辻褄合わせの世界
まるで兄と比較していたことを見透かされたようで少しビックリしたが、それでも平静を装っていた。
「でも、今日、ここで会うというのも偶然ですよね」
と美奈が言うと、
「そうかなぁ、俺はあまり偶然って信じる方ではないんだけどね。出会ったのならそこには何かの意味があるんじゃないかな?」
言葉に対して逆らいたいのか、それとも、本心から言っていることなのか、それとも、偶然という言葉が嫌いなだけなのか、その時は、彼の気持ちを垣間見ることができていなかった。
「今日出会ったのは、何か意味があるというの?」
美奈は、彼の返事をドキドキして待った。その返事の裏に、美奈への気持ちが含まれていたらどうしよう? という乙女チックな考えがあったからだ。
「何かあるんじゃないかな?」
しかし、彼の回答は曖昧なものだった。ガッカリしたというより、肩からガクンと力が抜けていくのを感じていた。
話し方もつっけんどんに聞こえ、
「そんな言い方しなくても」
と、ボソリというと、
「口説き文句の一つでもほしかった?」
と、まるでこちらの気持ちを見透かしたような言い方に、さすがに美奈も苛立ちを覚えたのか、
「そんなもの、いらないわよ」
と、今度は声を荒げて答えた。明らかにふてくされたような悪意を感じさせる返事だったに違いない。
知らない人が見れば、どう思うだろう? よほど仲のいい男女が、喧嘩をしているように見えるに違いない。まさか、今日が二回目だとは思わないだろう。しかも、最初は話もしていない。そして二回目は出会ってすぐのことだった。
「なかなか君は面白い」
「茶化さないでよ」
「茶化してなんかいないさ。これで普通だよ」
今度はニコニコし始めた。
「この男に一体どれほどの表情があるのだろう?」
と思いながら見ていると、自然と美奈は自分の顔が歪んでくるのを感じていた。
「でもね。そうやって表情豊かに相手に接するといっても、最後には辻褄が合うことになっているのさ」
「辻褄が合うとは?」
「帳尻が合うと言った方がいいのかも知れないね。キチンと、同じ鞘に収まるものなのさ」
「言っている意味が分からないんですけど」
「世の中って、ほとんどが反動で繋がっていると思うんだよね。普通の人には信じられないような発想なのかも知れないけど、普通、世の中って、自然の摂理があって、それにともなって動いているんだって、あまり考えたことのない人にでも、説得力があるわよね」
「それがどうしたというの?」
「つまりは、その人にとって、奇抜な発想であっても、必ず揺り戻しの作用が働いて、辻褄を合わせようとするんだ。たとえば、デジャブなどのような自然現象ではない自然の摂理に逆らうような現象、これもその人にとって、辻褄を合わせようという作用が心の中に働いて生まれてくる現象らしいね」
「私は、何か記憶が欠落しているんだって、ずっと言われてきたわ」
「記憶の欠落というのは、君に限ったことではなく、誰にだってあるものさ。どんな記憶が欠落しているっていうんだい?」
男の口から出た言葉は以外なものだった。
記憶の欠落なんて、普通ありえないことだという発想から、ずっと美奈は、自分の欠落した記憶についていろいろ考えてきたのだ。彼の話を聞いている限りでは、
「欠落している記憶について考えるなんて、無駄なことさ」
と言われているように思えてならない。
「記憶の欠落が誰にでもあることだなんて、簡単には信じられないわ。私の欠落した記憶は漠然としていて分からないの。でも、感覚で感じるのと、私は記憶が欠落しているって教えてくれた人もいたの」
「それは、きっと身近な人なんだろうね。そうじゃないと、他人に対してそんなことを感じることはないだろうし、余計なお世話だと、君がその人に対して思うはずだからね」
確かにそうだった。兄以外の人から、記憶の欠落を言われても、まず信じることはないし、彼の言う通り、
「余計なお世話だわ」
と、思うに違いないからだ。
美奈の返事がなかったので、彼は構わず話を続けた。
「確かに記憶の欠落というのは、俺は誰にでもあることだと思っている。俺だって最初は信じられなかったんだけど、記憶が欠落していると考えると、いろいろ辻褄が合ってくる音に気が付いたんだ。元々、俺の場合、記憶の欠落は人から言われたわけではなく、自分自身で気付いたんだ。学生時代の俺は本当にいつも一人で、孤独を抱いた生活をしていたんだ。嫌だと思ったことはなかったけどね」
「一人でいることが嫌じゃないという気持ちは分かるわ。でも、どうして誰でも記憶が欠落しているんだって言いきれるのかしら? あなたのことは何も知らないけど、この意見一つで、あなたのことをこれ以上知りたいとは思わなくなるようなの」
「俺は君に絶対に自分を知ってほしいと思っているわけではないけど、君が知っているより、君のことをよく知っているような気がするんだよ」
「それは、私自身があなたのことを知っているよりということ?」
「違うよ、君が、自分自身のことを知っているよりということだよ」
「どうして、そんなことが言えるの? あなたとはほとんど会話もしたことないし、この間のお店が初めてで、今日が二度目になるわけでしょう? 私のことを知ることなんてできないはずだわ」
「そこが君の記憶の欠落でもあるんだろうね。君は覚えていないだけで、俺とは面識もあるんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「君が気になるのは、どこで? それともいつ頃? のどちらなんだろうね?」
彼はにやけながら言った。どうやら、美奈からの回答を分かりきって、わざと質問を浴びせているような感じだった。
美奈は、逆らいたい気持ちもあったが、敢えてそのまま答えた。
「いつ頃という方が気になるわ」
彼がしてやったりの表情をしたのがすぐに分かった。美奈も最初から想像していたことだからだ。
彼は満を持したつもりで答える。
「あれはね、君がまだ中学の頃だっただろうと思う。でも、ここまで言っても、君には絶対に分かるわけがないんだよ」
「どうして、そう言いきれるの?」
「だって、君の意識は中学時代に戻るだろう? そして、中学生に戻った目で、俺を見て、そして、中学生の俺を思い浮かべようとする。顔にはニキビ面の男の子の顔でも浮かんでいるんじゃないかな? 髪型も散切り頭かも知れないね」
正面の男性の顔には、もちろん、今さらニキビなどあるわけもないし、髪型も、サラリーマン風であった。スーツ姿がもっとも似合っている姿から、中学時代を思い浮かべるには、少々苦労するが、やってできないことはない。
「僕の中学時代を思い浮かべようとしているでしょう? それがそもそもの間違いなんだよ」
「どういうこと?」
「俺はね。中学時代の成長期に頂点に達してから、ずっと成長が止まってるんだ。自分でも信じられないけどね。でも、またどこかで一度グーンと成長して、しばらく止まるのかも知れない。面白いだろう?」
「面白いって……。それを私に信じろっていうの?」