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辻褄合わせの世界

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 以前、日本三景の天橋立に行ったことがあったが、
「ここでは、股の間から覗くのがいいと言われています」
 と、展望台の上のところで、バスガイドさんが、老人会と思しき団体に説明をしていた。腰が悪い人もいるだろうに、それでも各自無理をしない程度に股の間から覗いていた光景が、実に滑稽だった。
 その時、美奈もやってみた。友達数人とだったので、別に恥かしいこともない。観光地での名物であれば、やってみたいと思うのが美奈の性格だった。
「今まで、普通に見ている海と空の境目が、股の間から見ると、まったく違って感じるわね」
 と美奈が言うと、
「そうね。空がこんなに広かったなんて、想像もしていなかったわ」
「上下逆さまから見ると、まったく違った光景に見えることがあるって聞いたことがあるんだけど、それに似ているのかも知れないわね」
「心理学の世界に通じるものがあるのかも知れないわ。」
 その時に話した心理学の話を思い出していた。
「人の顔という意味で、サッチャー錯視って聞いたことがあるんだけど、それに近いものがあるんでしょうね」
 心理学という意味で、箱庭というイメージも浮かんできた。そういう意味では、外の世界から、限られた自分たちの世界を見ている自分がいるような気がして仕方がない。箱庭と、架空の空というイメージを重ね合わせてみる時、天橋立で感じた、上下が逆さまになった時、まったく違った比率の光景が錯覚として頭の中に残っていたことを思い出させたのだ。
「私が自分の部屋を広く感じたり、狭く感じたりするというのも、逆さから見ているのと近い感覚の精神的な開きがあるに違いないわ」
 と感じる美奈だった。
 こんな想像をするようになったのは、部屋で音楽を聴きながら、本を読むようになったからだった。別に難しい本を読むわけでもないし、SFなどの空想物語を読むわけでもない。それなのに部屋を狭く感じるのは、音楽を聴いていると、本の内容に関わらず、共通の思いが頭の中に浮かんでくるからなのかも知れない。それがどんなものなのか美奈にはハッキリとしていないが、時々何の前触れもなく浮かんでくる。今回頭に浮かんできた、空が架空のもので、割れてしまう光景を想像するようなものであろう。
「想像するということは、何か共通のきっかけのようなものが存在しているような気がするわ」
 と思っていると、さらに発展した考えで、その共有は、自分に対してだけではなく、ごく身近な人との共有が考えられそうな気がした。
「夢の共有って発想を考えたことがあったんだけど、それって、ただの夢じゃないのかも知れないわ」
 と感じた。
 今回、交通事故に遭って、病院のベッドで自由もなく縛られた感覚になっていると、いろいろなことを考えた。しかし、普段の場所との違い、精神的に自由がないという束縛イメージから、どこまで発想が生まれたかは分からない。だが、自由のない限られたスペースだからこそ、浮かんでくる発想もあるだろう。退院して自分の部屋に戻ってきてしまうと、すでに忘れてしまっていたが、その時に感じたことを、本当に大したことではないと思っていたのだろうか?
 夢を共有している人がいるとすれば、それを探すのは実に困難だ。近くにいるとは限らない。果てしなく範囲は広がってしまう。
「だから、余計に限られた世界をイメージするのかしら?」
 とも、考えられた。
 広い世界を、どれだけ自分の範疇に収めることのできる世界にしてしまうかがカギになるだろう。
 美奈は自分の部屋で音楽を聴きながら本を読んでいる自分を想像してみた。どんな本をどんな音楽で聴いていても、まったく表情に変わりはないだろう。
 それを無表情だというのであれば、美奈にとっての無表情の基準は、音楽を聴きながら、本を読んでいる時にある。精神的には何かを自分で発想しているわけではなく、まわりから与えられた環境に、イメージを合わせている。そういった感じに違いない。
 美奈は、最後にこの部屋にいた時のことを思い出そうとしていた。交通事故に遭った日の朝だったに違いないと思ったからだ。
 その日の朝の記憶は、その前の日、帰宅してからのものになるのではないかと、美奈は感じていた。
 今思い出そうとしている一番最近の記憶は、ウキウキした意識だった。
「次の日に誰かとデートでもするつもりだったのかしら?」
 と、思いながら、
「デートするなら、誰なのだろう?」
 といろいろ思い浮かべてみた。
 ハッキリと好きだと言える人がいないわけではない。だが、その人とのデートは無理だった。相手は既婚で、子供すらいる。しかも彼から見れば、美奈はまだまだ子供に見えているだろう。その人は会社の上司で、上司と部下という以外に、彼には見えていないに違いない。
 美奈は、ファザコンのところがあった。年上に憧れてしまうところが昔からあり、一度年上に憧れてしまうと、同年代の男の子は、子供にしか見えてこない。言い寄ってきたとしても、鼻であしらうくらいの感覚で、付き合う相手として、どうしても見ることができなくなる。
 そんな状況でも、美奈のことを好きな男性はいた。同年代だが、彼には落ち着きがあった。上司に憧れさえなければ、彼とは相思相愛のベストカップルになれるに違いないとも思う。世の中、なかなかうまくいかないものだ。
 美奈も彼のことを気にしているということは、自分が考えているよりも、まわりの方が敏感に読み取ることができるようだ。中にはおせっかいな人もいて、
「あんたと、彼を結びつけてあげようか?」
 と、友達に言われて、おせっかいだとは思いながらも、まんざらでもないという表情しかできない自分が情けなかった。
「私には、本当は憧れている人がいるの」
 とは、口が裂けても言うことができない。
 ひょっとしたら、そう思っていることが身体を硬くして、人に違和感を与えるのだとすれば、
「あんたと、彼を結びつけてあげようか?」
 というおせっかいな言葉も、美奈にカマを掛けてきているのかも知れない。
 まわりの人が自分をどこまで知っていて、それ以上のことをどれほど知りたいと思っているかということを考えると、下手に自分を曝け出すことが怖くなってくる。
 元々、美奈はオープンな性格で、人に隠し事をしたりできないタイプで、ついつい正直に自分を曝け出してしまう。それが、美奈という女性の奥に潜在している性格なのかも知れない。
「あんたは、空気が読めないところがあるからな」
 と、カマを掛けてきた同僚から言われたことがあった。その人は思ったことをすぐに口にするタイプで、人には厳しいくせに自分には甘い。本当なら、嫌われるタイプなのだろうが、なぜか彼女のまわりには人が集まってくる。
 特に男性が多い。ちやほやされて、喜んでいる。美奈から見れば、何とも羨ましい限りである。
 しかし、あんな風になりたいとは思わない。今はいいかも知れないが、いずれどこかで大きな挫折を味わいそうな気がする。
 あまりついていない人に、
「人生、そんなに悪いことばかりじゃないさ」
 と言って元気づけている光景をよくドラマなどで見かけるが、逆も真なりで、
「人生、いいことばかりじゃないさ。そのうちに大きなしっぺ返しを食らうさ」
作品名:辻褄合わせの世界 作家名:森本晃次