小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

辻褄合わせの世界

INDEX|30ページ/35ページ|

次のページ前のページ
 

 逃げを考えないと、箱庭の中にいても、それとは知ることはない。籠の中の鳥だったり、容器の中の虫や動物は、本当に自分のまわりの結界を意識していないだろう。結界を意識しているとすれば、逃げを感じることになる。彼らには、逃げを感じさせるものはなく、ただ本能の赴くままに生きているだけなのだ。
 逃げを感じるのは、人間だけなのかも知れない。
 人間の本能は、まわりを理性という膜に包まれていて、理性が強ければ強いほど、本能が表に出ることはない。
 本能が他の動物よりも劣っているというわけではなく、経験値が少ないのだ。
 しかも、動物たちは、本能を意識することなく行動しているのだろうが、人間は本能に気付くことがある。その違いは大きなもので、本能に気付く時、一緒に理性にも気付くのだろう。
 裏を返せば、理性に気付くのであれば、本能にも気付いている。そして、本能に気付けば理性にも気付くはずだ。
 それぞれに表裏一体であり、切っても切り離せない関係になっていることは明白だ。美奈は、最近、そのことに気付き始めた。そこには、
「記憶が欠落している」
 という事実が横たわっているからなのかも知れない。
 美奈に声を掛けてきた男は、確かにこの間のバーで見かけた男性だったのだが、別に話をしたわけではない。彼も美奈を意識していなかったし、美奈も彼を意識したという気持ちはない。
 彼は、年配の男性と話をしていた。ほとんど聞いていて相槌を打っていただけだが、彼への感想は、
「聞き上手っぽそうな感じだわ」
 というものだった。
 それなのに、急に声を掛けてきたことがビックリした。控えめで、知っている女性であっても、道で見かけて声を掛けることができないような男性だと思っていたからだ。
「人は見かけによらないというけど、彼は特にそうなのかも知れないわ」
 美奈の兄は、どちらかというと社交的だった。自分からあまり話しかけることはなかったが、数人の会話では、いつも輪の中心にいた。話題性が豊富なところもあるが、やはり性格的に社交的だというところが強いのだろう。
 美奈は、兄が出て行く前を思い出していた。
 あの頃の兄とよく話をしていたものだが、その中に、家を出ようとしているメッセージが隠されていたのかも知れないと思うほど、兄は饒舌だった。
 そういえば、よく美奈のいいところや悪いところを分析してくれたものだった。辛口なところもあったが、暖かさが感じられた。
「もう、酷いわね」
 と、甘えたように言っても、
「ちょっと言い過ぎたかな? 悪かった。でも、お兄ちゃんの言うことは聞いておくもんだよ。いずれ、必ず思い出すことがある」
 と、急に真剣な表情になった。今から思えば、あんな兄の表情を見たことはなかった。そこにも、メッセージが含まれていたのかも知れない。
「兄は、何が言いたかったのだろう?」
 今さらのように思い出す。それは、まるで、
「美奈なら分かっていることだろう?」
 と言いたげに聞こえたからである。
「私のどこが分かっているというの?」
そういうムキになるところが、分かっている証拠なんじゃないか?」
 きっと兄は、こう返すに違いない。
 会話の想像はつくくせに、言いたいことが分からない。これも、自分の記憶が欠落していることと関係があるんだろうか? 分からないことをすべて記憶の欠落に結びつけようとする自分が、まさか「逃げ」に走っているかのようで、少し自分を信じられなくなりかかっている美奈だった。
 バーで、兄に似ていると思ったこの男性。よく見ると、兄にそれほど似ているわけではない。
 なぜ、兄に似ていると思ったのかを思い起してみると、バーで年配の男性の話を聞いている時の真剣な横顔が、兄に似ていたからだ。
 ただ、美奈は今まで兄の横顔をまじまじと見たことはない。ほとんどが正面きって話すことが多かったので、そう思ったのだが、この男性の横顔を見たことで、兄の横顔に似ていると思いこんでしまったのかも知れない。
 思いこみというのは、一度してしまうと、それよりレベルが下がることはない。時間が経つにつれて、その思いは強くなり、勝手に美奈の中で妄想として暴走していたのかも知れない。
 彼は名前を嘉村幸雄と名乗った。
「嘉村さんは、この間のお店には、よく行かれるんですか?」
「ええ、時々行きますね。俺の場合は結構気まぐれなので、思い付きで行動することが多いんですよ。だから、曜日が決まっているとか、時間的に何時頃ならいるとかいうことはあまり分からないですね」
 これは、兄とは違うところだった。兄は、常連の店を持っていたが、行く曜日も大体の時間も決まっていて、そこに「思い付き」という発想はなかった。
「僕は、行きたい時に行っているつもりなんだけど、結局いつも同じなんだよね。しかも精神状態も同じ。逆に一番行きたくなる時を選んで行っているわけだけど、それが偶然いつも同じなのかも知れない」
 だが、普通に生活していれば、週単位で楽しい時というのはある程度決まっている、翌日から二日間休みだと思い、開放的な気分になれる金曜日の夜など、楽しい気分になるのは当たり前で、誰もがそうであろう。しかし、兄の場合は、普通の人とは少し違っていたような気がする。
「だって、皆と同じだったら、混むだけじゃないか」
 敢えて、人が多くない時を選んでいた。
 兄には社交的なところはあるが、人ごみが嫌いだったり、美奈と同じように、
「人と同じでは嫌だ」
 という思いを持っている。
 思いという意味からいけば、美奈よりも強いかも知れない。
 嘉村と、兄は、雰囲気が最初似ていると思っただけで、知れば知るほど兄とは違う人だということを認識させられる。
「どうして、似ているなんて思ったんだろう?」
 今までにここまで兄に似ている人を見たことがなかった。
 と言っても、兄は今まで誰とも似ていると思わなかった。
 たまたま、自分の知り合いに似ている人がいないだけなのかも知れないが、美奈にとっての兄は一人だけだという思いが強いことから、
「兄のような人は、他にはいない」
 と、思いこむようになったからなのかも知れない。
「嘉村さんは、人と同じだと嫌だって思ったことありますか?」
 似ていないと思いながらも、なぜか兄を意識したような質問になってしまう。
 嘉村という男、最初に兄に似ていると思った以外のところでは、どこと言って特徴のない男に見えた。それは、最初に兄に似ているというインパクトを植え付けられてしまったことで、似ていないと感じると、どうしても平凡な男性にしか見えなくなったからである。だが、そんなに平凡にしか見えない人間が多いとは思えないことから、平凡に見えるということ自体が、彼の特徴なのではないかと思う美奈だった。
「そんな風に思ったことはないな。でも、人と比較されるのは、あまり嬉しいものではない」
 答えも至極平凡だった。
「そうですか? 人と比較されるのって確かに嫌だけど、人より優れているところを人から指摘されるのって、嬉しいものですよ」
 本当は、美奈も人と比較されるのは嫌だったが、なぜか反対のことを言ってみた。
「それでも、俺は嫌だと思うな」
 そう言って、美奈を軽く睨んだ。
作品名:辻褄合わせの世界 作家名:森本晃次