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辻褄合わせの世界

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 と、言われても仕方がない。
 美奈は自分の記憶の欠落している部分はどっちなのだろうかと考える。もし、悪い方であれば、やはり思い出したくないと思うだろう。それはたとえ本人の意識しないところであっても、潜在的に存在する意識が、そうさせるに違いない。それが本能というものなのだろう。
 その日、意識の中では休みの日だったような気がする。
「今日は平日だから、人が少なくていいわ」
 と、思ったことも思い出した。
 美奈の仕事はシフト制になっているので、休みは土日とは限らない。むしろ平日の方が多い。それは美奈の望むところでもあった。人ごみを極端に嫌う美奈は、自分が匂いに敏感だったことを思い出した。
「百貨店の化粧品売り場など、近づいただけでくしゃみが止まらなくなる」
 と思っているくらいだ。だから、あまり匂いのきつい香水はつけない。つけるとすれば、柑橘系の当り障りのない香水を選んでいた。
「柑橘系の香水だね。僕の好きな匂いだ」
 と言ってくれた人を思い出していた。確かその人と約束をしていたような気がする。会社の人ではなく、人数合わせで連れて行かれた合コンで知り合った男性だった。
 最初は軽い人のように見えたが、二人きりになると、会話もぎこちなければ、女性の扱い方も不器用だった。空気が読めないところもあり、
「私と同じだ」
 と、思わずクスクスと笑ってしまった。
 それに気付いた彼が、
「どうしたんですか?」
 と、さっきまでのぎこちない雰囲気とは打って変わって、馴れ馴れしさが戻ってきたように、ニコニコしている。その笑顔が見たかったということに気が付いた美奈は、
「あ、いえ、あなたも、結構空気が読めないところがあるんですね」
 と、わざと十分に皮肉を込めて言うと、
「あ、そうですね。これは参ったな」
 と、頭を掻きながら、照れている。ファザコンのはずだと思っていた美奈は、自分にビックリする。
「なんか、胸がドキドキするわ」
 それから二人の距離は急接近していった。知り合って三か月で美奈は彼に抱かれた。まるで図ったかのように、美奈の予想通りの展開に、
「これは運命なのかも知れないわ」
 と感じたほどだった。
 純愛を思い出していたが、そこまで来ると、それ以降の記憶が意識の中から消えているのを感じた。
「進行形の恋愛で、今がちょうど一番いい時なのかも知れない」
 と、感じたが、どうも違うように思えてならない。何か大切なことを忘れているように思えてならない。別れたという意識はない。ずっと会っていないという意識もない。それなのに、何か大きな穴がポッカリと空いてしまったような気がして仕方がなかった。
 それがどれほどの長さなのか分からない。その間がどれほどの長さなのかが分かれば、自分の記憶がどれほど欠落しているのかが分かるのではないかと思った。
 美奈はまた別のことを考えている。
 家で感じた最後の意識が、本当に事故に遭ったその日だったのだろうかという疑問である。その間に、意識できない空白の数日が存在するのではないかと思うと、美奈は、ゾクゾクするものを感じた。さっきまで甘い関係を思い出していたのに、急に叩き落とされたような感覚になるのだから、それだけ厚い壁があり、日数も重なっているのかも知れないと感じるのだった。
 約束をしていた人は坂田宏和と言った。
 恋愛には、何ら支障がないような気がしていたが、美奈の中で唯一引っかかっていたのが、知り合ったきっかけが合コンだったということである。
 別に合コンで知り合ったから、軽い付き合いだという風に、単純に結びつけたくはない。その考えは、美奈が一番嫌いな考えだった。
 それなのに、結びつけて考えようとするのは、美奈の気持ちが、まだ宏和を全面的に受け入れようとしていない証拠だった。
 相手を受け入れるには、段階を必要とする。そこが、恋愛の過程として、男と女で一番の違いなのかも知れないと感じた。男の場合には、段階を踏むような人は少ないような気がする。かといって、何も考えていないわけではない。段階を踏まなくても、最初から自分の気持ちが決まっていると思うからだろう。それを「潔さ」と呼んでいいものなのかどうか分からないが、美奈には男性の本心が分かるほど、自分が大人になりきれていないような気がした。
「でも、男性の気持ちを分かるようになることが、大人になるということなのかしら?」
 美奈は、不思議に感じた。
 美奈が男女の関係で疑問に思っていることは山ほどある。考えているその時々で、立ち止まって考えないと、すぐにスルーしてしまって、分からなくなってしまう。
 もちろん、いちいち立ち止まって考えていては、キリがないことくらい分かっているが、立ち止まることも必要なのは事実だ。立ち止まらないと、消化不良が欲求不満となって残ってしまうことになるからだ。
「相手との溝が埋まらない」
 と感じたり、相手が時々見えなくなるように感じるのも、そのせいではないかと思っている。
 宏和との恋愛の過程がどの程度のところまで来ているのか、美奈には分からなかった。「すぐそばにいるはずの彼が見当たらない」
 その思いが、美奈を覆い尽くす。
「何か大切なものを忘れてきたのかも知れない」
 と、感じたのも、そばにいるはずの彼が見えないからだった。
 今が一番幸せな時期だと思っている自分を思い出すことができる。それなのに、裏腹な気持ちが絶えず美奈の中を支配していた。
 恋愛対象の人の姿が、絶えず見えていないと気が済まないという気持ちは、相手に対してのプレッシャーに繋がらないだろうか? 美奈は、いつも相手に対して気を遣っているようだ。
「本当の恋愛は、気を遣っているという思いを一切持たなくても、相手にプレッシャーを与えないようなものなんじゃないのかしら? それがさりげない優しさというものなのかも知れない」
 と、美奈は思うようになっていた。
「記憶が欠落しているのに、ここの意識は残っているんだわ」
 美奈は思った。
 欠落している記憶と、覚えている記憶の違いというのは、
「欠落している記憶は、あくまでも記憶であって、意識として残すものではないこと、そして、残っている記憶は、引き出した時、それが意識に変わることができるものなんじゃないかしら」
 記憶としてだけしか残らないものと、意識として引き出せるものを、普段は意識することもなく、同じものとして認識しているのではないだろうか。だから、意識と、潜在意識という同じ「意識」であっても、明確に違うものの存在を意識しなくても、潜在意識は表に出てくれる。それを本能だというのであれば、今の美奈に、
「本能って存在するのかしら?」
 と、思えてきた。
 意識しなければ、本能は表に出てこないのだとすれば、少し怖い気がしてきた。出てきたとしても、それが本能だとは思わない。記憶が欠落する前なら、こんな理屈を、信じられないと思ったに違いない。
 気を遣う相手が、目の前に存在しないと思った時、美奈は宏和との仲に限界を感じてしまった。宏和が美奈のことをどのように感じているかというのは、その時の美奈には、問題ではなかった。要するに、自分がどう感じるかということである。
作品名:辻褄合わせの世界 作家名:森本晃次