったまま、意識がなくなり、その時に意識とともに、記憶も飛んでしまった。教授の記憶が戻らない限り、ハッキリとしたことは分からないのではないでしょうか?」
 というのが、依頼側の意見だった。
「気長に待つしかないのかな?」
 本当は、さほど気長に待っていられるわけでもないのだろうが、中途半端なことをすれば、却って墓穴を掘ってしまう。あくまでも、依頼主側は表に出ることはなく、静かに目的を達成できるプロセスを踏むのが、教授の研究だったからである。
 そういう意味では、はづきに対しての、
――彼女は失敗作――
 とい表現は、何に対しての失敗作なのかが問題だったのだ。
 榎本助手は、そこまでの話を知らない。どこかから依頼があって、教授が何かの研究をしているのは分かっていた。そのためにはづきが選ばれたのも分かっているつもりだったが、肝心の研究に関しては、
――完全極秘――
 だったのだ。
 助手にも秘密にしなければいけない研究が存在するということは、それだけ坂田教授が一目置かれているということだ。榎本は、まわりから一目置かれているような人間には、自分は逆らうことができないということを自覚しているつもりだった。
 坂田は、退院してからしばらくは研究室に戻ることもなく、田舎町で温泉療養をしていた。
「記憶が一日も早く戻るのを願っているよ」
 という依頼主の坂田教授への言葉だったが、坂田教授には、研究者としての気概はすでに感じられなかった。
「ありがとうございます」
 屈託のない笑顔を見せるが、
――これがあの神経質で融通の利かないと言われ、人を寄せ付けないような雰囲気を持った坂田教授なのか?
 と思うと、依頼主の方も、一瞬のことだとは言っても、自分たちの任務を忘れてしまいそうになったことにハッとしてしまうほど、坂田教授の変わりようには、ビックリしていた。
 具体的な依頼内容に関して、実は依頼主側でもすべてを理解している人は限られた一部の人たちだけだった。坂田教授と実際に会っている人は数人いたが、彼らは依頼内容の一部しか知らない。
「お前たちは自分の知らされている部分だけを、教授に達成させることを目的にすればいいんだ」
 という指令を受けていた。
 したがって、自分たちが一部しか知らないのを理解している。理解している上で、教授に接してきたというのは、決して楽なことではなかったはずだ。そういう意味でも、命令や指令に対して忠実にこなすことに長けている人間たちであることに違いはない。
 坂田教授も実はそのことは分かっていた。それぞれに主張が違うのだから当たり前のことなのだが、なぜそのような回りくどいやり方になるのかは分からなかった。ただ、それだけ極秘が絶対条件になるほどのことなのだという意味で、教授が受けていたプレッシャーはハンパなものではなかったであろう。
 教授は一時期、鬱状態に陥っていた時があった。それは榎本が陥った鬱状態が収まった後だった。坂田教授が鬱状態に陥るなど本当に久しぶりだった。以前には何度かあったが、ここ最近は鬱状態に陥ることはなかったのだ。
――それだけ依頼が僕の神経を痛めつけているのかな?
 とも思ったが、それよりも、目の前で鬱状態になっていた榎本を見ていると、いつの間にか自分にも伝染してしまったのではないかと思うようにもなっていた。
 榎本の鬱が移ったと思う方が気は楽だった。それほど依頼というのは神経を使うもので、本人が意識している以上に頭を悩ませていたのかも知れない。
――榎本を見ていると、躁鬱症だということがすぐに分かるな――
 最初から分かっていて、そんな榎本を助手に引き入れたのは、研究材料になるという思いと、自分があまり人の影響を受けることがないという自負があったからだ。榎本と話をしていると榎本が実直な人間であることが分かってくる。真っ直ぐであまり人を疑うことがない。それだけ危険な臭いもするが、憎まざるべき相手だと言えるのではないだろうか?
 教授が記憶を失う前に会っていた依頼主は、大きな組織に属しているのではないかということを、榎本は何となくだが分かっていた。
――何か危ないことなのかも知れない――
 教授が信じて行っている研究なら、何も言わずについていくだけなのだが、榎本には信じられなかった。
 しかも、教授は公然と、
「失敗作だ」
 と、はづきのことを口にしていた。そのことははづきの耳にも当然入っている。
 榎本はそれからすぐにはづきから、
「今度、夕食をご一緒しませんか?」
 という誘いを受けた。
 それまでは教授から、
「はづき君は、私の研究に欠かせない人なので、なるべく個人として会うことのないようにしてくれないか?」
 と言われたことがあった。
「どういうことですか?」
 教授がそんなことを言うなど、最初は信じられなかった。その頃にはまだ組織の存在を知らなかったし、はづきに何か研究の手助けをしてもらおうと思っていることが分かっていたのだが、ハッキリと教授の口から聞いたことはなかっただけに、理由を聞かないわけにもいかなかった。
 その時、榎本ははづきのことを気になりかけていた。本人には自覚はなかったようだが、実際には濃い心を抱き始めていたのは、ちょうどその頃だったに違いない。
 榎本のはづきに対する恋心は、一進一退だった。一気に気になって身体が震えることもあれば、翌日になると、何事もなかったように、前の日に感じた思いが冷めてしまっていることが何度もあった。
 もちろん、告白などしたことはない。どうせ次の日になれば感情が薄れてくるからだった。
――これを本当の恋心と言えるのだろうか?
 榎本はそんな思いをずっと抱いていたが、結局、本当に恋心なのかどうか分からないまま、はづきを過去に連れていくことになる。
 ただ、自分が本当にはづきに恋心を抱いているというのを感じたのは、はづきが過去に戻って交通事故に遭った時だった。記憶を失ってしまったはづきを見て、
――俺は、はづきを愛しているんだ――
作品名:矛盾への浄化 作家名:森本晃次