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墓前に佇む・・・

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 いくら記憶に封印したとはいえ、葬儀には、どれほど昔のことを思い出させたか分からない。その時に敦美を産んだという事実が、頭の中に交錯し、意識の中でどうしても樹里を消すことができないところを作ってしまった。
「私はあの世まで樹里を持っていかなければいけないんだわ」
 と思いながら、それでもあの世で樹里に出会った時、持って行った樹里が消え去るのを想像した。そして、年月が経過し、敦美が生んだ由梨が、樹里の生まれ変わりだという意識を持ったのは、生まれてきた由梨の泣き顔を見たからだった。
 名前を由梨としたのも祖母だった。
 その時の敦美に、祖母に逆らうことはできなかった。由梨を産む時に、自分が生まれてきた時のことを意識しないではいられなかったからだ。
 祖母に対しての感謝の気持ちというよりも、姉の生まれ変わりのように感じていたにも関わらず、自分が姉とは似ても似つかない育ち方をしたことで、後ろめたさがあったのだ。そういう意味では自分の娘を、またしても姉の生まれ変わりのように見ていたことに逆らうなど、できるはずもなかった。
 しかも、実際に由梨が樹里に似てきたことも事実だった。名前が似ていることで、由梨を樹里の生まれ変わりのように意識したのが祖母であり、名づけの親も祖母であることに気付いた人も中にはいただろう。松倉家は元々が旧家であった。年長者に逆らうなど、昔からできるはずもなかったのだ。
 由梨が敦美に逆らうようになったのは、学校で友達の視線に違和感を感じ始めてからのことだった。今までは、
「おはよう」
 と挨拶をすれば、
「おはよう」
 と返ってきて、一緒に学校までの道を歩いたものだったが、今は挨拶をしても、返事が返ってくることはなく、若干見つめられたかと思うと、すぐに視線を逸らす。その時の表情があまりにも無表情なので、由梨はドキッとしたが、その理由を考える暇もなく、顔を背けられる。それからは、話しかけられる雰囲気ではなかった。
 それはクラスメイトだけに限ったことではなかった。学校の帰り道にある商店街で、気さくに声を掛けてくれた人たちが、由梨の顔を見ると、やはり同じように数秒無表情で見つめられ、視線を逸らす。一体何があったのか知る由もない由梨だったが、実際に何かがあって由梨に対しての視線が変わったわけではない。理由を探そうとするのは、最初から無理なことだったのだ。
 由梨は、自分のおばさん、つまり樹里が自分の年ごろに失踪してしまったことを最初は知らなかった。だが、そのことを教えてくれる人がいた。その人は、今までに見たことのない女性だったが、お母さんよりもまだ年上の女性で、彼女が由梨の前に現れたのは偶然ではなかった。
 それまで家族の墓参りなどしたことがなかった由梨だった。家で仏壇に手を合わせることはあっても、誰の位牌なのか、まだ小さい由梨に分かるはずもないし、話をして理解できるはずもなかった。
 そして母が、早朝いつも墓参りをしているのを知ったのは、八歳になってからだった。八歳になるまでは、母と一緒に寝るよりも祖母の部屋で寝ていた。母も祖母と一緒に寝ることを嫌がっているわけでもなかったし、由梨も祖母のことが好きだったので、一緒に寝るのが嬉しかった。
 しかし、八歳になってから急に、
「由梨ちゃんは、これからはお母さんと一緒に寝なさい」
 と言われ、仕方なく、寝所を今までの祖母の部屋から、母の部屋に移した。
――こんなに寂しいものなのかしら?
 祖母は何かというと、由梨に話しかけてくれて、会話のない時間は、眠ってしまってからしかなかったのだが、母の部屋で母と一緒に寝るようになると、お互いに遠慮してなのか、どちらから話をするともなしに、時間だけが過ぎていく。しかも、会話のない時間が凍りついてしまっているので、時間は流れるというよりも、何かに押されてゆっくりと動いているという意識しかない。
――ここでは時間は自分から動くことはできないんだ――
 という思いを抱くことになった。
 由梨は祖母と一緒に寝ていて、会話が途切れることはないとはいえ、話題のすべては祖母から出てくるものだった。祖母はそれで満足していたが、由梨も昨年くらいから、自分からも話題を出したいという思いになっていた。しかし、さすがにまだ七歳の女の子が祖母に対しての話題など出てくるはずもなかった。
 そして、ある時、
「おばあちゃん、私、この間ね、商店街に行った時に、声を掛けられたの」
 由梨が声を掛けられるというのは、街の人間しかいないはずであり、街の人間は、祖母の勝手知ったる人たちばかりなので、別に心配はしていないが、その時の話で、由梨が言うには、まったく知らない人だったと答えると、少し表情が変わった。
「それはどんな人だったんだい?」
「お母さんくらいの女の人だったの。『由梨ちゃんなの?』って聞かれて、『はい、そうです』って答えたの」
「その人は、他に何か言っていなかったかい?」
「何も言わなかったけど、一言、『懐かしいわ』って言っていたわ。私はその人を知らないのに、懐かしいというのもおかしなことよね?」
 まだ幼女の由梨に祖母の違和感がどんなものなのかを想像することなどできるはずもなかった。
 その女性が麻衣であることを知っている人は誰もいなかった。麻衣がどうしていきなり由梨の前に現れたのか、それは樹里が行方不明になった八歳になったからではなかった。他に理由があったのだが、得てしてそれがちょうど由梨が八歳になってからだというのも、実に皮肉なことである。
 麻衣は由梨の前に現れて、目に涙を浮かべた。本当は由梨に会うつもりはなかった麻衣は、自分の運命を思い浮かべながら由梨を見ることで、思わず、
「ごめんなさい」
 と口走った。
 それは由梨にも聞こえないほどの声だったが、由梨には麻衣が口走った言葉が何であるか分かったようだ。
 ただ、それが由梨に対してではなかったことは、由梨には分からなかった。麻衣自身も自分が何かを口走ったという意識が最初からあったわけではない。後になって我に返った時に言葉を発していたことに気付いたくらいだ。
 言葉の相手は茂に対してだった。茂の何に対しての言葉なのか、その時の麻衣には理解できなかった。それほど、その時の麻衣は冷静ではいられなかったのだ。どうしていいか分からず、誰に頼ることもできず、気が付けば由梨の前に立っていた。
――私がこんなに取り乱すなんて――
 今日の麻衣はまるで自分を他人事のように思っていたことに初めてその時気が付いた。もちろん、取り乱す理由があってのことだが、
――本当は分かりきっていたことのはずなのに、いざとなれば、私も女、弱いということなのかしら?
 麻衣は、自分を無邪気に見上げた最初の由梨の表情が頭から離れなかった。
 麻衣は、自分が年を取ってしまったことを、後悔はなかったが、今さらのように思い知らされると、ショックだった。そして、由梨を見ていると、意識は次第に子供の頃に戻っていった。
「麻衣ちゃんは、じゃんけん好き?」
「どうして、そんなことを聞くの?」
 それは、くじら島に行く前に一緒に遊んでいた頃の樹里との会話だった。
作品名:墓前に佇む・・・ 作家名:森本晃次