墓前に佇む・・・
「大久保さんは、ずっとここで生活をされているんですか?」
「ええ、でもそれまではいろいろと転々として、ここに流れ着いたという方が正解かも知れませんね」
「そうですか。私は樹里さんのことであなたに話をしにきたんですが、今のあなたにはすぐにいう必要はないような気がしました。あなたが、彼女に対して罪の意識を抱いているのは分かったのですが、今すぐ私が話したとしても、あなたの罪の意識を和らげることはできないような気がします、。ひょっとすると、あなた自身も、なにを今さらと思っているんじゃないですか?」
「ええ、その通りですね」
彼女は何か話をしなければいけない目的を持って、茂の前に現れたに違いないのだが、茂という人物に対しての自分のイメージとかけ離れたところがあったのか、それとも茂に対して、何かそれまでに感じていた思いと違う感覚が生まれたのか、どちらにしても、麻衣は茂に会う前と今とでは、かなり思いが変わってきたようだ。
茂の態度には、喜怒哀楽が感じられない。その中でも哀の感情が一番欠如しているのではないかというのが第一印象だった。しかし、話をしているうちに哀だけではなく、他の感情も著しき欠如しているのを感じた。それは麻衣にとって懐かしく感じられるものであり、子供の頃の自分を思い起させるものだった。
――私が受けた屈辱、いや、恥辱について分かってくれる人がいるとすれば、この人しかいない――
と、麻衣は感じていた。
茂が何を感じているのか分からないが、麻衣にとって、茂に会いに来たことは運命であり、運命を結びつけてくれたのが樹里であることを分かっている。いずれは樹里のことを話さなければいけない、そして、本当は時間が経てば経つほど話しずらくなるのではないかという思いも強くあった。それでも、今はまだ時期尚早であると、麻衣は感じていた。
「私、実は本当の両親を知らないんです」
麻衣は自分の話を始めた。それを聞いた茂の眉間が微妙に歪んだのを、麻衣は見逃さなかった。
――まったく感情が欠落しているわけではないんだわ――
と感じられただけでも嬉しかった。
「私、こんなことを初対面の人に話したことはなかったんですけど、相手が茂さんなら何でも話せる気がしてきました」
麻衣は、ここから敢えて茂のことを、「茂さん」と呼ぶようにした。それに対して意識がないのが、まったくの無反応であった茂だが、黙って麻衣の顔を見つめている。興味深げというよりも、早く話の続きを聞きたいという気持ちが、カッと見開いたその目から伺えた。
「お父さんとお母さんが、本当の親でないことを知ったのは、私が十歳の頃でした。私は何かの理由で孤児院にいたんですけど、今の両親に引き取られた時、まだ五歳だったそうです」
「それで?」
「五歳というと、ある程度物心がついていてもいい頃だったんでしょうけど、私が閉鎖的になっていたので、思考能力の成長がかなり遅れていたらしいんです。実際に言葉が喋れるようになったのも遅かったようで、喋ろうと思えば喋れたんでしょうけど、幼少の頃に何かショッキングなことがあったので、自分から喋ることができなくなったらしいんです。それでも、孤児院で暮らしているうちに少しずつ話ができるようになって、孤児院同士で友達もできました。その中にいたのが樹里さんだったんです。樹里さんは最初の私と同じでした。言葉も喋らなければ、表情がまったくない。そんな女の子で、ひょっとすると私よりも、もっと辛い目に遭ったのかも知れないと思いました。あなたに話さなければいけない樹里さんの話はそのずっと後のことなんですが、とりあえず知り合ったのは、その時だったんです」
知り合うきっかけと、本当に茂に話さなければいけない話とは、時間的にもだいぶ後のことなのかも知れない。それは茂が感じたことで、当たらずとも遠からじではないかと思った。
「麻衣さんは、かなり苦労されたんですね?」
「子供の頃の記憶ですからね。私を引き取ってくれた人を本当の親だと思っていたんです。親が自分のことを忘れずにいて、引き取りに来てくれたってね。でも、今から思えば、引き散ってくれた親は、私に対して、悪かったという感情がまったくなかったんです。本当の親ではないんだから、当然ですよね。でも、私は理不尽に思えて、十歳になる頃までは、親に対して心を開くことができませんでした。それでも、育ててくれている親は、私に愛情を注いでくれたんですよ。そのうちに、私の方が根負けして、別に謝ってくれなくてもいいって思うようになりました。それから私も少し相手に対しての感情の一部に欠落した感情があるように思えたんですが、それがどういう感情なのか、すぐには分からなかったですね」
一気にまくしたてるように話したつもりだったが、時間的にはさほど進んでいない。自分では感情を込めていないつもりでも、実際に感情が籠っていると、時間が思っていたよりも早く感じられるものだということを、その時、麻衣は感じていた。
麻衣は、まだまだ成長の過程にいたのだ。人と話をするうちに次第に相手の気持ちを分かるようになってきているのも、成長の一つである、麻衣は、晩生であり、まだまだ進化する余地を残した女性であるいうことを、次第に感じてくる茂であった。
「実は私、育ててくれた親のところから出てきちゃったんです」
「家を出てきたのかい?」
「ええ、育ててくれた方は、裕福な家庭の人で、気が付いた時から私はお嬢様として育てられていたんですよ」
話を聞いていたり、素振りを見ている限りでは、お嬢さんという雰囲気はほとんどしない。むしろ、茂は麻衣に対して自分に近い人間のように思えていた。話をしていて、肝心なことを話してくれないとしても、それは仕方がないとまで思っていたくらいだ。麻衣の話を聞いて、お嬢様として育てられたとしても、第一印象が変わることはない。ただ、それは茂だからであって、他の人なら、きっと麻衣に対しての見方を変えていたに違いない。
「いいよ、こんなところでよければ、いつまでもいてくれていいんだ」
「ありがとうございます」
麻衣が、どういう理由で家を出ようとしたのか分からない。ただ、育ててくれた親が嫌になって出てきたわけではないことは一目瞭然だった。もし、育ててくれた親が嫌いになって出てきたのであれば、馬までのいきさつを話すわけがない。今までずっと一人だと思っていた茂にもやっと「仲間」ができた気がして嬉しかった。
今年茂は二十五歳になっていた。
麻衣が茂の部屋に来てから五年が経っていた。茂はその間に就職も何とか決まり、麻衣との生活に不安がないと言えばウソになるが、就職が決まるまでの不安定な精神状態の頃に比べればマシな方だった。
麻衣とは、その頃一番言い争いをしていた。いつも原因を作るのは茂だったが、就職も決まらない状態で、最初はそれでも慰めてくれる麻衣に感謝していたが、時間が経つにつれ、慰められることが却って自分に対して追いつめているような気がして、精神的に荒れてしまった。
情緒不安定で、
――世の中で一番不幸なのはこの俺だ――
と思うようになってしまっていた。