墓前に佇む・・・
「それじゃあ、あまりにも樹里が不憫で……。あの娘はある程度のことを分かっていたのかしら? それとも私たちにバチが当たったのかしら? そのために樹里一人が犠牲になったということよね? そんなの許されないわ」
「今さら言っても仕方がない」
祖父のその言葉に母親はキレた。
「じゃあ、敦美はどうなるの? あの娘は、樹里の生まれ変わりのようなものだって思えっていうの?」
「そんなことは言っていない。ただ、敦美が生まれたことは、わしらにとってはありがたいことじゃった」
松倉家では、敦美が生まれる前、つまり樹里が死んだことになって葬儀を上げる頃、養子として一人の女の子を貰い受けていた。その女の子は樹里の代わりとされたのだが、敦美が生まれたことで、今度は他の家にさっさと幼女に出されたのだ。
彼女は決して表に出ることはなかった。ある意味では樹里よりも気の毒だった。樹里がもしそれを知っていたとすれば、彼女に悪いという気持ちを残したのかも知れない……。
くじら島を見ながら、彼女は松倉家の事情を思い図っていた。
「私が彷徨っているのは、そのせいなんだわ」
このことに気付いたのは最近のことだった。松倉家でも一部の人間しか知らないことだったのだが、なぜか知っている人がいた。その人は、何と敦美だった。
敦美は誰かにそのことを聞いたようなのだが、誰から聞いたのか、もし知っていることが他の人に分かり、問い詰められたとしても、話すことはないだろう。それが約束であり、もし約束を破れば、敦美は袋小路から逃れられないという自覚があった。
――袋小路とは一体何なのか?
ということまで敦美は自覚していなかった。
ただ、それを通り越して敦美の中で、
「もし、死んだとすれば、成仏できずに、現世を彷徨うことになってしまうんだわ」
という思いを抱いていた。
その根拠は、敦美には感じるからである。自分のまわりに現世を彷徨っている霊がいて、自分を守ってくれている人がいるということを……。
「その人には守るべき人がいるけど、私にはいないわ。だから彷徨うとすれば、何もできずに、ただ彷徨っているだけ、そんな自分になりたくない」
と思っている。
くじら島を見ながら墓参りをしていたのは、樹里であった。
樹里は自分が死んでしまってもあの世に行くことができず、現世を彷徨っていることを知っている。そして、現世という概念としては、規則正しく刻まれていく時刻というものはないのだ。
時系列が存在しているわけではないので、自分の思いは、いかなる時代をも行き来できるという能力があった。ただし、それは自分が関わった人間に対してだけのものであり、決して自分に関わりのない人の前に出ることも、垣間見ることもできない。あくまでも一つの時間としてはごく限られた世界しか見ることはできないが、時間という概念ではそのすべてを網羅することができる。
――これって能力なの?
関わりのない人が見えないというのは、実に世界が狭く感じられる。もし、実際に生きていれば、まわりが見えていないのと同じであろう。
樹里は生まれた時から、他の人にはない能力を持っていた。出生自体が他の人とは違うという意識があったからなのかも知れないが、最初から歯車が狂ってしまったことを意識したまま生まれてきたようなものだった。
樹里が家にいたくないと思ったのも、すべては生まれてきた時から、いや、母親の胎内で生を受けた時から決まっていたことなのだ。
人間は運命のままに生きていて、運命に逆らえないという思いは、樹里に関してだけのことではない。しかし、それも現実社会の中の歯車通りに動いていれば、疑いようのないその人の人生。それが最初から決まっていたなどという意識はない。なぜなら、人間は発展性のある動物なので、運命が決まっているということを、認めたくないのだ。認めてしまえば、その先がないことを誰もが自覚していながら、それを口にしようとはしない。タブーが多いのも、発展性のある動物にとっては宿命のようなものなのかも知れない。
そのことを理解しようとしても、どうしても頭の中で整理できないのが敦美であった。彼女は発想の入り口まで来ているのに、入る勇気がない。それは姉の運命を自分が引き継いでいるという意識があるからで、
「私の勇気を誰かに取られてしまったのかも知れないわ」
と思っていた。
もし、勇気を取ったとすれば、それが樹里から取ったという意識はないが、誰かから勇気を取ったという意味で意識がある人物がいた。それは麻衣であった。麻衣は自分の運命に樹里が関わっていることを知っていて、樹里が何に苦しんでいるかということまで知りながら、どうしても、同じ土台になって考えることができなかった。やはり血のつながりがないからだ。
しかし、血のつながりという意味では、敦美がいる。まるで樹里の生まれ変わりのような敦美は、発想できるところまで来ていた。まったく面識のない敦美と麻衣、二人を結びつけるカギは樹里であり、ひいては茂だったりする。茂は自分で自覚はなかったが、彼には樹里と切っても切り離せない関係にあるのだ。そのことを樹里は知っていて、茂は事実としては知らないまでも、ウスウス何かおかしいという思いに至っていた。だから、樹里のことが頭から離れないのだが、それを恋心だと思っている限り、いつまでも交わることのない平行線を描くことになる。それを制御しているのが、麻衣だったのだ。
そういう意味では茂の立ち位置は曖昧だ。まわりから制御されているが、樹里に関しては大きなキーを握っていることになる。
由梨は最近、母親に反抗するようになった。
「どうして、あなたはそんなにお母さんに逆らうの?」
「だって、お母さんの言っていることって、分からないもん」
由梨は今年八歳になる。まだ小学生の低学年だ。確か樹里がいなくなったのは、同じ年頃だという。敦美はそのことをずっと意識していた。八歳になってから意識し始めたわけえではない。ずっと前から意識をしていたのだ。
由梨の八歳の誕生日、まわりは盛大にお祝いしてくれた。しかし、母親一人顔が引きつっていたのを、まわりが気付かないわけではない。盛大にお祝いしていたとしても、心の中では誰もが樹里のいなくなった年になったのだと、意識をしていたからだ。
なぜそんなに意識をするのかというと、やはり由梨がおばさんである樹里に似てきたからであろう。
そのことを一番意識していたのは、祖母だった。
祖母は、敦美と樹里にとっては母親である。そして、一番由梨を可愛がっているのも祖母だった。
今から思い出すことは樹里がいなくなったことよりも、敦美を産む時のことの方が数倍意識としては大きかった。
樹里がいなくなった時は、相当のショックを受けたのには違いない。それでも七年という時間は、いなくなった人間を意識の中で封印するには、十分な時間だったようだ。樹里のことを封印した祖母は、敦美がまるで樹里の生まれ変わりではないかと思いながら、苦しみに耐えて生んだのだ。