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辻褄合わせの世界

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 美奈は、そこまで考えてくると、もう一つの考えが頭を擡げた。
「今の自分に本能や潜在意識が存在しないのであれば、それを持っているもう一人の自分がどこかに存在しているのではないか?」
 という考えである。
 それは、意外とそばにいる自分で、まるで次元の違う世界にいたりするのかも知れない。一番考えられるのは、夢の中にもう一人の自分が存在しているのではないかと思うこと。それは突飛ではあるが、子供の頃から、実は夢の中に、もう一人の自分の存在を意識している美奈だったので、今さら新しい考えというわけでもなかった。
 美奈は、もう一人の自分の存在に、以前から気付いていたような気がした。そして、それは自分に対してというだけではなく、他の人皆にも、同じように「もう一人の自分」というものがあると思っていた。
 そのことに気付いている人は、本当に稀だが、少なくとも、誰か一人は気が付いているのではないかと思うようになっていた。
 もし、そうでなければ、美奈がもう一人の自分に、こんな簡単に気付くはずはないと思った。きっと誰かの様子や雰囲気から、その人を無意識になのかも知れないが見ているうちに、気が付いたに違いない。
 その日、一日が特別な日だったことは記憶にはあった。宏和と会うことになっていたその日のことである。
 だが、その日は幸せだという意識は残っていない。むしろ、その頃から美奈の記憶が曖昧になってきているような気がしてきた。
「交通事故に遭ったことが、記憶が欠落していることの直接の原因だと思っていたが、違うのかも知れない」
 確かに交通事故という外的要因が一番記憶の欠落という事実に対して、既成事実としては一番説明が尽きそうだったからだ。
 交通事故が原因ではないとすれば、何が原因だというのだろう?
 宏和が何かを知っているのは事実だろう。しかし、その宏和は、美奈が入院している時に来てくれたわけではない。
 知り合ってから、最後に意識した日までの、宏和との交際期間については、何となく記憶がある。それは、自分が意識しているよりも、かなり遠い過去の記憶のようだ。つい最近まで付き合っていた人という意識はない。
 記憶が欠落してから今までの期間が、美奈にとって思っているよりも長いのではないかという思いがあった。
 その間が、最後に宏和を意識した日から、交通事故に遭うまでの間だとすれば、果たして宏和を最後に意識したのはいつのことだったのだろう?
 しかも宏和を意識したその日から、交通事故に遭うまでの記憶が欠落している。その間の欠落が本当に交通事故に遭ったことが記憶の欠落ではないという思いに繋がっているのだが、記憶の欠落にも二段階があるのかも知れない。
 そう思った時、ふいにおかしな発想が美奈の中に浮かんだ。
「交通事故って、あれは本当に事故だったんだろうか?」
 という思いである。
 偶然だったのかどうかということへの疑念であるが、そこに記憶の欠落が二段階ではなかったかという疑念と結びついてくる。
 しかもさらに思うのは、
「記憶の欠落すら偶然ではなく、何か作為が働いているのではないのかしら?」
 とも、考える。
 作為があるとすれば、それが誰によってもたらされたものなのかを考えてみる。
 考えれば考えるほど、作為があるのなら、それは自分以外には考えられない。つまりは、作為をもたらすために、第一段階の記憶の欠落が、必然だったのではないかという考えだった。
「私って、何て複雑な方にばかり考えるのかしら?」
 と、思えてならない。
 美奈の記憶が戻らないのは、本当は戻したくないというのが根底にあるからなのかも知れない。
 記憶を失くすパターンとして、今まで感じたこともないショックなことを見てしまったことで、まるで自分が何か悪いことをしてしまったのではないかという罪悪感から、記憶が欠落するという話を聞いたことがある。
 それは、しかも帳尻合わせだというのだ。
 ショックなことを見てしまったことで、それを認めたくないという自分の気持ちの葛藤が、罪悪感を産むことになる。その葛藤と罪悪感が、帳尻合わせに繋がるのだ。
 帳尻合わせということについては、デジャブも一種の帳尻合わせだという話を聞いたことがある。
――一度も来たこともなく、会ったこともない人なのに、なぜか初めてではないような気がする――
 というのが、デジャブ現象である。
 それは、自分の中に記憶しているものを意識として出す時に、絵や写真で見ただけのものを、本当に経験したことのように感じるというギャップが、帳尻合わせに走ってしまい、それがデジャブ現象として、意識させられるからだという。
「ひょっとして、私の記憶の欠落は。デジャブ現象と反対の意識が働いているのかも知れないわ」
 と感じた。
「逆も真なり」
 というではないか、まったくの正反対であれば、それは同じ発想だと考えてもいい。まったくの正反対なのかどうか分からないが、少なくとも、帳尻合わせという発想と、記憶と意識の関係が同じ発想に思えただけでも、美奈はデジャブというものを、自分の記憶の欠落と似たものだと思うようになった。
 先生にも話をしてみた。
「それも一つの考え方ですね。それにしても美奈さんは、よくそこまでの発想に至りましたね。私の研究も似たところにあるんですが、今まで記憶喪失の患者さんをたくさん診てきましたが、ここまでの発想の人はいませんでした」
 と言われたのを思い出した。
 退院する前の日にこんな話をしたのだが、教授はそれがよほど気になったのだろう。ノートにメモしているようだった。
 教授の名前は中西教授。担当医の上司でもあった。最初はなかなか話ができるような相手ではなかったが、退院が近づいてくると、教授の方から話しかけてくれた。どうやら、看護師の人が、美奈の雰囲気や言動から、教授が興味を持ちそうだということを話していたらしい。
「私は、医者という立場でありながら、研究を主にしているので、なかなか患者を診るということがない。人からは堅物のように思われているが、本当にそうなんだと私自身も思っている。だから、君に対しても患者というよりも、研究材料として話をしているかも知れないけど、それでもいいのなら、お話をしていたい」
 かなり自分勝手な言い分だが、記憶が欠落している美奈にとっては、それでもいいと思っている。
 いや、却って記憶が欠落している美奈にとっては、そっちの方がアッサリとしていていいと思っている。
 中西教授は、身体も小さく丸顔で、頭も髭も手入れをしているという感じは見受けられない。もし、教授として白衣を着ていなければ、絶対に相手することはないと、美奈は思った。
「中西教授は、今までいろいろな患者さんと正対してきたと思いますが、私のような患者は珍しいんですか?」
 怪しげな風貌の男性に興味を持たれるのはあまり気持ちいいことではない。それなら本当に研究材料としてだけ興味を持たれる方がマシだと思ったのだ。
「そうですね、珍しいと思います。記憶喪失の患者さんは、大体何かに怯えていたり、下手なことを言うと、いきなり凶暴になる人もいるので、本当にデリケートな人が多いんですよ」
「私は、そうではないと?」
作品名:辻褄合わせの世界 作家名:森本晃次