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墓前に佇む・・・

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 それと同様、麻衣にも予感めいたものがあった。
「一緒に生きていこう」
 と言って、一緒にここまで生きてきたのに、ここに来て、由梨を愛するようになっていしまった茂の苦悩は、これも麻衣にしか分からない。
 茂の様子を見ている限りではいつも落ち着いている。麻衣の前でも今までと変わりなく、愛情を注いでくれている。それと同じくらいに由梨にも愛情を注いでいるのだろう。ただ、それは男女の恋愛感情ではなく、親子に近い感情を持っている。茂が冷静でいられるのは、恋愛感情ではないからだ。
 それなのに、どうして苦悩が生まれるのだろう?
 茂には、由梨の病が分かっていた。肉体的な病ではなく、精神的な病が、いずれは肉体を蝕んでいくことになることを、茂には分かっていたのかも知れない。
 由梨にはそこまで分かっていなかった。肉体的な病が精神を蝕むこともある。そして精神的な病も悪実に肉体を蝕んでいく。由梨の肉体は徐々に蝕まれて行っていたのに、由梨には分からなかったのは、感情がマヒしてしまっていたからだ。
「お腹が減ったら、ご飯を食べる」
 当たり前の感情なのだが、由梨はご飯を食べたいと思うほど、お腹が減らないのだ。お腹が減っているのを意識することはあっても、
「食べないと我慢できない」
 というところまで行かない。そのうちにピークを過ぎると、お腹が飽和状態になった感覚が生まれ、何も食べたくなくなる。食欲が欠落しているように感じられるのだ。
 実際は欠落しているわけではなく、腹が減るという感覚がマヒしてしまっている。そのうちに食事を受け付けなくなり、本当に何も食べたくなくなってしまうだろう。
 それが自然な感覚になると、気が付けば、身体が精神に蝕まれてしまっていて、次第に死期が近づいてくる。気が付いた時には遅いということになってしまう恐ろしい病が存在するのだ。それを最初に意識していたのは、クジラ島での樹里だった。
 自分のそんな状態を由梨は何も言わなかったが、茂には分かっていた。最近の茂も自分の身体に変調が起こっているのを自覚していた。足が痛み出したり、肘が急に曲がらなくなったりしていたので、病院に行って検査をしてもらったが、
「どこも異常は見られませんね」
 と言われるだけだった。レントゲンや、血液検査でも異常が認められなければ、医者としてはどうすることもできない。それなのに、本人には異常が認められるのだ。
――この痛みは、誰にも分かるまい――
 と、思ってみてもどうしようもない。次第に痛さにも慣れてきて、精神的に感覚がマヒしてくるのが分かってきた。
 茂の場合は、年齢から来るものもあるのかも知れない。麻衣には茂の身体に異変が起こっているのは分からなかった。茂は麻衣に心配させたくないという思いがあるのも事実だが、実際に分かってくれていないことに寂しさを感じるのも事実だった。
 由梨は、茂が苦悩しているのを次第に分かるようになってきた。茂の苦悩を自分なりに考えていると、ぶち当たったのが、自分の運命であったのは皮肉なことだったが、その代償として、由梨は寂しさという病から開放された。ただ、肉体的に蝕まれていくスピードが衰えることはなく、茂と同じく、いろいろな感覚がマヒしていくことに気が付いた。
 しかし、気が付いてもどうすることもできない。何とかしようという感覚もマヒしていたのだ。
――ただ、茂さんが一緒にいてくれればいい――
 という感覚は、茂も同じだった。
 麻衣のことを忘れてしまったわけではないのに、どうしても由梨から離れることができない。
 茂の真の苦悩は、そこにあった。そんな精神的に不安定な時期、今までにも精神的に不安定になったことがあまりない茂には、自分の感情が表に出やすいことの自覚がなかった。交通事故を起こしてしまったのも、そんな精神的な不安定さが影響していたと見るのが一番妥当ではないだろうか。
「俺はこのまま死んでしまうのか?」
 最初は何が起こったのか分からない中、子供の頃に、木に登っていて、枝が折れてそのまま背中から落っこちたのを思い出していた。あの時は、宙に浮いた身体がどこに行くのかすぐには分からなかったが。背中に走った痛みと同時に、息ができない苦しさに、初めて「死」を意識したような気がした。誰かに助けてほしいと思いながらも、誰にも知られずに、このまま死んでしまえば楽になると考えたという記憶があるのは、本当に自分の意識から感じたことなのだろうか。
 その時茂は、幻を見た。そこにいるのが由梨だとばかり思っていたが、よく見ると、樹里ではないか。まだ幼い頃の樹里が目の前にいた。そして、茂に微笑みかけている。
「あなたは、敦美のことを待っていたんじゃないの?」
「えっ?」
「私はあなたが、本当に意識しているのは、私だと思っていたのよ。だから、以前敦美が私のことを知った時、夢に出たの。そして、あなたが待っているって教えてあげたんだけど、あなたの前に、まさか麻衣ちゃんが現れるとは、思っていなかったのよ。あなたが麻衣ちゃんに心を奪われている間に、敦美への気持ちが次第に薄れていった。というよりもマヒして行ったというべきかも知れないわね。だから、あなたは今、精神的にも肉体的にも感覚がマヒしているでしょう? すでにマヒしていることにすら慣れきってしまっている状態。ずっと、同じ夢の中にいて、起きている時と、夢を見ている時で、それぞれの現実を歩んでいるような感覚になっているんだと思うわ。事故に遭ってあなたは、ここにやってきた。あなたは、私を見つけることができるのかしら?」
 茂は自分が麻衣と出会う前のことを考えていた。それまで思い出すこともなく、麻衣と出会ってまったく違った人生を歩み出したことで、それまでの記憶を忘れようとしていたのか、それとも、本当に忘れてしまっていたのか、自分でも分からない。
 いろいろな土地を転々としていた。最後に樹里を見たということで、意識が過剰になってしまい、被害妄想の強さから、引きこもってしまった茂を、家族が気に掛けて、他の土地に移り住んだ。幸い、父親は転勤族だったので、単身赴任が多く、引っ越しにさしたる影響はなかった。
「あの時の俺は、誰かが待っているのを感じていたような気がする。この街に帰ってきたのもそのためだった。それが、敦美さんだったというのか?」
「あなたは、麻衣ちゃんの中に敦美を見たのかも知れないわね。あなたには人生の選択がなかったと思っているかも知れないけど、あの時が選択の時だったのね」
「俺が間違っていたと?」
「間違っていたとは思わない。人には無限に可能性が広がっているんだから、どっちに転んでも、それは間違いとは言えない。ただ、その影響がどれほどのものか、選択した人には分かるはずはない」
「どうしてなんだい?」
「まったく違う世界が開けたんだから、次元が違う世界を覗けるわけはないわよね。だから、本人に意識はないの」
「じゃあ、相手が取り残された感覚になっているだけということなんだね?」
「私には、見えるとしても、それを忠告することはできない。忠告してしまうと、選択した本人の意志を侵犯してしまうことになるのよ。それは冒涜しているのと同じことなのよね」
作品名:墓前に佇む・・・ 作家名:森本晃次