墓前に佇む・・・
茂は、由梨が樹里に似ていることを知っていた。一時期、松倉家の様子を毎日のように垣間見に行っていたのを麻衣は知っていた。知っていて、別に何も言わなかった。注意したとしても、茂がやめるとは思わなかったし、やめたとしても、茂の性格から考えれば、自分の中に籠ってしまい、精神だけではなく、身体まで壊してしまう恐れを感じていたからだ。垣間見ると言っても決して自分が表に出ることはない。表に出てしまうと、二度と由梨の前に出ることができなくなることを分かっているからだ。
茂にとっては会いたいが会ってはいけないという意識は、自戒の念でもあった。樹里が自らこの街を離れたということを麻衣から聞かされてはいたが、もし子供の頃、最後に会った時、樹里を止めることもできたはずだ。
茂には樹里の覚悟が分かっていた。止めても無駄だということが分かっていたくせに止められなかったことを後悔している。矛盾した考えではあるが、止めようとする気持ちに自分の勇気がついてこなかったことで、樹里と最後のお話ができなかったこと。そして、彼女が言うわけはないと思うが、確認しようと思えばできたはずの真実を確かめようとしなかった自分への自戒の念である。
そのせいで、茂はずっとまわりから浮いてしまった。それを悔やんでいるわけではない。すべてにおいて、引っ込み思案になってしまい、麻衣に対しても終始そうだった。だが、麻衣はそれでもよかった。むしろそんな茂だから、ずっと一緒にいようと心に決めたのだ。
それなのに、茂は自分の中にあったはずの「禁」を破ってしまった。
「もう、ここらでいいだろう」
とでも思ったのだろうか? それとも自分の運命を悟ってしまったのだろうか。茂は由梨と出会ってしまったのだ。
最初から、由梨を愛してしまったわけではないはずだ。いくら同じ顔をしていると言っても、違う人間なのだ。それを分かっていて、茂は由梨と出会った。
茂が出会うには簡単なことだった。
いつも早朝にしている墓参りを、夕方にもするだけのことだった。それでも、早朝の墓参りを欠かすことはなかった。生きている証の半分を墓参りだと思っていた茂である。そして残りの半分は麻衣の存在である。茂は麻衣と一緒に生きていく気持ちを固めた時のことを、ずっと忘れないでいた。
「まるで一日が二日になったような気がするな」
時間がゆっくり流れるわけでもない。逆に毎日早く感じられるくらいだった。
「最近、一日が長いと思うんだけど、一週間経ってみれば、一日一日があっという間だった気がするんだ」
茂が死ぬ半年くらい前になって麻衣に話した言葉だった。
「年を取った証拠じゃないんですか?」
麻衣はあまり気にすることなく、茂に答えた。麻衣は、いつまでも茂と自分が若い時に出会ったあの時のままだという意識があった。それなのに、
「年を取った」
と言ったのは、
「老いた」
という意味ではなく、
「素敵に年齢を重ねた」
という意識があるので、茂に答えた表現は、悪い意味ではなく、むしろいい意味での答えだったのだ。
「そういえば、私、夢の続きを見ることができないって話をしたことがありましたよね?」
「そうだね、僕と意見が少し違っていたんだっけ?」
「ええ、でも、最近は夢の続きも見れるんじゃないかって思うようになったんです。実際に続きだと思える夢を見た意識が、目が覚めた時にあったんです」
「しっかりとした意識でかい?」
「夢のような漠然としたものに、しっかりとした意識なんて求めてはいけないんですよ。私はそれを求めようとしたので、夢の続きなど見れるはずはないと思っていたんですよ。何かの呪縛に掛かったのかも知れないって今は思っています」
「僕の意見も参考になっているのかな?」
「なってないと思います。私が考えているのは、しっかりとした意識があるわけではないんですよ。それだけに人の意見に左右されるというのは、却って考えが曖昧になってしまいますからね」
と麻衣は答えた。
「君の夢の続きというのは、どんな夢なんだろうね。僕が出てくる夢だったりするのかな?」
「どうしても夢は曖昧なので、あなたが出てくるかどうかまでは分かりません。でも、怖い夢のような気がして仕方がないんです。少なくとも、『続きを見たい』と思って見ていた夢ではありませんでした」
「見たくない夢を、しかも途中から見るというのは、これ以上怖いことはないのかも知れないね。君が前に、僕に対して『夢の続きを見ることはできない』と言ったのは、本当は、
『夢の続きを見たくない』という言葉が裏に含まれていたのかも知れないね」
と、茂がいうと、
「まさしくその通り、今なら私は何が怖い夢なのかって、分かる気がするわ」
「どういうことだい?」
「それは、自分の思った通りにならない夢ほど、怖い夢はないということじゃないのかしら? でも、逆に思っている通りにすべてが進むのも、却って怖い気もするわ。思い通りにならない夢が一番怖い夢、思い通りにしかならない夢が、二番目に怖い夢、そんなところじゃないかしら」
茂には樹里が何を言いたいのか分からなかった。
本当は、自分が夢の中に出てきていて、茂が自分の思い通りにならないことで、怖いと思っているのかも知れないと感じた。
「私、茂さんの夢を時々見るんだけど、意外と怖い夢の時が多いのよ」
と言って、笑ってみせたことがあったが、それは、麻衣の夢の中で、茂はすべて思い通りになるという、「二番目に怖い夢」の主人公になっているからなのかも知れないと、その時感じた。
麻衣はこの時、自分が見た夢を茂にどうしても話すことができなかった。その時にはまだ茂は由梨に近づいていたわけではなかったからだ。その時の夢は今から思えば正夢だった。ただ、その結果茂が死ぬなどということはまったくの想定外だったからである。
――夢の続きを見ることができると言っても、最後まで見れるわけではない。見ているのかも知れないけど、最後に忘れてしまっていれば同じことなんだわ――
と麻衣は感じていた。
敢えて茂に話さなかったことが、茂の死を招いたことになるとは思えない。このことを話していたとしても、まず信用してもらえないだろうし、
「麻衣は心配性だな」
という言葉で、一蹴されるかのどちらかだったからだ。
その時見た麻衣の夢は、茂が由梨と出会って、仲良くなっていた。仲良くなる過程を夢で見ることはなかったが、肝心なのは、由梨と一緒に出掛けて、そのまま帰らぬ人になってしまったということである。
そう、茂は由梨と出会って、時々二人で会い、食事をしたりしていた。
茂は、由梨に自分のことを話しはしていたであろうが、樹里のことを口に出すことはしなかったと思う。
由梨の方はどうだったのだろう?
自分にとっては「知らないおじさん」のはずの茂と、そう簡単に仲良くなるとは考えられない。誰が見ても、由梨は知らない人を簡単に信じるような女性ではない。由梨のような純粋な女性ほど、人を疑ってかかる。そのことを茂も重々分かっていたはずだ。
茂が不思議に思っていたのは、
「どうして由梨が、樹里の墓参りを、毎日欠かさず行っているか」