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辻褄合わせの世界

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 あの人が本当に兄だったのかどうか、よく分からない。今でこそ兄の顔を思い出せるけれど、あの時は、記憶がどうのというよりも、兄の顔を思い出そうとした時、どんな表情を思い出そうかということが分からなかったのだ。もしイメージできていたからといって思い出せたかどうか分からないが、兄でないという思いは今でも強い。
 人の顔を覚える時、相手の表情がいつも同じ人であっても、その時々でまったく違う顔をする時であっても、
「覚えられる人は覚えられる。覚えられない人は、どんなに想像し、頭に焼き付けようとしても覚えることはできないんだわ」
 と思うようになっていた。
 要するに表情が多彩であっても、印象に残るのが一つであれば、同じことである。逆に一つの表情しかできないような人は、特徴がないのか、そのすべてが特徴なのか、簡単に覚えられるか、どんなに時間を掛けても覚えられないかのどちらかではないだろうか。
 病院に見舞いに来てくれた男性を、最初はどうしても、兄だとは思えなかった。第一印象というのは大切で、その第一印象で、初めて会ったようにしか思えなかったからだ。
 しかし、彼が来なくなる前は、今度は違う意味で、
「この人は、兄ではないんだ」
 という確信めいたものがあった。
 それは、兄であってほしくないという思いだった。
 そこには、二つの気持ちが存在する。
 一つは、兄は兄であって、自分にとって唯一人の兄だという感覚だ。確かに父親は違うかも知れないが、それだけに兄は、余計に血の繋がりを意識する兄であってほしいという考えだった。
 もう一つは、
「彼だけは兄であってほしくない」
 という考えだ。
 兄であれば、一番近い存在であるにも関わらず、一番拘束される関係でもある。少なくとも恋愛感情はタブーであり、抱く感情は、
「兄として慕う」
 という感情以外を持ってはいけない。
 その感情は、子供の頃から続いているものであり、最初の一つに戻ってしまうが、
「自分にとって唯一人の兄だ」
 という考え以外何もなくなってしまうだろう。
 あの人は、美奈がそろそろ精神的にも落ち着いてきて、自分のこともいろいろと考えて行こうと思っていた矢先に来なくなった。これからだと思っていた美奈にとっては、肩透かしを食らったような形になってしまい、拍子抜けしたのも事実である。
「あの人は、私の心が読めるのかしら?」
 誰にも自分のことなど分からないはずだと思っている美奈にとって、急に来なくなった彼が少し怖い気がした。
 美奈が、自分のことを誰にも分からないだろうと思うようになったのは、中学の頃だったような気がする。成長期の中で、自分だけ遅れてしまっていて、まわりに対して最初は恨めしさを抱いていたが、ある日急に、そんな感情がスーッと抜けていくのを感じていた。それはまるで自分が、誰にも束縛されていないことを証明しているかのような心地よさで、まるで宙に浮いているとでも表現すればいいのだろうか。
「雲の上でプカプカ浮いている」
 そんな感情だったのかも知れない。
 だが、明らかにまわりの目は、気を遣っているかのようであり、変によそよそしさがあった。
「そんなに気を遣わなくてもいいのに」
 と、思えば思うほど、まわりの目が気になってくる。
 最初は、善意からなのかと思っていたが、よくよく見ていると、憐みを感じる。
 憐みを感じると、自分に情けなさを感じ、さらに情けなさは、自己暗示を引き起こすことに気付いたのもその時だった。
「私は情けない人間なんだ」
 何とも、捻くれた考えである。自虐的と言っていいだろう。
 しかし、その時の美奈は不思議なことに、自虐的な考えが、どこか心地よかったりした。その理由を分からぬまま大きくなったわけだが、その理由が、
「自分から逃げていることだ」
 ということに気付かなかったのだ。
 自虐を認めるということは、自分にとって簡単なことである。
「人がどんな目で見ようと、自分は自分」
 その考えは、美奈にとって一本筋が通っている気がするのだ。
 ただ、それを「逃げ」だとして理解できるかどうか、それがその人にとってのターニングポイントなのかも知れない。
 もし逃げだと理解できていなければ、同じ空間をずっとクルクル回っているだけになるかも知れない。
 狭い空間というわけではないが、まわりすべてに限界がある。まるで、映画のセットのような舞台の中を、自分の世界だと思っている。
 限界を感じないくせに、決して自分が引いた線から表に出ようとはしない。無意識の中に線を引っ張ってしまって、それが自分にとっての「結界」であるということに気付かずに、結界を意識するわけではないので、その世界の限界を感じることもない。そんな世界を自分で作っているのだろう。
 ただ、それは、美奈だけに言えることではない。
 他の人皆、同じようなことなのではないだろうか。
 人の心を読もうとしたとしても、よほどの能力を持っていないと、人の心を読むことなどできるはずはない。それは、「結界」の存在を知らないことから始まるのだという意識は、よほど自分のことを分かっていないと感じることはないだろう。
 しかも、「結界」というのは、誰にでもあるものなのかどうか、美奈は疑問だった。
 ひょっとすると、
「いずれどこかで気付くことのできる人にしか、結界を持つことは許されない」
 という考えの元だとすると、結界を持っている人は、本当に限られているのかも知れない。
 美奈は気付いた。結界に気付いたことで、自分が大きな世界だと思っていることにも限界があり、まるで箱庭のような世界で蠢いているのだろうと思うと、少し怖くなった。
 なぜなら、自分たちのいる世界を箱庭だとして考えるとすると、その箱庭を上から覗いている人がいるのではないかと思うからだ。
 まるでマジックミラーのように向こうからしか見えない膜がある。だが、結界を意識できた人には、マジックミラーの効力はなくなってしまい、上から覗かれているのが分かってしまう。
 しかも、覗いているのが、当の本人だったらどうだろう?
 覗かれているところを感じた瞬間。目を瞑れば、今度は箱庭を上から覗いている自分の目線になっている。その時は、
「箱庭の中にいるのが自分なんだ」
 という意識はまったくない。あくまでも、虫を飼っている容器を上から覗いているような感覚になっているに違いない。
 見られている方は、あまり上を意識しない。
 天井は、空であり、地平線は、はるかに見えているが、普通、そう簡単に見えるものだろうか?
 天橋立を思い出した。
 股の間から覗いたのは、天橋立の景色だけではなかった。
 あの時は空と海の間の水平線が見えた。
「あんなに、空が広いなんて」
 その時初めて感じたことだった。
 その時の水平線の位置を思い出していた。海と空の位置の割合が、実際に感じていた一とは全然違っていることにビックリした。逆さから見るということは、新鮮なだけではなく、人の感性を迷わせるに匹敵する力を持っているようだ。
 その力が、箱庭のような部屋に籠められているようだ。
作品名:辻褄合わせの世界 作家名:森本晃次