墓前に佇む・・・
姉が生きていれば、この男性とそれほど年齢的に変わらないはずだ。敦美にしてみれば、まさかこれほど年の離れた姉がいて、それをまわりが知られないようにしていたこと、そして、母が自分を産む時に、姉の死と直面しなければいけなかったことで、かなり精神的にきつかったのだろうということ、今まで知らなかなったことを一つ知ってしまったことで、頭の中の繋がっていなかった部分が繋がって、次第に明らかになってきたことに爽快感とともに、あまりにも急速な展開に戸惑っていることが不安に繋がってしまっていることが分かってきた。考えや想像に表裏が存在していることを感じたのだ。
中年男性は、少なくとも最初からこの街にいたわけではない。いつの間にかやってきて、街のはずれに住み着いたというのが本当のところのようで、街はずれにあるアパートに住むようになったのだが、そのあたりは中年男性が住み着く前から、
「子供たちは、近寄ってはいけない」
と言われていたところであった。
敦美が小学生の頃までは、その近くに大きな屋敷があった。敦美の記憶の中でも荒廃していて、廃墟と化したその場所は、近くに昔からある病院がひっそりと佇んでいて、病院も屋敷に負けず劣らず不気味な雰囲気を醸し出していた。
病院も屋敷も人が住んでいたのを敦美は知らない。特に病院はどれほどの規模だったのかすら分からないほど、雑草は生え放題、まっすぐに伸びた雑草は、伸びるのを遮るものなど何もなく、何も考えずに空に向かって伸びていた。
ただ、閉鎖しているにも関わらず、近づいてみると、薬品の匂いが鼻を突いた。
「これが病院の匂いなんだわ」
と、実際に病院で感じるよりも先にこっちで感じたと思うほどだった。
墓参りをしていた中年男性のそばを通ると、その時に感じた薬品の匂いを感じた。そのせいもあってか、敦美は今では更地になってしまった病院と大きな屋敷のあった場所を、目を瞑って思い出せば、瞼に浮かんでくるような気がして仕方がなかった。
その男性があの場所に住み着くようになったのは、屋敷や病院があった場所から近いからなのかも知れない。その男性がこの街にかつて住んでいたのかも知れないと感じたのは、姉の墓前に手を合わせているのを見てからではなかった。それ以前から知っていたことであり、特に魚屋のおじさんの様子がおかしかったことから気が付いた。
魚屋のおじさんは、感じたことを隠しておくことができない人だ。中年男性の顔を見ると、明らかに目を逸らしていた。男性の方には何も悪びれた様子があるわけではないのに、まるで磁石の同極を近づけた時のような反発力があった。力が強いのは中年男性の方で、微動だにしない様子は開き直りにも似ていた。
開き直りは、怯えている人には、どんな風に見えるのだろう? 余裕があるように見えることだろう。その余裕が笑顔に繋がり、怯えに存在しない種類を余裕は感じさせる。つまり笑顔には数種類あり、そのどれをとっても余裕のない人間にはすべてが同じ表情に感じられ、まわりや他人のことを意識しながら行動している人には、すべてが自分擁護の世界に入り込んでしまい、数種類あるだけの笑顔が果てしなく存在しているように思わされるのだった。
中年男性のことを意識し始めたのは、彼が姉のことを知っていると思ったからだった。機会があれば、姉のことを聞いてみたいという思いが強かったからだが、次第に最初の目的が何であったか、忘れてしまっていた。
――別に姉のことを知らなくてもいい。それよりもあの人自体に私は興味を持っているんだわ――
と思うようになってきたが、姉のことへの意識が薄れてくることはなく、むしろ姉のことを考えると、その後ろに彼が見え隠れしているようで、おかしな気分になってきた。
――おじさんに嫉妬しているのかしら? それとも自分の知らない姉を知っているかも知れないという思いが、彼を意識させることに繋がっていることを断ち切りたいと考えているからだろうか?
自分の知らないことを知っている人に対して一目置くようになったのは、いつの頃からだったのだろう。自分が彼に興味を持ったのは、どこまで自分に関わりがある人なのか分からないが、時々自分を見つめる目がどこか優しさに包まれるような気持ちにさせてくれるからだった。
触れるか触れないかの微妙な距離は、一番暖かさを意識させるのかも知れない。実際に暖かさを感じることがなくとも、容易に想像できるのは、以前にも同じような感覚を味わったからなのかも知れない。
「あの人は、私の知らないことをたくさん知っているけど、私には話そうとはしないんだろうな」
と思ったが、それは、知られたくないことがあって、余計な詮索する機会を与えないようにしようと思っているのかも知れない。
「私はどうしちゃったのかしら? 恋愛感情を持っているわけではない男性を必要以上に意識するなんて、今までになかったことだわ」
と思っていた。
ただ、彼の視線を感じるたびに、彼は敦美を見ているのだろうと思っていたが、どうも視線の先が、さらに自分のいる場所のさらに向こうを見ているような気がして仕方がなかった。
「姉を見ているのかしら?」
と思っていたが、どうもそうではない。虚空を見つめているわけではなく、実際にあるものを見つめているのだ。それが娘の由梨であることに気が付くと、ふとした考えが頭を過ぎった。
――由梨はお姉さんに似ているんじゃないかしら?
家に帰って姉の痕跡をいろいろ調べてみたが、姉の写真が残っているわけもなかった。あったとしても、そう簡単に分かるところに置いてあるわけがない。簡単に分かるところに置いてあるくらいなら、姉の存在を敦美に隠しておくようなことはしないだろう。
「別に隠していたわけじゃないんだよ」
と、祖母に姉の存在を自分に教えてくれなかったことについて問い詰めたが、返ってきた答えがそれだった。
「じゃあ、どうしてお姉ちゃんの痕跡がうちにはないの? 私はお姉ちゃんのことをもっと知りたいのに」
「お姉ちゃんが、行方不明になって、本当に死んだという証拠があれば、お前にも話したかも知れない。だけど、生きているのか死んでいるのか分からないうちに年月だけが経ってしまって、葬式をあげなければいけないところまで来てしまった。お前のお母さんは本当に辛かったと思うよ」
「私をその時に身籠っていなかったら、もっと違っていたかも知れない?」
そのことについて、祖母は何も語ってくれない。これでは、まるでお姉ちゃんの痕跡を消してしまった原因を作ったのが敦美だと言わんばかりではないか。
敦美が由梨を産む時は、決して楽なお産ではなかった。逆子だったこともあって、最初から時間が掛かっていた。最終的に帝王切開になったのだが、それでも無事に生まれてきてくれて、本当に嬉しかった。