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辻褄合わせの世界

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 交通事故に遭うのは初めての美奈だったが、まわりには小さい頃に交通事故に遭ったという人は少なくなかった。
 今から思えば、交通事故の話をする時の友達は、皆それぞれに何かを隠しているように思えていた。美奈と同じような意識を皆が皆持っているとは限らないが、今、自分の中に感じている気持ち悪さは、人に話せる内容ではないと思える。交通事故に関しての話はできたとしても、話している間に、男の顔を思い出しそうな気がする。そんな時、
「これは話せない」
 と思ったところで、まわりから、不審な目で見られてしまいそうだ。
「何かを隠している」
 と感じた美奈が、その人に対してどんな顔をしたのか分からないが、立場が逆転すれば、想像していた以上に、相手に大きな印象を与えるに違いない。
 記憶を失う前の自分がどんな人間で、どんな性格だったのかがハッキリとしないこともあってか、なかなか自分から話しをしようという気分にはなれなかった。しかも、ここに入院してから来てくれた人は、兄と名乗る男性だけで、他には友達は誰一人として来てくれていなかった。
「退院したら、とっちめてやろう」
 と、最初は思っていたが、身体の方が回復し、十分に動けるようになると、そんな気も失せてしまった。身体が回復するまでにそんなに時間が掛かっていないことを考えれば、元々の美奈の性格というのも、アッサリとしたものだったに違いない。
 アッサリとした性格というのは、いい面、悪い面、それぞれを映し出しているのかも知れない。アッサリとしていることから、あまり人から恨みを買うこともなさそうに思うが、逆に気を遣うこともないので、相手が傷つきそうなことを平気で口にしているのかも知れない。そこに悪気はないのだろうが、悪気がないだけに、敵を作りやすくなっていることもあるだろう。
 記憶が少しでも戻ってくるのを待っていたかのように、数人が見舞いに来てくれた。どこかよそよそしく、まるで義務で来たかのような雰囲気だった。交通事故の話も出ないのを考えると、やはり全体的に見て、何かを隠しているように思えてならないのだ。

 美奈が退院したのは、記憶が少しだけ戻ってきてから、一週間ほど経ってからのことだった。普通の病院なら、すぐに退院させられそうなのに、ここではすぐに退院させることもなく、一週間も個室を占領することができた。
「とりあえず退院、おめでとうございます。でも、週に二回は、通院していただくことになりますので、宜しくお願いいたします」
「それは記憶を取り戻すためということでですか?」
「いえ、身体の方の定期的な確認ですね。本人は気付いていないと思いますが、事故のショックで、身体の中で動かすことのできない場所があるようなんです。日常生活には問題ありませんが、念のために通院してください」
「分かりました。ありがとうございます」
 美奈は、医者との話を終えると退院することになった。荷物を纏めてそのまま自分の部屋に帰ってきたが、さすがに半月以上も部屋を開けていると、自分の住んでいた部屋ではないような気がしてきた。
 会社には退院したことを話すと、
「二、三日はゆっくりと家で静養している方がいい。有給は十分にあるので、少しゆっくりしているといい」
 という課長の言葉に甘えて、月曜日からの出勤でいいということで、その週はゆっくりと家にいることができる。
 たった半月なのか、長すぎる半月だったのか、美奈にはすぐに判断ができなかった。家に帰ってきて、最初に感じたのが、
「懐かしい」
 という思いだった。完全にカルチャーショックに陥ったかのようで、本当に自分がその部屋に住んでいたのかということすら、疑問に思うほどだった。
 扉を開けた時に、足元から流れ出てきた冷気は、真っ暗な部屋の奥に何があるのか分かっているはずなのに、想像ができない自分をビックリさせた。冷気によって感じさせられた寂しさは、失った記憶の扉を開くカギになりそうな予感があったからだ。
「今までにも、扉を開いて足元から湧いて出る冷気に、寂しさを感じたことが、しょっちゅうだったんだろうか?」
 部屋の扉を開くと、それがそのまま自分の記憶の扉を開くことになるのではないかという淡い期待があったが、少しイメージが違った。
 それは、美奈自身が、本当に自分の記憶を取り戻したいという気持ちがあるのかどうかということが基準になっていることであって、半信半疑になっている美奈にとって、部屋の扉が記憶の扉であってほしいという思いに直接つながるのかどうか、本人にも疑問であった。
 足元からの冷気を感じながら、靴を脱ぐのをしばらく戸惑っていた。
 真っ暗な中にいるのは気持ち悪いと思っている美奈は、玄関先の明かりをつけたが、奥の部屋は真っ暗なため、却って不気味な感じがする。それでもすぐに足元からの冷気を感じなくなると、靴を脱いで、玄関に上がった。
「ただいま」
 誰もいない部屋に声だけが響く、それが以前からのくせであったことを、美奈は思い出していた。
 玄関先で響いた声は、間違いなく、奥の暗闇になっている部屋まで届いているはずだ。そして暗闇に声は呑まれてしまう。
「誰もいない部屋に声を掛けるのは、奥に誰もいないことで虚しさを感じているのかと思っていたけど、本当は暗闇に吸い込まれてしまう声は、いくら大きな声で自分を主張しても、それがどこにも届くことがないという事実を暗示しているのだと、最初から分かっていたからなのかも知れないわ」
 と感じていた。
 大きな声を出すことなど記憶にない美奈は、自分があまり人付き合いが得意ではないことを意識させられた。記憶が欠落した部分の中に違和感がないのは、誰か気にしなければいけない人がいなかったことを示しているのではないだろうか。
 玄関から、短い廊下を通り、奥のリビングまでやってくると、やっと自分の部屋に帰ってきたという意識になれた。見覚えのあるものがたくさん並んでいる。特に学生時代から続けてきたポエムの載った同人誌が、綺麗に本棚に並べれているのを見ると、懐かしくて、思わず手に取って見たくなるくらいだった。
 ポエムの載った同人誌を中心に、本棚は綺麗に並んでいる。普通の小説を読むのも好きなので、本屋で本を選ぶ時、本の背を眺めていると落ち着いた気分になれたことを思い出した。
 美奈は自分がどこからどこまでの記憶があるのかということばかりを考えていたが、記憶という意識は、そんな単純なものではないのかも知れない。
 同じ記憶であっても、最初が抜けているのと、途中が抜けているのと、さらには最後が抜けているのとでは、意識がまったく違う。最後が抜けている場合は、何となく途中の展開で最後を想像することもできるが、途中が抜けていると、自分の考えの展開を読むのが困難になる。最初が抜けている場合も、結果から原因を突き詰めるのというのは、逆よりも難しいかも知れないという意識があることで、それぞれに困難の度合いが違ってくる。美奈は、記憶が意識に与える影響を考えながら、欠落している記憶がどのあたりなのかを、冷静に考えるようになっていたのだ。
「いっそのこと、思い出せないのなら、思い出す必要もないのかも知れないわ」
作品名:辻褄合わせの世界 作家名:森本晃次