墓前に佇む・・・
「お姉ちゃんがいなくなったのは、八歳の時だったので、お前とは十五歳ほど違っているのかな? まわりの人はお前がお姉ちゃんの生まれ変わりだと思っていたけど、お母さんだけは違っていたかも知れないね。もし、そう思っていたとすれば、お前を身籠った時に葬儀を出さなければいけない状態に、耐えられたかどうか……」
そう言って、祖母は少し上を見ながら目を瞑った。何かを思い出していたのかも知れない。もし、姉の顔だとすれば、そんなに簡単に思い出せるものであろうか。いなくなると最初から分かっていれば、何とか記憶にとどめておこうとするものだが、いきなりいなくなったのだから、記憶に留めようなどという意識はなかったに違いない。
「とにかく、お母さんの気持ちを分かってあげてほしいというのが、おばあちゃんのあなたに対しての願いなのよ」
その時は、頭が混乱していたこともあって、お母さんの気持ちを分かるまでには至らなかった。やはり自分が母親になってみて初めて分かるというものだ。自分が由梨を産む時の苦労など比較にならなかったんだろうと思ったのは、出産が始まってからのことだった。
「腹を痛めて生んだ子供」
とよく言われるが、まさしくその通り、あれほど苦しい思いはしたくないとその時は思った。妊娠している時など、精神的に不安定な時期が定期的にやってくる。それまで躁鬱症の気は全くなかったにも関わらず、出産した後になって、自分に躁鬱症の気が見えるようになった。
出産のペースが早まって、いざ分娩室に入った時に、敦美は中学の時に祖母から聞いた母の話を思い出した。そのことが出産にどんな影響を示したのか分からないが、ある程度忘れていたはずなのに、話を聞いたのがまるで昨日のことのように、鮮明によみがえってくるのだった。
人の記憶というのは、大体四歳以降のものしか残っていないのが普通だということを聞いたことがある。敦美もその頃の記憶が一番古いものだった。
母親は優しかった。その頃から父親は出稼ぎに出ていて、ほとんど家にいなかったので、寂しい思いというより、父親は家にいないものだという意識が強く、祖父祖母が一番敦美を可愛がってくれていたのが印象的だった。
祖母のいうことに、間違いはないという感覚が中学生の頃まで続いた。高校生になった頃、
「敦美は、いつもおばあちゃんのいうことを素直に聞いてくれているけど、そろそろ自分の意見を持った方がいいんだよ」
と言ってくれた。
「確かに一人で決めるのは最初は難しいかも知れない。だけどまわりの人の意見も聞いて、何が正しいことなのかを自分なりに判断して、自分に合った意見を取り入れることで本当の自分の考え方を確立させないといけないんだよ」
おばあちゃんの意見はもっともだった。だが、いきなりそんなことを言われても、すぐに実行に移せるほど、敦美は開放的な性格ではなかった。
「大丈夫、あっちゃんのお母さんも同じように途中までは自分を開放してあげられなかったんだけど、学校で友達を作ると、結構変わっていったものなのよ」
そう言われて、初めて自分を開放するという意識を持つようになった。
案ずるより産むが易しというが、まさしくその通り、友達ができると、自分で判断することができるようになっていた。
敦美にとって、育った街、そして祖母に自分を委ねることがすべてだったのを、少し他に向けることで変わってきたのだ。
その頃になって、時々姉の夢を見るようになった。今までにも夢を見ることは何度もあったが、夢の内容を覚えているなど、なかなかないことだった。
それが怖い夢だったのか、それとも楽しい夢だったのかという意識は、目が覚めてから感じることはできなかった。しかし、夢を見たという意識と、夢の中で誰か見たことのない人が表れて。その人が今までの自分の人生に大きく関わってきた人であることを、目が覚めてから意識していた。
毎回同じ人だとは限らないが。数人の人が自分の人生に関わっていると言って、夢の中に出てくるのだ。
男性もいれば、女性もいる。
男性は中年の男性がほとんどなのだが。女性は自分よりも若い、いや幼い感じの女の子で、その女の子に見つめられると、金縛りに遭ったように、動けなくなってしまう。
「あなた、私のお姉ちゃんなの?」
と、夢の中で問いかけると、笑顔で微笑んでいるが、否定も肯定もしない。ただ、敦美を見上げて、口元を一文字に結んでいるが、余裕のある結び方は、そのまま精神的な余裕を感じさせ、その表情だけで敦美は、彼女が自分の姉であるということを信じて疑わなかった。
「私は、あなたのそばにいるの。でも、あなたは私の存在なんて知らなくてもいいのよ。私が勝手にそこにいたいって思っただけなの。今のあっちゃんには分からないかも知れないけど、お姉ちゃんを許してね」
何度目かの姉との夢の中での再会で、確かに姉が語った言葉だった。
「何を許してほしいっていうの? 私はお姉ちゃんの存在を知らずに子供の頃を育ったのよ。一体お姉ちゃんに何があったっていうの?」
「それは私の口からは言えないのよ。でも、私はこうやってあっちゃんに会うことができた。私もあっちゃんが私の妹として今を生きているということを、ずっと知らないでいたのよ」
今まで何度も夢の中に出てきて、私を見守ってくれていると思っていた姉。そのお姉ちゃんが最近まで自分のことを知らなかったという言葉をどこまで信じていいのか、敦美には分からなかった。
「でもね、あっちゃん。私はあなたの中にずっと生きているということを忘れないでほしいの。それはあなたが成長して女としての幸せを掴んだと思った時、私はあなたの前に現れるわ。今の私の言葉をそれまであっちゃんが覚えてくれているかどうか分からないけど、でも、お姉ちゃんのいうことを信じてね」
姉に関しての夢でここまでは覚えている。
というのは、その時に覚えていたわけではなく、娘の由梨が生まれてから、少しずつ成長していくのを見ているうちに、姉が出てきた夢を思い出してくるようになったのだ。
「お姉ちゃんの言っていた通りなのね」
と、ホッとした気持ちになってきた。自分ではほのぼのとした夢として、安心感に包まれていたのである。
もう一つ、男性が出てくる夢であるが、その男性は敦美には面識のない男性だった。ただ、夢を見るようになってから、しばらくしてからこの街に移り住んできた一人の男性が敦美の夢の中に出てきた人だったことは、驚き以外の何ものでもなく、誰にも言えず一人で抱え込んでしまわなければいけない夢だった。
そういう意味では、怖い夢という意識の方が強かった。
怖いというよりも、不安が纏わりついているというべきであろうか。その人がこの街に住むようになって、直接話をしたこともないし、どうやらお互いに避けているところがあるようにも感じていた。敦美とすれば夢に出てきた気持ち悪い男性というイメージがあるので、避けたくなる気持ちがあっても仕方のないことだ。
では相手は何を元に避けているのだろう?
敦美にとっては面識がないと思っているが、相手には面識があるというのだろうか?