矛盾への浄化
――もう、人間として人生なんか繰り返したくない――
と、榎本は考えている。
――この世に神様なんていないんだ――
運命の悪戯などという一言で片づけられるものではない。榎本はこの思いをどこにぶつけていいのか、戸惑っている。
榎本は、はづきのことを助けるつもりでいろいろ計画してきたのだが、そのはづきから衝撃的な内容を聞かされ、まるでミイラ取りがミイラになってしまったような複雑な心境だった。
普段なら、ここまで神経質になることのない榎本だったが、はづきのこととなると、なぜか気に掛かってしまう。気に掛けることが自分のためになるのか、それとも自分の首を絞めることになるのか分からないが、はづきを黙って見過ごすことだけはできないことに変わりはなかった。
はづきから離れられないようにしてしまったのは自分なのに、はづきに対して恨みがこみ上げてくる。逆恨みなのは分かっているが、それでもはづきには何も言えず、自分だけで悶々とした精神状態になってしまうことで、今度は自分を恨むことになった。
――恨みというのがどこから来るのか、それまで考えたこともなかったが、相手がはづきであれば、その原点を知りたいと思う。知らない限り、俺ははづきに対しての逆恨みや、自分に対しての悶々とした気持ちから逃れることはできない――
と、思うようになっていた。
そう思うようになると、自分の苦しみから逃れたいという思いが捻じれた感情を引き出して、
――何をやってもうまく行かないに違いない――
と、すべてが悪い方にしか向いて行かないように感じてくる。
そのことが「鬱状態」であるということに、最初は気付かなかった。何をやってもうまく行かないのは、すべて自分が悪いと思っていたからだ。自分の中にある被害妄想が、他人のせいにすることは、余計に自分を苦しめることになるということを感じさせた。それは他人のためというわけではなく、あくまでも自分のためだった。
――自分のために――
などという考えは、被害妄想の発想の中ではタブーであった。被害妄想という発想は、すべてにおいて、
――片手落ち――
の自分を作り上げることに繋がるのだ。
榎本は、自分がはづきの立場だったら、同じことを言ったかも知れないと思った。冷静になって考えれば、あの時のはづきは有頂天だったように感じた。有頂天であれば、
――自分の思っていることは、他の人も感じることができる――
と、勝手に思いこんでいた。自分が有頂天なのだから、感覚がマヒしていることに気付かない。自分中心の考えが、まわりに及ぼす影響を分かろうとしなかった。
それは、自分が言われて初めて気づくことだった。
――はづきのために――
と思っていたことが、有頂天になっていた自分だけの発想であることに気付かなかったのだ。しかし、
「時すでに遅し」
狂い始めた歯車を止めることはできなかった。
しかも、はづきの一言で我に返った榎本は、それまで計画していた考えが、頭の中から飛んでしまっていた。忘れないようにメモしておいたのだが、メモを見ても、自分が何を考えてそのメモを書いたのか覚えていない。
榎本を取り巻く環境では、記憶を失うことがキーポイントになっている。過去から未来、未来から過去へと繋がる記憶、まるで彷徨っているかのように薄れていく記憶には、その時々で、何を優先させようというのだろう。
ただ、榎本は記憶というものが薄れていくのを感じていると、逆に意識がしっかりしてくるのを感じた。
榎本の記憶が薄れていくのは、今に始まったことではない。今までに何度もあったのを覚えている。しかし、そんなことを他人に言えるはずもない。何しろ教授の元で心理学の研究をしている人間が、そう何度も記憶が薄れていくというのも致命的だと思ったからだ。それなのに、坂田教授のメモを見ると、教授も自分の記憶が定期的に薄れてくることがあるのを悩んでいたようだ。
最初の頃は、薄れいく記憶の歯止めをいかにして立てようかと考えていたが、もがけばもがくほど、自分の思い通りにならないことに気が付いた。
――だったら、自分の思いと反対のことをすればいいんだ――
と考えるようになった。
実際に、自分の思いと反対のことができるなどということは難しい。だが、考えているだけで、少しでも自分の思いが何だったか忘れてしまうくらいの戸惑いを感じるというのは、ある意味「ショック療法」のようで、鬱状態に陥った時に、
――やることなすこと、すべてにおいて悪い方にしか向かない――
のと、同じような発想に至るのだった。
かつて榎本は、
――自分には、躁鬱症は似合わない――
と感じていた時期があった。あれは確か高校生の頃だったと思う。元々、友達は少ない方で、知らない人が見れば孤独に見えるのかも知れないが、本人は至って孤独を感じたことなどなかった。それなのに、
「お前はいつも一人で、何を楽しみに生きているんだ?」
とよく言われたものだった。
それに対して、言い返す言葉はない。
「俺はこれでいいんだ」
というだけなのだが、この一言が、きっとまわりから見れば、負け犬の遠吠えのように聞こえるのではないかと思ったからだ。それこそ、被害妄想のようなものではないだろうか。
榎本は、はづきの「悪気のない言葉」に翻弄されていることを感じていたが、落ち着いてくると、一人で右往左往していた自分がまるで別人のように感じられた。
――これも一つのことに集中すると、まわりが見えなくなる自分の性格によるものなのかも知れないな――
と感じるようになっていた。
落ち着いて考えると、はづきの能力、つまり、
――その人が誰の生まれ変わりなのかが分かる――
ということは、その人の前世が見えるということに繋がっている。
そして人の前世が見えるということは、記憶の中に潜在している意識が見せるものだという考えも成り立つのではないだろうか。
榎本もはづきもさらにも教授も、記憶が定期的に薄れていくというのは共通しているところだった。この三人が知り合ったというのは、本当に偶然だと言えるのだろうか?
少なくとも榎本は、坂田の若い頃に、はづきを近づけるという計画を立て、実際に引き会わせることに成功した。
その頃ちょうどはづきは記憶が徐々に薄れている途中であり、交通事故に遭うことで、一気に記憶は消えてしまっていたが、本当の記憶は消えたわけではない。それまで持っていた記憶は、榎本がしっかりと退避していたのだ。
ただ、一度退避した記憶を、完全に失った記憶に戻したことはなかった。薄れた記憶の中に戻したことは今までにあったのだが、記憶が薄れているというのも、感覚的なものだというだけで、さほど本人も大きな意識を持っているわけではなかった。
ほとんど意識の中で薄れた程度にしか思っていない記憶の中に、元の記憶を戻したとしても、本人にはさほど影響はない。新たに増えた記憶も、薄れた記憶を補った程度では、消えるものではないからだった。
しかし、完全にと言っていいほどに記憶を失ってしまったはづきに、元あった記憶を戻すということは、失ってから新たに生まれた記憶、つまりは、その時のはづきにとって、