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辻褄合わせの世界

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 ポエムを考えている時は、逆に音楽を聴くことはない。軽い音楽に自分のポエムを重ねたくはないのだ。
 かといって、ポエムが重たいものだというわけではない。むしろ淡い恋心のようなロマンチックなものだったりすることが多いのだが、ポエムを考えている時間だけは、他の時間とは違っている。
「ポエムを考えている時間というのは、本当に時間を刻んでいるっていう感じがするのよね」
 時間が等間隔であるということは、誰もが分かっていることだが、それを意識することがあるだろうか。心臓や呼吸が無意識に等間隔であるのに対し、その思いを感じることはほとんどない。
 美奈は、時々時間が等間隔であるということを感じることがある。何がきっかけなのかというのは自分でも分からないが、無意識に考えているのだ。ハッと思って我に返ると、そんな時に何かいいポエムが思い浮かぶような気がしてくるのだった。
 実際に、ポエムを書こうと思うのはそんな時だった。
「さあ、今から書こう」
 と身構えてしまうと、なかなか発想も浮かんでこないものだ。
 芸術作品は、最初の閃きが重要である。それを美奈は感性だと思っている。そして、美奈にとっての感性は、
「規則的に、刻む時を感じた瞬間」
 なのだと思っていた。
 最近は、なかなかそんな気分になることも少なくなった。その分、本を読むことが多くなってきたのだ。寂しいという思いも若干あるが、今はそれでもいいと思っている。
 寂しくてもいいと思っていたからだろうか、
「記憶が欠落しているのも、無理もないことだわ」
 と思うようになっていた。
 厳密に言えば、寂しさと孤独というのは違うものであるが、記憶が欠落している部分に自分の孤独が含まれていたのではないだろうか。孤独は孤立とも違う。どちらかというと、美奈の場合は、孤独よりも孤立なのかも知れないと感じたことがあった。孤独は自分から、まわりを遮断するものだが、そこに自分の意志はさほどない。しかし、孤立は自分の行動がまわりから敬遠される形になるからだ。実際に自分の意志が働いていることで、起こることに違いない。
「孤立無援という言葉もあるではないか」
 まるで四面楚歌をイメージさせる。まわりはすべて敵だらけ、そう感じると、孤立も自分らしさの一つではないだろうか。
「人と同じでは嫌だ」
 と思っている美奈らしい考えだ。
「孤立よりも、孤独を感じている間の方が気が楽だ」
 と思うこともある。そんな時は気が弱くなっている時であって、孤独を感じている時の方が、
「悪いのは自分じゃないだ」
 と、孤立にしても、孤独にしても、どちらも悪いことだと決めつけてしまっているようだ。病院のベッドの中にいると、どうしても気弱になってしまい、孤独を感じるようにしていたような気がする。病院のベッドほど、孤独が似合う場所はないのではないかと思ったりもした。
 病院のベッドでは自由はない。余計なことを気にする必要はないのだが、その分、自分に自由がないことと、縛られていることを意識させられる。縛られていることと自由がないことは直接的に関係はないが、自由がない感覚は、遠い昔を思い出させた。
 美奈が欠落した記憶は現在のもので、昔の記憶は残ったままだ。現在の記憶が欠落してる分、昔の記憶を鮮明に意識できるくらいだった。
 自由がなかったのは、小学生の頃、これは美奈に限らず、誰もが持っているものなのかも知れない。しかし、それも程度に度合いがあるのと、本人が今まで意識してきたかどうかで、思い出した意識が遠くに感じられるのか、ごく最近に思えてくるものなのかが決まってくるようだ。
 美奈の場合は、記憶は鮮明なのに、意識はかなり昔のものだ。遠くに見えているものであっても、そこだけをターゲットに見つめていれば、次第に普段なら見えないことでも見えてくるような気がすることに似ていて、実際に見えていないことであっても、想像で見えたような気がする。遠い昔の記憶だからといって、本当に小さくしか見えないのか、美奈には疑問だった。しかし、距離が見える大きさで分かるのであれば、記憶の距離も大きさで分かるものなのかも知れない。そう思えば、やはり、視界に広がる大きさが、そのまま過去への距離に繋がっていると思えてくる。大きく見えるのは、距離とは関係なく、どれだけ意識をしているかということではないだろうか。
 小学生の頃というと、どうしても親という保護者が自分に付きまとってくる。親に縛られて、自由がない。学校では、先生に縛られて自由がない。逆らえば怒られたり、バツを与えられたりする。
 それを大人は、
「子供を守る」
 という表現をしていた。
「自由もなく、縛られている身で、守られているなんて理不尽だ」
 と思う子供はたくさんいたに違いない。それでも逆らうことができないことに、苛立ちや憤りを感じ、
「情けない」
 と感じる。
 その思いは自分に対してのもので、そう思っている自分にも情けなさを感じる。堂々巡りを繰り返しているようで、
「箱を開ければ中には箱があり、さらに中を開ければ、また、小さな箱が出てきた……」
 そんな感覚を思い浮かべてしまう。
 いかにも子供らしい発想だが、箱を思い浮かべると、次に考えるのは、箱庭のような世界にいる自分を、表から覗き込んでいるのも自分だというイメージであった。子供の頃に時々、
「空って造りものじゃないのかしら?」
 と、急に青い空が割れて、その向こうに真っ赤な夕闇のような世界が顔を出している場面をイメージしたことがあった。
 空が割れるイメージは、雲一つない真っ青な空ではない。少しでも白い雲が存在していないと、空が割れる気がしないのだ。
 雲一つない空というのは、明るいようで、実際には青さに引き込まれるような暗さを感じる。そして、何よりウソ臭さを感じるのだった。
 今まで実際に雲が一つもない空を見たことがあるから、暗さを感じるのだと分かっているくせにウソっぽく感じるのは、いかにも天邪鬼な美奈らしい考えではないか、そんな考えを隠し持っていることで、記憶の欠落も、簡単なのではないかと思えてくるほどであった。
 空が割れてから見える世界には、煙が湧き立っている。それも真っ赤な煙で、その奥が燃えているようだ。
「地底のトンネルを思わせるみたいだわ。さしずめ真っ赤な色は、マグマかしら?」
 どうしてそんなイメージなのかは分からない。空はまるでタマゴの殻のようで、薄い空の幕にヒビが入ったかと思うと、ボロボロと毀れてくる。
 かといって、落ちてきたものが、どうなってしまったのか後になって気にはなっても、その時は意識していないのが不思議だった。
「いや、ひょっとすると意識だけはしていて、なるべく考えないようにしていたのかも知れない」
 そんな風に考えると、雲一つない空だけをウソ臭く感じているだけではないように思えてきた。
 なるべく考えないようにしていたのには、もう一つ理由があるように思えた。
 その理由とは、
「限られた空間だという意識をなるべく持ちたくない」
という思いだった。
 空が造りものだということになると、今まで果てしないと思っていたものを錯覚だと感じることになる。だが、果たして錯覚なのだろうか?
作品名:辻褄合わせの世界 作家名:森本晃次